ユーティルダ大戦・前日譚

那由羅

勇者ユーリウスの決意

(どうして、こんな事に…っ?!)


 夏でもないのに、額から汗が止まらない。

 風邪を引いた訳でもないのに、寒気が止まらない。

 ただ背後にぴったりとついてくる現実が信じられず、勇者ユーリウスは出来るだけ視界からソレを外す他なかったのだ。


 眉太く濃ゆい顔の、筋肉女子の存在を───


 ◇◇◇


 ───話は半年前に遡る。

 かつて大魔王を打ち倒した真の勇者の末裔であるユーリウスは、大陸の向こうにいるという魔王の討伐をマクファーデン王により命じられた。


 末裔、と言っても、ユーリウス自身は寂れた村のしがない木こりの息子だ。

 いきなりの魔王討伐命令に少々面食らったが、木こりの年収に相当する支度金に目が眩み、あれよあれよと討伐の旅に出る事となってしまった。


 旅自体は順調だったと言える。

 支度金は十分あったから、近くの町で最高装備を整える事は出来たし、期限が設けられていた訳ではないから、時間をかけて戦闘経験も積めた。


『お膳立てはしてやったんだから、しっかり魔王を倒してこい』と圧をかけられているようで気味が悪かったが。

 それでも、華やかな城下町、ご先祖様の墓がある遺跡の探索、スリルがある戦いの日々に、ちょっとだけ浮かれたのは確かだ。


 王国周辺の魔物との戦いにも慣れ、装備を整えたユーリウスは、意を決して隣の大陸へ通じているという洞窟へと足を踏み入れた。


 その洞窟の途中で遭遇したのだ。

 魔物の中でも最強種と言われている存在、ドラゴンに。


 万全の状況で挑んだとは言え、相手は魔王の眷属であるドラゴンだ。

 視界を真っ赤に染める炎のブレスは、ギリギリで躱してもその熱波で産毛が焦げた。強大なかぎ爪がひとたび振るわれれば、鉄の盾で受け止めても吹き飛ばされた。

 言うまでもなく、戦いは熾烈を極めた。


 だが、どうにか勝てたのだ。

 手持ちの薬草は尽き、回復魔法を使うだけの魔力もない。そんな中、当てた一撃がたまたまドラゴンの急所を突いた、まさに辛勝だった。


「おお、勇者様!よくぞわたくしを助けて下さいました!」


 ドラゴンが起き上がってこない事を恐る恐る確認していると、その先から仰々しい野太い声が上がった。

 どうやらドラゴンがいた場所は小部屋の入り口だったらしい。その先にいた人物に、ユーリウスは目を丸くした。


 ダークオレンジ色の艶やかな髪はふんわりとカールされて腰まで伸び、その頭頂には銀のティアラが飾られている。

 キリリとした黒い眉の下で煌めくエメラルドグリーンの瞳は意思の強さを感じさせる炎が秘められており、眼光だけでも並の兵士は竦みあがってしまうだろう。

 キュッと引き締めた唇にはピンクの紅が引かれているが、似合っているかと問われたら『ノー』と言ってしまう自信がある。


 黄色いドレスは彼女の体のラインを正確になぞっているが、そこに女性的な色気は感じられない。むしろ肩に盛られたパッドは、彼女の三角筋をよりアピールする為にあるのではないかとも思えた。

 それだけこの人物は筋骨逞しいのだ。マッチョと言っても差し支えない。


 女性的な格好でありながら、決して女性とは思えない容貌に、一瞬魔物が化けた姿か勘ぐってしまった。

 だが断片的とは言え、その容姿と首に下げたネックレスの形状は、王城で聞いた話とどうしても一致してしまうのだ。


「わたくしは、マティルダ=マクファーデン。マクファーデン国の王女でございます」


 ドレスのスカートを摘まみ、ぎちりと全身の筋肉を軋ませながら為されたカテーシーは、王城にいた誰よりも気品に満ち溢れていた。


 ユーリウスは、魔王に攫われ行方不明になっていた姫君を意図せずに救出していたらしい。


 ◇◇◇


「「………………」」


 来た道を引き返し、洞窟から脱出した後もユーリウスとマティルダは無言のまま歩き続けた。

 女性を長らく歩かせるのは良心が咎めたが、自分よりも頭一つ高いマティルダを抱き上げる気力はユーリウスにはなかった。


(と、とりあえず王城に戻って姫を引き取っていただこう。仮に魔物だとしても、あちらならば何とかしてくれるはず…)


 西にある城の影に目をくれ、ユーリウスは顔を渋くする。移動魔法が使える分の魔力を残しておくべきだったと、後悔してしまう。


 なお、ここから北へ向かった先に温泉街があるのだが、立ち寄る気持ちには到底なれなかった。うっかり一泊して、『ゆうべはおたのしみでしたね』なんて店主に言われたら、もう何か色々と立ち直れない。


 幸い、王城まではそう遠くない。日が明るい内に到着は出来るだろう。


 ───と思ったのだが。

 海岸に面した断崖絶壁の街道を移動中、それは起こってしまった。


「あーーれーーっ!?」


 何だその悲鳴は、と思いつつも振り返れば、今まさにマティルダの姿が街道の端から海へと消えかけて行く所だった。


「姫!?」


 こんな広々とした街道でどこを何したら崖方向に足を踏み外すのか、など訝しむ暇すらなかった。ゆっくりと体が海へ投げ出されていく彼女に飛びつくように、ユーリウスは思わず右手を伸ばしていた。


 がむしゃらに掴んだのは、マティルダの右手。手甲を身に着けたユーリウスの手よりも大きいのではないかと思われる、剣だこが出来た逞しい手だった。


「ぐっ!?」


 手を掴んで安堵した途端、現実に引き戻される。

 マティルダの全体重が右腕にかかり、ユーリウスの体はあっという間に転倒。そのままずるずると崖の方へ引きずり込まれていく。


(ま、まずい………このままじゃふたりとも海に真っ逆さまだ…!)


 海に落ちて溺れるのも十分恐ろしいが、確かこの真下は岩礁が軒を連ねていたはずだ。体が叩きつけられればただではすまない。


 こうしている間にも、ユーリウスの体はマティルダの重さを支えられずに海岸線へ身を乗り出していく。

 視界に入った白い花を左手で掴むも、すぐに引っこ抜けてしまい手掛かりにはならない。近場には爪を立てれそうな岩もない。

 絶体絶命だった。


「勇者様ー、どうか手を離して下さいませー!あなた様まで落ちてしまいますワー!」


 ユーリウスを案じるマティルダの言葉が、どこか棒読みに聞こえるのは気のせいだろう。街道の土に五本の爪痕を残しながらも、ユーリウスは必死に声を張り上げた。


「マティルダ姫!どうか手を離さないで下さい!必ず、必ず、助けますから───あ」


 不意にガクンと、体のバランスが崩れた。

 辛うじて支えにしていたごつごつした岩場の一角が、ふたりに巻き込まれる形で崩れてしまったのだ。

 岩場とマティルダを巻き込む形で、ユーリウスの体は海の空に投げ出されていた。


(せめて姫だけは、守る───!)


 空に体を絡めとられる中、ユーリウスは決意を胸に腹を括る。

 一国の姫だからとか、女性だからとか、そんな事は関係がなかった。

 誰かの為に勇気を振り絞り行動を起こせる者こそが、勇者なのだから。


「おおおおぉぉおぉおぉぉおおおっ!」


 右手を握りしめたまま上背うわぜいのあるマティルダをどうにか抱え込み、ユーリウスは海に背を向ける。

 今出来る精一杯がこれとは情けないが、これしか思い浮かばなかったのだ。


 あとは、ユーリウスの体が岩礁の衝撃を受け止めてくれるだろう。

 ユーリウスの上に乗るマティルダは、最低でも岩礁で怪我を負う事はないはずだ。

 酷い惨劇を彼女は見てしまうかもしれないが、こうなった以上生きてくれさえしてくれればいい。


 人生最後の自由落下を満喫する間、ユーリウスの脳裏に色んな疑問が駆けて行った。


 何故、あんな場所に姫が閉じ込められていたのか。

 何故、洞窟の道中の魔物は皆伸びていたのか。

 何故、姫がいる通路だけ燭台が灯されていたのか。

 何故、遭遇直後のドラゴンは悲しそうな金切り声を上げていたのか。

 何故、姫は足を踏み外す程に崖に近づいていたのか。


 どの疑問も、答えてくれる者はいない。答えてくれる時間もない。

 海のうねりが近い。舞い上がった飛沫が顔を濡らす。


 ───そして。

 岩礁に胴体を引き裂かれる衝撃も、水面に背中を叩きつけられる衝撃も味わう事もなく、ユーリウスの意識はそこで途絶えてしまった。

 勇者ユーリウスの冒険が終わってしまった瞬間だった。

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