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    切ないです。


    【追伸】

    貴重な情報、ありがとうございます。とても参考になります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そういう生い立ち+彼の個性がそうさせるのか、若いころはハチャメチャな生活をしていたようです。ビートルズとしてデビューする直前に学生時代からの恋人シンシアと結婚。この結婚は当時は「秘密」とされていたそうです。シンシアとの間の息子、ジュリアンに対しては、「ビートルズとして多忙だったこと」「『父親』という存在がどんなものかわからなかったこと」で、うまく息子と向き合えなかった、という事でした。傷ついたジュリアンを慰めるためにポールが作ったのが有名な”Hey Jude”です。

    オノ・ヨーコと結婚し、息子ショーンが誕生しますが、この時にジョンはすべての仕事を取りやめ、「ハウスハズバンド」としてショーンの育児に全面的に関わりました。ショーンを育てることで、ジョン自身の内面も「失われた子供時代」を取り戻すことができ、平安な心を持つことができるようになったそうです。

    内面の充実を得たJohnは1980年に音楽活動を再開。アルバム”Double Fantasy”をリリースしました。1曲目の"(Just Like)Starting Over"は、”Mother”のような重々しい梵鐘ではなく、軽い小さな「リン」の音で始まります。アメリカへの永住権などでイギリスに帰ることがなかったJohnとヨーコは「この曲がチャートで1位を取ったら、イギリスに里帰りしよう」と約束していたそうですが、1980年12月8日、凶弾に倒れてしまいました。皮肉なことに、その週のビルボードで、1位を取ったのが、”(Just Like) Starting Over"だったそうです。

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