第3話 犬ではなく狼
アガサはニンジンを丁寧に洗い、皮をむく。それを少し厚めに切った。きざんだ玉ねぎをバターでいため、しんなりしたところで、ニンジンも一緒に炒める。
──確か、獣人は人間よりの食品でよかったはずね。
犬猫には禁忌である玉ねぎだけれども、獣人世界では普通に食べられていると聞く。
獣人は『人類』であって、獣ではない。一生、獣の姿をとらない獣人だっているらしい。
アガサは今まで獣人に会ったことはなかったが、学院ではそう習った。
「聞いてみて駄目だったら、他の物を考えればいいか」
アガサは独り言つ。冬はあまり買い出しに行けないため、材料のバリエーションがない。消化のいいもので栄養価の高いものとなると、他に思いつかなかった。
水を入れてコトコトとニンジンが柔らかくなるまで煮ると、マッシャーでニンジンをつぶす。ドロドロの液体になったところで、鳥ガラでとったスープを加えて塩コショウで味を調えたら完成だ。
アガサは出来上がったニンジンのポタージュスープを器によそって、レックスの寝ている部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
レックスの声を確認して、アガサは扉を開く。
「食事を持ってきたわ」
アガサはベッド横に置かれているテーブルの上にのせる。
「ありがとう」
レックスは礼を述べ、スプーンを手にした。
「念のため聞いておくけれど、玉ねぎは食べられるわよね?」
「子供じゃないから食べられるよ。好き嫌いはない方だから」
レックスは苦笑する。
「本当に大丈夫? 犬には玉ねぎは毒だけど」
「犬?」
念を押すアガサに、レックスは首を傾げた。
「あなた、犬の獣人でしょう?」
アガサの問いにレックスは顔をしかめた。
「違うの?」
「えっと、まず、犬じゃない。狼だ」
コホンとレックスは咳払いをした。
「狼?」
言われてみれば、やたら大きい犬だとはアガサも思った。だが犬は種類によってはかなり大きいものがいる。まして、魔獣なら普通の犬の倍の大きさはあって当然だ。
「あと、どうして俺が獣人だと?」
レックスは怪訝な顔をする。
「どうしても何も、見つけた時は、犬、ううん、狼の姿だったわ。朝になったら人間になってびっくりしたもの。その後だって、日の出日の入りを区切りに、姿が変わっているし」
「え?」
アガサの話にレックスは心底驚いたようだった。
どうやらアガサの事前の知識通り、獣人は人間の姿が通常の姿で、本人の意思に関係なく獣化するものではないらしい。
「獣化を繰り返す?」
レックスは怪訝な顔をする。にわかには信じがたいようだ。
「普通のことではないのね?」
アガサは確認する。レックスは静かに頷いた。
「よくわからないけれど、あなたは大怪我をしていたわ。何か関係があるのかもしれないわね」
少なくともこの家にある資料には、そんな現象について書かれていなかった。だから、怪我が治れば、もとに戻るのかどうかは、アガサには全く分からない。レックスもそんなことが起こるとは思ってもいなかったようだ。どうやらレックスにとっても今まで聞いたこともない現象らしい。
「詳しいことは私にはわからないわ。とりあえず、食事をして体力を取り戻して」
「……ああ」
レックスは頷いて、スープの器を手をのばす。
「すごくいい香りがする」
険しかったレックスの顔が少しだけ和らいだ。
「いただきます」
レックスはアガサに頭を下げてから、スープをさじですくって、口に入れた。
「おいしい」
数日間何も口にしていなかったのだ。かなり空腹を覚えていたのだろう。レックスはあっというまにスープを平らげた。
「口にあったようでよかったわ。様子をみて量を増やしていくつもりよ。腹を切っているから、用心はしたほうがいいから、今日はこれでがまんして」
それにしてもレックスは随分と顔色がよくなった。回復は早そうだ。
「お世話をかけます。このご恩は必ず返しますので」
レックスが頭を下げる。
「必要ないわ」
アガサは首を振った。
「傷が治ったら出て行って欲しいから」
「……」
アガサの言葉にレックスは驚いたようだった。
「安心して。怪我が治るまでは追い出したりはしない。あなたを助けたのは私の気まぐれだから恩に着る必要もないわ」
素っ気ないアガサの言葉に呆れたのか、それとも諦めたのか、レックスは何も言わない。
「なんにせよ、今はけがを治すことだけを考えたほうがいいわ」
アガサはレックスに横になるように言って、食器を片付けた。
アガサはこの森に一人で住んでいる。冷たいようだが、アガサはもう長い間、誰かと生活することがなかった。それにアガサは女性で、けが人ならまだしも、元気な若い男性と一緒に暮らすのはかなり抵抗がある。ケガが治る前に放り出すようなことはしないが、そのあとのことまでは面倒を見る気はないのだ。
「俺は……」
レックスが何か呟いたが、アガサには聞こえなかった。
窓がカタカタと音を立てている。外は吹雪のようだ。
「もうすっかり良くなったわね」
傷口はくっついて綺麗に治っている。驚くほど治癒のスピードが速い。
「やっぱり、俺は恩を返したい。なんでもするから、少しの間でいいからここに置いてくれないか? それに──」
レックスの言葉は、バンという風の音にかき消された。家が揺れるほどの風だ。
しゅんとしているレックスは、まるで捨てられた子犬のようだ──実際には狼だそうだけれど。
窓は相変わらず音を立て、隙間から冷たい風が吹き込む。
アガサは大きく息を吐いた。傷は治ったけれど、今、外に出るのは自殺行為だ。それにまるで一度拾った捨て犬を、また捨てるような罪悪感がある。
──仕方ない。
先程アガサには急に仕事が入った。こんなことを延々と考えている暇はない。
「さすがにこの吹雪の中、出ていけとは言わないわ。部屋は空いているから好きなように使って。仕事が入って立て込んでいるから、その邪魔をしないようにするなら、好きなようにしてかまわないわ」
「ああ、ありがとう」
レックスは顔を輝かす。
「天気が良くなって、気が済んだら出て言ってね。それじゃあ、私は仕事だから」
アガサは軽く肩をすぼめて、作業場へと向かった。
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