第18話 知らないの?

「いっち、にー、さん、しー」

「ごー、ろく、しち、はち」


 先生の挨拶が終わると、チア部の生徒たちはお互いがペアを組んで柔軟体操を始めた。小泉さんは先ほど僕の左隣に座っていた子と、高橋さんは米沢さんと一緒だった。

 小泉さんは標準的な体型だからそんなに胸が目立たないけども、父さんたちが高校生の頃だったら確実に目立っていただろう。その一方で、高橋さんと米沢さんの二人は抜群のスタイルをしているせいもあってか、胸が上下に揺れるたび、僕の目が二人の胸にくぎ付けとなる。

 これから活動日になるとこういう姿を見られるのかというと思春期男子のさがから嬉しくもなるが、それだけではいられないのも事実だ。何せ自分はマネージャーとしてチア部に入ったのだから、部員たちのためにいろいろと尽くさなければならない。例えキスした子が居たとしても、私情は挟まずに全員平等に接しないと。

 自分を戒めるように固く誓っていたその時だった。


「清水君」


 唐突に日野先生から呼び止められたので、僕は後ろを振り返った。


「何ですか?」

「最初の仕事だけど、マイボトルを用意してこなかった子のためにスポドリを買ってきてくれないかな? お金は……、はい、これ」


 日野先生はチア衣装の上に羽織っているジャケットから財布を取り出し、千円札を二枚取り出した。


「何でもいいんですか?」

「もちろん。それと、塩飴も二袋買ってきてもらえるかな?」

「どうしてですか?」

「もう午後四時を回ったとはいえこの暑さでしょ、練習中に水分や塩分不足で倒れたら先生が責任を問われるんだよね」


 日野先生の言う通りで、暦の上では夏が終わったとはいえ体育館の中は蒸し暑い。ちょっと動いただけでも汗がジワリとにじみ出る。この中で長い時間激しい運動をしたら、確実に熱中症になるだろう。

 僕は先生から二千円を受け取ると、「ありがとうございます」と軽く会釈をした。


「それと、領収書を切ってもらうのも忘れないでね。うちの高校名とチアリーディング部の名前を店の人にちゃんと伝えておいてね」


 日野先生は笑顔でそう話す。やるべき仕事はやらなければならないと僕は自分に言い聞かせ、日野先生の話を聞いてから「行ってきます」とだけ答えた。


「行ってらっしゃーい」


 部員たちの黄色い声が響く中、僕は校内靴から学校指定の外履きに履き替えてコンビニへと向かう。その途中で家路に向かう生徒たちとすれ違ったものの、外履きと着ている服がアンバランスな僕の姿に気づく生徒は誰も居なかった。

 コンビニでスポドリと塩飴を買い物カゴに入れてからレジで清算して、レジ係の人に高校の名前と部活動の名前を告げて領収書をもらった。コンビニの店員さんは僕を一瞥してから、僕に話しかけた。


「本当に部員さんですか?」

「ええ、そうです。実はマネージャーとして入ることになりました」


 僕がそう話すと、店員さんは「大変そうだけど、頑張ってくださいね」と笑顔で僕を励ましてくれた。店員さんもこの学校のチア部のOGで、現役時代はイベントで組体操をしたと話してくれた。


「ありがとうございましたー」


 店を出ると、先ほどまでの涼し気な空気とは一変した生ぬるい暑さを肌で感じた。腕時計をチラリと見てから僕は周りを見ながら我を忘れるように校舎へと歩みを進めた。まだ外は暑く、少し歩いただけでも汗が噴き出そうだ。

 僕はみんなが練習している姿を想像しつつも、体育館へと足を進めた。体育館に戻ると、驚くべき光景を目の当たりにした。


「ワン、ツー、ダウン、アップ!」


 チア部の部員たちは四人一組でいくつかのグループに分かれて、初夏に学校の近くで行われた対抗戦の応援合戦にも似たような動きを見せていた。

 高いところに立っているのは比較的身長が小さい生徒で、その中には小泉さんや僕の隣に座っていた子の姿もあった。下で支えているのは身長が大きい生徒たちばかりで、もちろんその中には高橋さんたちの姿があった。

 それにしても、一斉にこうやって高いところに昇ったり降りたりするなんて、危なくないのだろうか? そんなことを思ったのだが、その前にまずは先生に買い物をしてきたことを報告しなければならない。


「ただいま戻りました。こちらが買ってきたもので、それに領収書とお釣りです」

「清水君、ご苦労様」


 日野先生は僕から領収書とお釣りを受け取ると、身体とはアンバランスな笑顔を僕に見せてからこう話した。


「みんな柔軟を終えて、スタンツの練習をしていたところだよ」

「スタンツ? それって何ですか?」


 僕がそう答えると、日野先生は驚きの表情を見せた。


「えっ、ひょっとして清水君ってチアについて全く知らないの?」

「ええ。春のセンバツと夏の甲子園でダンスしているなーというのは分かるし、対面式や対抗戦でも少しだけ見たことがあります。ただ、詳しいことは全く知らなくて……」

「そっか~……」


 日野先生はちょっとだけ首を傾げて、困惑した表情で僕を見つめる。そう、僕はチアリーディングの何たるかを全く知らないままでマネージャーになったのだ。勉強不足だとは思うが、転入部のことで日々が目まぐるしく過ぎていったので、そちらの勉強をするのを忘れていたのだ。

 すると、日野先生は首にぶら下げているホイッスルを口に咥えてから勢い良く鳴らす。


「みんな、一旦練習は止めにして! 柔軟する前と同じように、学年ごとで一列に並んで!」


 日野先生の指示のもと、二年生はステージから見て前方の位置に、一年生はその後ろ側に並び、先ほどと同じように体育座りをした。彼女の姿は、まるでスーツ姿で教壇に立っている時と同じように凛々しくて、大人の女性の雰囲気を漂わせている。


「さて、今日は休憩を挟んでスタンツの練習をしようと思ったのですが、今日来たばかりの清水君のためにちょっと予定を変更します。まずは、チアリーディングの何たるかについておさらいをしましょう。まずはどこからやりますか?」


 日野先生が部員たちに問いかけると、次々と手を挙げて「歴史」、「基本的な動き」と声を上げる。僕はチアリーディングについては全く知らないので、手を挙げて「歴史で」と答えた。


「それじゃあ、多数決を採りましょう。まずは歴史から説明したほうが良いと思う人、手を挙げてください」


 日野先生が決を採ると、僕を含む半数以上の部員が手を挙げて。一年生も居れば、逆に二年生もそれなりに居た。


「次に、基本的な動き方について説明したほうが良いと思う人」


 先ほどの歴史と比べると、手を挙げたのは二年生が中心で一年生は一人だけだった。日野先生は納得した表情でしきりにうなずくと、部員たちを一瞥して言った。


「やっぱり簡単に歴史から説明したほうがいいという子たちが多いみたいね。まずは大まかに歴史から説明して、その次に実際の動きについて説明しましょう」


 日野先生が話し終えると、「はいっ」と黄色い声が体育館内に響き渡る。

 バドミントン部がシャトルを打ち返し、外で活動している運動部や応援団などが掛け声をこちらまで響かせる中、僕たちは練習前のミーティングと同じようにフローリングの床に座った。フローリングの床の上はひんやりとしていて心地よく、外の暑さを忘れるかのようだった。


「はい。ということで、チアリーディングのことについてこれからおさらいをします。清水君もしっかりついてきてね」

「はい」

「よろしい♪」


 日野先生は満足そうにうなずきながら答えると、日野先生はゆっくりとチアリーディングのことについて話し始めた。

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