第33話 久しぶりだね、ゆーたくん
小泉さんはスターティングポジションのまま僕をじろじろと見つめている。
僕はチア部に入ってまだ一ヶ月にも満たない新米部員で、しかもマネージャーだ。雑務をこなすのがマネージャーの仕事のはずだ。それならばラインダンスをやったほうがスタンツをやって怪我をすることもないだろう。
その一方で、テスト前に二年生たちが実演したスタンツも気になるところだ。やってみたい反面、小泉さんを支えられる体力と筋力がこの僕にはあるのだろうか……。
「どうしたの、ユータ? 考え事しているの?」
「あ、いえ、何でもないよ」
小泉さんに声をかけられて、ふと我に返った。
僕は考え事をしてしまうと、周りが見えなくなってしまう。そのせいで柚希にも良く叱られていた。無論、両親にもだ。
いずれにせよ、チアリーディングに不慣れな僕がスタンツをやるのは危険だ。運動部の生徒に比べれば腕の筋力がない僕に、小泉さんを持ち上げることは出来そうにない。小泉さんを受け止めたときに骨折することだってあり得る。
僕は無理をしたくないという面持ちを悟られないように、「ラインダンスをやってみようかなと思うけど、どうかな」と小泉さんに提案した。
小泉さんはポンポンを手にしたまま腕を組んで考え、またスターティングポジションに戻って話しかける。
「でもね、せっかくだからスタンツをやってみない?」
「とはいえ、スタンツをやるにしても……」
小泉さんが詰め寄りながら僕に向かってもう一言付け加える。
「人数が足りないうえに危険だ、とでも言いたいんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「心配は要らないわ。二人でも出来るものがあるから、一緒にやってみましょう。チアはもともと男性メインだったし、男性のチームもあるの。男女混合チアって珍しくないし、甲子園のチアリーダーのユニフォームだって野球のユニフォームに短パンが主流なんだから」
小泉さんの話を聞いて、中学校の図書室で見かけたとある本のことを思い出した。
柔道を続けていた男子大学生がチアリーディングチームを結成するという話で、面白くて借りてまで読んだ。父さんに読んだ本の話をしたところ、有名私大には男子だけのチームもあると聞いた。それならば、男女混合のチームがあっても不思議じゃないだろう。ましてや僕たちも、だ。
「じゃあ、やろうか」
「その言葉を待っていたわ」
力強く返答すると、小泉さんは眩しいばかりの笑顔を見せて、ウェットティッシュで靴の汚れを軽く落としてからもう一度僕の顔を見て問いかけた。
「小学校の時に組体操をやったことはある?」
「もちろん」
「二人一組で持ち上げるやつってあるじゃない。ユータはペアの子を持ち上げる側だった? それとも、持ち上げられる側だった?」
「持ち上げる側だったよ。結構大変だったけど」
「ちょっとだけ経験があるならば大丈夫よ。それじゃあ、ユータはそこでしゃがんで」
「え?」
「いいから、アタシの言う通りにして」
言われた通りにしゃがむと、小泉さんの身体が僕の肩の上に乗っかった。
両手で小泉さんの膝の感触を感じ、首の辺りで筋肉質でありながら柔らかさを感じる小泉さんの太腿の感触を感じ、そして頭の上には小泉さんの柔らかな胸の感触を感じる。全身から漂う甘い香りが鼻腔を刺激して、思春期男子の悪い癖が目立ちそうになった。
「ユータ、まさか変なこと考えているんじゃないでしょうね」
「……べ、別に……」
「小学校の頃の組体操のことを思い出して。無心にやっていたでしょ」
「そ、そうだね」
小学校の頃の組体操でもそうだった。僕が持ち上げた相手は女子だったけど、難なく持ち上げることが出来た。その当時は男女の違いなんて判らなかったから意識しなかったけど、今は違う。否応なく男女の違いを意識してしまう。
不安そうになっている僕の様子を察知して、小泉さんはもう一言付け加える。
「余計なことは考えないで、しっかり支えてね。アタシが声をかけるから、そのタイミングで持ち上げて」
「了解」
僕は深呼吸をして雑念を振り払い、無言で気合いを入れた。それに応じて、小泉さんも「よし」と答えた。
「私が『ワン、ツー、ダウン、アップ!』と声をかけたら、ユータはアタシの身体を持ち上げてね。そのあとでもう一度『ワン、ツー、ダウン、アップ!』と声をかけたらユータの肩の上に乗るから、両腕を後ろに回してアタシのふくらはぎのところを支えて」
無言でうなずくと、小泉さんは、よし、とつぶやいた。
身体の重みを上半身全体で感じながら小泉さんが「ワン、ツー、ダウン、アップ!」と声をかけた。僕はその声に応じて立ち上がり、肩車の姿勢を取る。小泉さんが僕の両肩に足を乗せると、自分の両腕を後ろに回した。
「それじゃ、行くわよ。ワン、ツー、ダウン、アップ!」
小泉さんが掛け声とともに立ち上がり、僕に見えない位置でアームモーションを決める。そこからお姫様抱っこの要領で小泉さんの身体を受け止めると、心の中で得も知れぬ高揚感を感じた。
「……どうだった? やってみて」
パーソナルスペースを保ちつつ、息を切らしながら僕の居る方向を向いて小泉さんが問いかける。
ほんの一瞬だったけど、小泉さんを支えることが出来た。それだけで十分だった。
辛いけど、楽しい。頭の中にはそれしか思い当たる言葉がない。
「良かったよ。小泉さんを持ち上げようとした時に雑念が入り込みそうになったけど、何も考えないようにしたらすんなりと持ち上げられたよ」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
小泉さんは白い歯を見せて、片目を閉じる。それからポンポンを手にして、辺りをどことなく歩き回りながら声をかける。
「……ところでユータ、この公園に見覚えはある?」
「ここの公園? うーん、見覚えないなぁ」
「アタシは覚えているわよ。確か五歳か六歳の頃だったかな、アタシはここで小さい男の子に逢ったの」
「小さい男の子……?」
「そう。その時アタシは家でお遊戯会の練習をしていたの。それが嫌で逃げ出して、気がついたらこの公園で一人泣いていたの」
小泉さんは少し下を向きながら寂しそうに話す。
「そうしたら、アタシと同い年の男の子に声をかけられたのよ。お遊戯会で主役を務めることになったことを話したらね、自分を応援したらってアドバイスされて……」
僕はふと、いつも見ている夢のことを思い出した。
夢の中に出てくる女の子は弱々しく、泣いていた記憶があった。
僕はその子を励ますと、どのように踊るのか見せてとせがんだ。そこでその子は僕の名前を聞いてきたので、教えてあげた。するとその子はこう答えた。
『わたしはかのん。こいずみかのん。しりつのようちえんにかよっているの』
『しりつの……』
『
ようやく分かった。夢の中に出てきた女の子の正体が。
「そ、それじゃあ僕が小さい頃に話しかけた女の子って、もしかして小泉さん?」
「
笑顔を見せながら可愛らしい声で僕の名前を呼ぶと、小泉さんは髪を軽くかきあげた。
小泉さんは幼い頃の小泉さんとは全く違い、活発で自信に満ち溢れていた。
間違いない。僕の一言が泣き虫だった彼女を変えたのだ。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
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