第3話 自分を信じて

 外から運動部の模擬店の客引きの声が聞こえる中、僕とナツさんはそんな賑やかさとは真逆の静けさの中に居た。

 音楽室には、僕たち以外に誰も居ない。先輩たちが出ていく前にご丁寧に席を片付けていったので、僕たちは床に座った。ひんやりとした床の感触が心地よく、夏の気温と照れからくる頬の熱も次第に引いていくと同時に、柚希の今頃について考える余裕も出来た。


「ふぅ……」


 気まずい沈黙を破るような声が出ると、ナツさんは申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい、いきなり訪ねてしまって。ご迷惑でしたか?」

「いえ、そんなことはありません」


 それを聞くとナツさんはほっとしたのか、固かった表情を柔らかくした。

 さっきは緊張していてしっかりと彼女のことを見られなかった。落ち着いてよく見れば見るほど、彼女は美人であるという情報を得られた。

 長身と均整の取れたプロポーションに目が行きがちだが、愛らしい垂れ目に長く整った睫毛、見ているだけでも柔らかいとわかる男を惹きつけて止まないプルンとした唇と、美人顔ではあるのだけど可愛らしさも兼ね備えた顔をしていた。

 さっきの申し訳なさそうな声も高音と低音のバランスが絶妙な甘い声をしており、ほっとした時に出ていた吐息も甘かった。そこから僕は、ナツさんが改めて美人であると判断した。

 そんな彼女に見惚れていると、彼女はひと息をついてから話し始めた。


「そう言ってもらえると助かります。ところで、あなたのお名前はなんですか?」

「優汰です。清水優汰。クラスは……、一年三組です」

「優汰君ですね。私は高橋たかはし奈津美なつみ、一年二組です」


 それを聞いて僕は驚いた。一年生なのは校内靴のラインの色でわかった。それに二組といえば、女子専用のクラスだ。ふと僕は、後藤が二組には美少女や美女が多く在籍していると口にしていたことを思い出した。一瞬にして彼女は漫画やアニメで言うところのモブキャラのように見える僕では釣り合わない、高嶺の花のような存在だと感じた。


「どうしたの、優汰君」


 僕の様子を見て高橋さんは小首を傾げる。その少しセクシーさも感じさせる仕草にドキリとし、僕は多少詰まらせながら答える。


「い、いや、その……、僕と高橋さんって釣り合うのかなって。高橋さんに比べて僕はそんな目立つような顔立ちでもないし……」

「そんなことないよ。私たちは同い年同士だし、君のことをカッコ悪いとは思わないから、心配する必要はないよ。それに、かしこまって敬語で話す必要もないから」


 高橋さんの言葉で緊張がほぐれる。身近な女の子は柚希くらいだった僕だけど、高嶺の花に見せかけてフレンドリーさも持っている高橋さんも実に素敵だ。そんなことを考えていると、高橋さんはすっかり緊張がほぐれた様子で話し始めた。


「それで本題に入るけど、チア部は硬式野球をはじめとしてサッカー、バスケみたいな運動部の応援だけやっているわけではないんだけど……、それはわかるかな?」

「夏休みの終わり頃にスーパーやコンビニ、ドラッグストアに募金箱が設置されるイベントにチア部が参加しているっていうのは聞いたことがあるよ。それだけじゃなくて、文化祭での演技も含まれるわけだね」

「そう。元々は四組の米沢さんがセンターをやる予定だったの。だけど今日練習していたら足を捻挫してセンターが出来なくなったから、急遽私がやることになったんだ。でも、私は米沢さんと比べると経験不足だからセンターなんて無理だって思っていて……」


 高橋さんは不安そうにうつむく。彼女の言う通り、小泉さんや柚希よりもその胸は豊満であり、人目を引くのは間違いない。

 正直に言えば、あのマシュマロのように柔らかい胸に飛び込みたい。だけど、そんなことは口に出来ないし、言っている場合でもない。

 不安そうにうつむいている彼女を見ながら、どうしたらいいだろうと考えていたその時だった。


「『お前はお前らしく自分を信じて歩けばいい! そうすりゃあ必ず道は開けるさ!』」

「え?」


 高橋さんは不思議そうな顔をする。

 僕の口から出たのは、床屋で読んだことがある漫画のワンシーンのセリフだ。そのセリフは不器用な生き方をしている主人公の後輩に対して主人公がかけた励ましの言葉だった。

 今の僕に出来るのは、その漫画の主人公と同じように高橋さんを励ますことだ。だったら、このセリフの力を借りるべきなのかもしれない。


「高橋さん、うまくやろうと思っていませんか?」

「う、うん……、思っているよ。でも、うまくやろうと考えると余計緊張して……、今だって汗が噴き出しそうなほどに緊張しているよ」


 高橋さんの表情はまた固くなる。その様子を見ていると、高橋さんが感じている緊張が伝わってくるほどだった。だからこそ、僕はそんな緊張をほぐしたかった。初対面で緊張していた僕にエールを送るように、フレンドリーに接してくれた高橋さんにエールを返そう。


「でも、あまり深く考えないほうがいいですよ。その子と高橋さんはまったく同じじゃないから。高橋さんは高橋さんらしく、自分を信じて舞台の上で踊ってください。それに……」

「それに?」

「……僕は踊っている高橋さんを、あの夏の甲子園の地区予選で踊っていた高橋さんを綺麗だと思った。だから、自分を信じて頑張ってみてほしい……です……」


 照れから言葉が少しずつ尻つぼみになる。高橋さんのことを思い出したのは確かで、見事に踊りきったことで三年生の先輩たちから絶賛されていたことを思い出した。けれど、それと同時に振り付けの影響でチラチラと見えていたスポーツブラやスパッツといった衣類、太陽の光を反射するように輝く太ももや二の腕、動きに応じて躍動するその大きな胸という思春期にとっては目の保養になるものまで思い出して、思わず照れてしまった。

 そんな僕の低俗な思考には気づいていない様子で高橋さんの顔は段々と明るくなり、花が咲いたような笑みを浮かべると僕の手をガシッと握った。


「ありがとう、優汰君! 私、頑張ってみるよ!」


 僕の手を握る高橋さんの手の柔らかさと温かさ、そして向けてくる笑顔の明るさはまるで夏の太陽のように僕の心と体を熱くした。


「高橋さんも、『名は体を表す』を体現したような人なんだな」

「何か言った?」

「ううん、なんでもない。演技発表、頑張ってね。僕も応援しているから」

「うん、ありがとう!」


 高橋さんは嬉しさからか、握る力を少し強くしながら言う。

 目の前に居る高橋さんは、漢字は違うけれども名は体を表していた。彼女は間違いなく美しい夏の妖精のような人だった。

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