第3話 キス
「い、いやぁ、それにしてもびっくりした。成君、もう大丈夫かい?」
四つの椅子が付いているテーブルに、俺と母さん、芳樹さんと凪ちゃんの組み合わせで向かい合って座ってる。
芳樹さんは、さっそく向かい側から俺を心配してくれた。
「す、すいません。ちょっと自分でも泣いた理由がわからないんですけど……」
そもそも、こんな歳にもなって人前で涙を流すこと自体恥ずかしい。
芳樹さんとは目を合わせることができず、凪ちゃんの方も当然見ることができない俺は、ただ下を向いて頰を掻くしかなかった。
隣で母さんが深々とため息をつく。
「どうせまだ酔いが残ってるんでしょうよ。あれだけ新しいお父さんが来るって言ってたのに、前日に夜遅くまで飲み会行ってるから」
「あ、あはは……。ま、まあまあ、晴美さん。成君も大学生ですから。色々と外せない約束とかあるのは充分僕も理解できますし」
「あら。ということは芳樹さんも大学生の頃はこのバカみたいに飲み歩いてたってことかしら〜?」
「あ……! い、いえ、そのっ……ははっ。否定はできないですね。どうしたって楽しい時期だったので」
俺のしている仕草と似たように、芳樹さんも頬を掻いてバツが悪そうに苦笑する。
母さんはそれを見て、笑み混じりのジト目で凪ちゃんの方を向き、コソコソと囁いた。
「凪ちゃん。凪ちゃんはパパとこのお兄ちゃんみたいにお酒飲み過ぎることないようにね?」
凪ちゃんは食べていたいちごのバウムクーヘンをお皿の上に置き、大きく頷いて、
「でも凪、まだお酒飲めないよ?」
探るような上目遣いで母さんに返していた。
ほんと、見れば見るほど奈桐だ。
また泣きそうになる。茶でも飲んで誤魔化さないと。
「凪は来年幼稚園の年長さんになるんです。今は年中さんなので、あともう一年ほど幼稚園に通う計算になるかな?」
「あらぁ。でもそうよね。四歳だし。だったら、今通ってるところとは別の幼稚園へ転園するって形になるの?」
「そうなると思います。その辺りはもうこの子にも言ってあるので大丈夫なんですけどね。なぁ、凪?」
芳樹さんに頭を撫でられながら問われ、凪ちゃんはモグモグしながら頷いた。
小動物みたいで果てしなく可愛い。
「この辺りの幼稚園って言ったらどこになるんだろうね? 成、あんたわかる? 知ってそうよね?」
「いや、何で知ってそうだと思った? 何の脈絡もなく息子をペド扱いするのやめてくれません?」
「何よ。誰もペド扱いなんてしてないじゃない。単純に聞いただけなのに、何? あんたもしかして、そういう節があるから母さんのこと疑ったの?」
「違うから。それだけは断じて違うから。あと、この辺にある幼稚園って言ったら、丸の星幼稚園とうたかた幼稚園、松江野幼稚園に伏見幼稚園だよ」
「すごく詳しい……。え……? え……!? えぇ……!?」
「やめて!? せっかく頼まれたから答えたのに! そうやって裏切るような反応するのやめて!?」
てか、あんたも知ってるはずでしょうが! 俺とか奈桐が小さい時、この辺の幼稚園のこととか調べてただろうし!
「あはははっ! いいツッコミだね、成君。面白いよ。はははっ!」
「っ……(汗) わ、笑ってないで止めてください……。このおばさんの暴走を……」
「誰がおばさんですってぇ!? このバカ息子! ぴちぴちのお母さま、でしょうが!」
言いながら、グリグリと俺の頭を左手で掴んでくるオカンさま。
しかし、無理がある。ぴちぴちとかどう考えても。凪ちゃんも笑ってるし。
「ふふふっ。でもまあ、とりあえず凪に通わせようと思っているのは、さっき成君の言っていたうたかた幼稚園です」
「あら、そうなの! だったら成と一緒じゃない! この子もそこに通ってたのよ、小さい頃!」
奈桐もな。
心の中で思うものの、それを口に出すことはない。
芳樹さんは「ええ」と頷いていた。
「それは聞いてました。成君もその幼稚園に通っていた、と」
「「え……?」」
俺の母さんの声が重なる。
芳樹さんに言った覚えなんかない。通っていた幼稚園なんて。
「凪が教えてくれたんです。今度一緒に暮らすお兄ちゃんは、うたかた幼稚園に通っていた。だから自分もそこへ通いたい、と」
「……???」「ど、どういうこと?」
「夢で見たらしくて。不思議な話ですけど、成君がうたかた幼稚園に通っていたところ」
冷静ではいられなかった。
俺はぽかんとする母さんを横に置き、質問する。
「で、でも、俺と凪ちゃんは今日初めて会いましたよね……? 凪ちゃん、どうして俺のことを知ってるような感じで……?」
「そこが僕にもわからなくて。凪に聞いても、この子はただうたかた幼稚園に通いたいって言うだけなんだ」
「っ……!」
首を傾げ、本当にわからなさそうにしている芳樹さん。
俺は思わず凪ちゃんの方を見やってしまった。
目が合えば、また訳のわからない感情が溢れ出しそうで怖くて。
だから、この子のことをちゃんと見つめることができなかったのだが……。
「凪ちゃん……君は……」
今ばかりは、そうも言ってられない。
出かけた疑問は願望に似た問いかけ。
君は奈桐の生まれ変わりか何かなんじゃないか?
でも、その言葉が頭の中に浮かんだ途端、現実的な自分が同時にそれをせせら笑った。
『そんなわけがない』
『この状況でふざけた質問をするな。また恥でもかく気か』
そのおかげで一瞬で冷静になれた。
だけど、冷静になって、俺は落ち込むみたいにして視線をまた下の方へやる。
そうだ。そんなわけがない。
俺が前にしているのは、奈桐じゃない。
奈桐とは別の、藤堂凪という女の子だ。
バカげてる。
また俺はひどい勘違いを……。
「……え?」
けど、そんな折だ。
ハッとした。
感じる人の気配。
うつむかせていた顔を上げ、左隣を見つめれば、そこには向かい側の椅子から移動してきたであろう凪ちゃんの姿があった。
背丈は座っている俺よりも少しばかり低い。
ただ、それがまた懐かしくもあった。
この目線、かつての俺たちと一緒だから。
「成、来て?」
「へ……? あ、ちょっ……!」
唐突に凪ちゃんは俺の手を強く引き、椅子から立ち上がらせる。
そしてそのままグイグイ引っ張り、リビングから階段下まで俺は連れて行かれる。
芳樹さんと母さんの声も背後から聞こえてくるけど、凪ちゃんはお構いなしだ。
俺の手を引き、階段をそのまま上がらせ、やがて俺は俺の部屋まで連れ込まれてしまった。
変な話だ。
「な、凪ちゃん……!? い、いったい何を……!?」
「……しゃがんで?」
何も聞いちゃいない。俺の問いかけなど何も。
でも、俺は不思議なくらい彼女のお願いを素直に聞き入れていた。
混乱しながらしゃがみ込み、やがてまた同じ質問をしようとする。
「凪ちゃん……何でこんな……」
刹那。
俺は、目の前に立つ小さい女の子に唇を奪われていた。
それは、優しく、甘い、確かなキスだった。
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