拾った犬は、狼皇子でした
秋月忍
塩漬け肉とゴロゴロ野菜のシチュー
第1話 犬?を拾いました
中天に輝く満月が、降り積もった雪を照らしている。
森の獣たちもあまりの寒さに身を潜めているようで、しんと静まり返っていた。
雪のせいで道がどこにあるのかわからなくなった森を、アガサは一人、かんじきを履き、そりを引いて歩いていた。
アガサは森にすむ魔法使いだ。
近隣の村に薬を売って生活している。今年で三十一歳になるが、魔法使いとしてはまだ半人前だ。
こんな凍てつくような夜更けに出かけるのはもちろん意味がある。
雪の降り積もった月夜にしか採取できない『月の雫』を採りに行くのだ。
アガサは月明かりを頼りに、湖のほとりで荷を下ろす。
こんなに寒い日でもエイハス湖は凍らない。
青白い月に照らされた水面を雪に冷やされた風がわたっていくと、キラキラと光る結晶が月に照らし出されて乱反射する。
「うん。大漁!」
アガサはその結晶を持ってきた瓶に集めると、大きく伸びをした。
空気は凍るように冷えていて、肺に冷たい空気が満たされる。
その時、アガサは違和感を覚えた。
この場に似つかわしくない匂い。
「血臭?」
アガサは警戒して辺りを見回した。
辺りはしんと静まり返っていて、何かが動くような気配はない。
「あれは……」
湖のほとりの雪の上に、何かが倒れていた。
月の光を溶かしたような銀の毛並み。大きさは大人の人間ほどある。
「大きいわ。犬かしら?」
アガサは、光の呪文を唱えた。
おびただしい血が、白い雪を朱色に染めている。腹部に大きな刀傷。それ以外からも出血はありそうだが、長い血まみれの毛のせいでよくわからない。
意識を完全に失っているようだが、呼吸はしている。
「まだ生きているわ」
手負いの野犬を手当てしても助けられるとは限らないし、助けなければいけない義理もない。
ただ、このままここに置いておけば、この寒さだ。まず助からないだろう。
「ファリンの葉があってよかったわ」
アガサは手荷物の中から、止血効果のある薬草を取り出す。
大きな青々としたその葉を、傷口に当て、布を巻いて固定した。
そして、自分の着ていたコートをその体にかけ、野犬に浮遊の魔法をかける。
すると、ふわりと犬が浮かびあがった。
「ふう。とりあえず、家まで運ばないと」
ここでは十分な治療ができないし、寒すぎる。
「それにしても大きいわ」
魔法があるからこそ、動かせるけれど、そうでなければ、家に帰って荷車を取ってこなければとてもではないけれど無理だ。大人の人間ほどの重量がある。
ここからアガサの家までかなりの距離だ。
「間に合えばいいのだけど」
アガサは、祈りながら、帰路を急いだ。
家に帰るとアガサは、客室に置かれた予備のベッドの上に野犬を寝かせた。
「光よ」
ランプの明かりだけでは暗いので、光の魔法で部屋を明るくする。
まずは傷口近くの毛を剃り、怪我の状態を確認していく。
体毛に森にはない鉱石が絡まっているところから見て、森に棲んでいる生き物ではないだろう。森の向こうにある岩山の方から来たのだろうか。
四肢に、五か所の咬傷。腹の傷は、おそらく刀傷だ。
一番深い怪我は腹の傷だが、咬傷の方も獣の牙が深く入った傷で、油断できない。
見つけた時は気づかなかったが、かなり弱い魔核を感じる。
魔核を持つということは、普通の獣ではない。いわゆる魔獣だ。
大きさ的にみて、かなり名のある魔獣だったかもしれない。
魔獣だったとすれば、治療してよいものか悩むが、魔獣イコール悪というわけではなく、聖獣とか神獣とか扱われているものも多いのだ。そういったレベルの魔獣の死は、自然災害のもとになったりもする。
魔核の大きさからみて、かなりの力を持っていそうだ。
アガサは、傷口をうすい塩水で丁寧に洗っていく。
幸い臓器には大きなダメージは入っていなくて、アガサはほっとした。
出血している部分を確認して、火の魔法で焼いていった。
「はぁ。さすがに傷が大きいわ」
皮膚を寄せ、縫合していくのは、かなり神経を使う。アガサは魔法使いであって、医者ではない。
薬は扱うが、手術のような外科治療は専門外だ。
「やっと終わった……」
なんとか縫い終わると、歯茎に飲み薬を塗り付ける。
「ああ疲れた」
使用した道具を片付け、アガサは大きく伸びをした。
まだまだ予断を許さない状態だが、アガサができることはしたので、この獣そのものの生命力に賭けるしかない。
「夜明けまでまだ少し時間があるわね。ひと眠りしよう」
窓の外がまだ暗いのを見て、アガサはソファに横になった。
朝の光が差し込んでいるのに気付き、アガサは目を開ける。
規則正しい呼吸音にほっとしながら、立ち上がって、ベッドの方へ眼をやった。
「えええええええっ!」
銀色の大きな獣の姿はそこにはなく、銀髪の大怪我をした成人男性が横たわっていた。
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