第4章 小泉奏音 - ユータは、ユータよ

第31話 教えてあげる

 公園の中にある体育館で佐藤先輩たちと一緒になって汗を流した日の夜のことだった。

 明後日の授業に備えて予習をしていると、机に置いてあったスマホが突然震えだした。誰からだろうとスマホの画面を見ると、小泉さんのイニシャルが表示されていた。

 小泉さんからだと知った僕はスマホをスタンドに乗せて、スピーカーモードにして通話に応じた。


「もしもし、小泉さん?」

「ユータ、今日はお疲れ様。今日は頑張ったわね」

「まぁ、ね。今まで動けなかったのが嘘のようだよ」


 電話の向こうで会話している小泉さんは疲労の色を見せるどころか、むしろ元気いっぱいだった。ただ、この時間に電話をしてくるのはちょっと珍しい。


「それで、夜分遅くにどうして通話してきたんだ?」

「突然で悪いんだけど、明日の朝六時にアタシの家の近くにある公園まで来てもらえるかしら?」

「えっ?」


 佐藤先輩たちと汗を流したばかりだというのに、明日の朝の早いうちに動き始めるなんてよほど体力が有り余っているのだろうか。小泉さんは見た目とは違ってチアリーディング部に所属している体育会系女子だから、無理もない話だけど。

 それと、日曜のこの時間帯は母さんがちょうど目を覚ます頃だ。どうして早朝の時間帯に少し遠くのある公園へ向かわなければならないのだろうか。


「第一、僕は小泉さんの家なんて知らないし……」

「アタシはユータの家を知っているわよ。そうでなければ、ユータの家には来ないわよ。それにね、こないだ中学の卒業アルバムを見たのよ。ユータの顔写真、覇気がなかったわよ」

「そ、そうなんだ……」


 図星だった。

 卒業アルバムの顔写真を撮った時は、ちょうど進路で柚希と僕が揉めていたからだ。僕は中心部にあるナンバースクールへ行きたいと思って勉強をしていたのに、柚希は英語科のある高校に行きたいと言い出して聞かなかった。

 最終的には今通っている学校の普通科に入ったものの、僕と柚希は別々のクラスに振り分けられた。そうでなければ小泉さんとも出会うことがなかったし、柚希にサヨナラされた翌日に高橋さんとキスすることもなかった。全ては結果オーライだ。

 自分のことはさておき、まずは小泉さんの家の近くはいったいどこなのか聞いてみよう。


「それはそうと、小泉さんの家の近くにある公園ってどこ?」

「通話が終わったら場所をメッセで送るわ」

「了解。そこに向かえばいいのか」

「そういうこと。それじゃあ突然で悪いけど、明日の朝六時に集合ね。汗を拭くためのタオルを忘れないでね。遅刻したら許さないわよ! Good nightおやすみなさい, Yutaユータ.」


 そう話すと通話を終わらせ、スマホの画面はまた素っ気ない画面に戻った。

 こないだ一緒に勉強した時もそうだけど、小泉さんとはどこかで会ったような気がする。はるか昔から僕のことを知っているとしたら、いつ彼女と出会ったのだろう。ただ、それすら今の僕には全く思い出せない。

 ただ、そのことばかり気にするわけにもいかない。早く目に明日の準備をしておかねば。

 僕は運動してもいいような格好を用意すると、その日はすぐ眠りに就いた。

 その日見た夢は、あの子に応援の素晴らしさを説いて励ました夢だった。


 ◇


 翌朝、朝五時半にタイマーをセットしなおしてからすぐに目を覚まして運動着に着替えた。ショルダーバッグに貴重品を入れ、洗面所からタオルを一枚持ちだすと、幸いにも目を覚ましたばかりの母に出くわした。


「あら、朝早くからどこに行くの?」

「ちょっと近くの公園まで行こうかな、と」


 そう話すと、母さんがやたら感心した様子で何度もうなずいた。昨日買いだめしたスポーツドリンクをひとつ手にすると、母さんに「行ってきます」とひと声かけてから家を飛び出した。

 陽が昇ったとはいえ夏の盛りの時期に比べると薄暗く、朝晩は少し涼しさすら感じるようになった。もう少しすれば、街路樹も色づいて葉っぱを落とすだろう。

 メッセアプリに送られてきた場所を頼りに歩いていくと、目的地の前にたどり着いた。

 公園の入り口には、見慣れたスポーツバッグを手にしていて、肋骨のあたりまでふわりとした髪をたなびかせている女の子が佇んでいた。左右非対称の柄と胸元のあたりに「Victory」と刻まれているノースリーブのシャツとボックスプリーツのスカートに身を包み、太ももからはスパッツが見え隠れしていた。そして、引き締まった足元はスポーティーなソックスとランニングシューズに覆われていた。

 一瞬誰なのかと思ったが、猫のような目つきから小泉さんだとすぐに気づいた。もちろん、フルーツ系のボディソープの残り香もかすかに漂っていた。


「おはよう、小泉さん」

「おはよう」


 小泉さんは笑顔を浮かべて、僕に向かって手を振る。


「この格好って、ひょっとしてディスカウントストアで売っている……」

That’s rightそうよ. 学校のユニフォームで来るのもまずいと思って、買っておいたの。似合うかな?」


 立ち上がってから左右に軽くひねってスカートをヒラヒラさせると、暗色系のスパッツが見え隠れした。


「いいじゃないか、似合うよ」

「T..., Thank youありがとう... いつまでここでおしゃべりしているわけにもいかないから、中に入りましょうか」


 小泉さんに導かれるようにして、公園の中に入る。木陰の隙間からは、涼しげな朝の風が吹き抜ける。

 朝早くというだけあって、ランニングをしている人しか通りかからない。

 ベンチに到着すると、小泉さんはバッグのファスナーを開けて中にあるものを漁りだした。


「それで、朝早く呼び出して何をするつもりなんだ?」

「ちょっと待って、今準備するから」


 僕が問いかける間、小泉さんはスポーツバッグの中から様々なものを取り出して木製のテーブルの上に並べた。バッグから取り出したものは青と白のリボンで作られたポンポンとスマホ、ワイヤレススピーカー、タオル、マイボトルだった。ポンポンはわかるけど、ワイヤレススピーカーは一体何に使うのだろうか。

 一通りの荷物を出し終わると、小泉さんは僕の立っている方向を向いた。


「……今日はユータにアームモーションとチアダンスを少しだけ教えてあげようかなと思って、朝早く呼び出したの」

「あ、アームモーションとチアダンス? これまた一体どうして?」

「実はね、アンタにリホの手伝いをしてもらおうかなと思っているの。リホって分かるかな」

「五組の子……だよな」

「そう。悪くないでしょ?」


 僕に向かって色目を使うと、小泉さんはさらに説明を重ねる。


「リホは内気な子だから、うまく説明できないかもしれないじゃない? そこでアンタの出番ってわけ」

「ぼ、僕が? マネージャーなのに?」

「ええ、そうよ。それと同時にチア部の部員、でしょ?」

「それはそうだけど……」

「本当ならばアタシが一緒にやってもいいけど、ユータがリホのサポートをしたほうが心強いじゃない。ある程度人に教えられるように、これからアタシがみっちりと教えてあげる。悪くないでしょ?」


 何が何だか分からずに戸惑う僕に対して、小泉さんが白い歯を浮かべて笑顔を見せる。

 朝の太陽と重なって、その笑顔がまぶしく見える。


「……そう、だね」

「じゃあ決まり! そうなったら、まずはストレッチね。それが終わったらアームモーションをやってもらうわよ。ついてきなさい、ユータ!」


 そう言い放つと、小泉さんは真っ先にストレッチを始めた。僕も小泉さんに続いて、少しずつ体を伸ばしていった。

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