第1章 第2節『看護学部の制服はおいくらで』

 どこの世界にも好事家というのはいるものだ。そんなことをぼんやり考えながらネクロマンサーはベッドに身を横たえて、夜が白むのを待っていた。

 最近、私の所属するアカデミーの看護学部ではおかしなことが流行っている。女学徒が自分の制服を闇市に密売するというのだ。若い女性の美しさを示すシンボリックな物品というのものは、一部の好事家やいわゆる変態と呼ばれる人々には大枚をはたいても惜しくはないということがあるらしいが、そうした感覚は全然わからない。ただ、周りの看護学部の同級生たちは、しきりに小遣い稼ぎに勤しんでいる。なんでも最近では、値段を吊り上げるために着装者の魔術記録を添付する「お顔付」なるものが人気を博しているそうで、お顔を美しく記録するために魔術記録に様々な細工をして盛るのが流行りなのだという。事程左様に、教室からは制服が次々と消え、汚損を理由とした再支給の申請が後を絶たない。アカデミーの事務方は頭を抱えているそうだ。

 まあでも、私にはそんなことは関係ない。


 私は、本科を死霊科に置き、看護科を掛け持ちするネクロマンサーにすぎない。地味な私の制服など欲しがる者は、余程の物好きでもいないだろう。なにより、その闇市とやらがどこで開催されているのか、そんなことは知らないのだ。それより、二科の掛け持ちで忙しい日々をどう前向きに紡いでいくかの方が遥かに大切で、よそ見をしている暇などなかった。

 寝返りを打つと、壁に掛けた制服が目に入る。こんなものが、とんでもない値段で売れるこの社会はどうかしているわ。もしかして、私の制服も皆のようにお顔を盛ったりすれば売れたりするのかしら、そんなことを思いめぐらせているうちに、薄明りの窓の外から小鳥の早朝のさえずりが聞こえ始めた。朝だわ。

 彼女はゆっくりとベッドから起き上がり、やかんを火にかけた。小さなテーブルにつき、パンとハムを用意する。コーヒーも入れよう。やかんが沸騰を告げる。ひととおり朝食の用意を済ませ、乾いたパンと塩辛いハムをコーヒーで喉に運んだ。陽が少しづつ高くなる。

 用意を済ませ、寮の自室を施錠する。今日は看護学部の回復術式の実習の日だ。いつもなら赤と黒の禍々しい死霊科の制服を着て出かけるところだが、今日は一部で「桃衣」として人気を博しているらしい看護学部の制服に身を包んでいる。明け方の思索ともつかないものふけりのくだりを反芻しながら、彼女は看護学部棟の方へ歩みを進めていった。

 寮から看護学部等までは少し距離がある。小高く丘になったところ、そこには食堂などがあり、昼間には多くの学徒で賑わいを見せる、その場所の脇を通り抜けて丘を下りつつ、大教室棟の方へ向かう。そこには暗黒魔導士科と魔術師科の教室が軒を連ねている。彼女たちは華々しいが、暗黒魔導士科の学徒たちは少し能天気であけすけだし、魔術師科の学徒たちは純血魔導士科の優秀な学徒たちに負けまいと目を血走らせて勉学に励んでいる。そのがつがつとした向学心は正直あまり得意ではない。


 そんなことを考えながら丘のくだりに差し掛かったころ、ちょうど暗黒魔導士科の教室への入り口があるあたりだ。そこから私を呼び止める声が聞こえた。

「ねぇ、ねぇってば!聞こえてるんでしょ。」

 振り返ると同じ年頃のウォーロックの子が私を呼んでいる。気づかぬふりでとも思ったが、こちらが気づいたのを察したのか、ずんずんと近づいてくる。

「ちょっと、聞こえてるなら返事くらいしてよ!」

「え、はい。あの、ごめんなさい。」

「ねぇ、死霊科の4年生で看護科と掛け持ちしているネクロマンサーって、あなたのことでしょ?教えてくれない?その制服ってどこで売ってるの?」

「あの、何のことですか?」

「だから、その制服を売っている場所を教えて欲しいのよ。」

「これは看護学部の支給品ですから、買うことはできないかと…。」

「そんなことを聞いているんじゃないわ。だから…」

「あの、これが欲しいのですか?」

「あなたの着古しなんて興味ないわよ。そうじゃなくて、この制服が取引される闇市のことを知りたいの。」

 合点がいった。しかし、このウォーロックはなぜそんなことを聞くのだろう。

「あの…、看護学部の制服が最近不正に取引されていることは私も知っていますが、残念ながら私は制服を、あの…、まだ売ったことがないので、闇市の詳しいことは知らないんです。」

「ふーん。あなたみたいな美人の制服なら絶対高く売れてるはずだと思ったんだけど、眼鏡違いだったかな?」

 よくわからないことを言う。しかも、勝手に眼鏡違いとは失礼きわまる人だ。これ以上関わっても仕方ない。そう思ってその場を離れようとするが、声はまだ続く。

「ねぇ、お願いがあるの。私に手を貸してくれない。事情があってその制服が取引される闇市の開催日時と場所を突き止めたいのよ。」

 ますますわからない。しかも、こちらのことはお構いなしだ。

「実はね。私、あるものを探しているの。どうやらそれはガブリエルの加護を受けたものらしくて、看護学部の制服が取引される闇市で売りさばかれる可能性が高いらしいのよ。それで、闇市のことを調べてるの。」

 それが、私と何の関係があるのか?

「それで、秀才で美人と噂の掛け持ちネクロマンサーのあなたを探していたわけよ。」

「あの、残念ですが。私ではお役に立てません。別の看護学部の方に当たってください。」

「そうはいかないわ。手伝ってもらうには一通りの護身ができる人じゃないと困るもの。」

 手伝う?なぜ私が手伝うことになっているのか?それに護身とはどういうことだ?

「相手はね、泥棒なの。それに闇市なんかに踏み込んでいくわけだから、攻撃術式の一つもできる人と一緒じゃないとね、なにかと困るのよ。回復術式や治療術式しかできない看護学部の人を連れて行ったって、足手まといになるだけでしょ?」

 ウォーロックは思うままにしゃべる人が多いとは聞いていたがこうまでとは思わなかった。

「それでね、あなたを探してたの。死霊科との掛け持ち生って思ったより少なくてね。4年生ではあなただけでしょ?ねぇ、私に力を貸してくれない?あなた、攻撃術式や召喚術式は使えるのでしょ?」

「はい。それはもちろんできますが…。」

「なら、決まりよ!」

 何が決まったのだろう。遠くで予冷の鐘が鳴るのが聞こえる。

「いけない!授業が始まるわ。今日遅刻すると補習なのよ。もう行くわね。お昼に丘の横の泉のほとりで待ってるわ。絶対来てよ。いいわね!」

 そう言い残しながら嵐が去るようにそのウォーロックは駆けていった。何だったのだろう。とりあう筋合いもないが、私にもそんなことを考えている余裕はない。急がなければ遅刻してしまう。看護学部棟へと足を早めた。


 * * *


 思いがけない嵐に遭遇したが何とか間に合った。教室に入ると、中が騒然としている。どうやら、また制服の密売がアカデミーの事務方に露見したらしい。教卓には随分と不機嫌な事務方教員がいる。

「全員席につけ!」

 その不機嫌が声の形を得た。

「またしてもアカデミーからの支給品である看護学部の制服を闇市に売りさばいた不届きものがいる。君たちはいったい制服を何だと考えているの

だ?」


「お金の種です。」

 そんな小声が聞こえた気がした。

「とにかく、今後は制服の支給は汚損品との交換を前提とする!」

「えー!」という抗議の声が上がる。

「これからは汚損品との交換でなければ新しい制服の支給はしない。いいか!制服を売りさばく不届きものは今後は下着で講義を受けてもらうからそのつもりでいたまえ。パンツェ・ロッティ教授の点数を稼ぐにはまたとない機会となるだろう!」

 そう言うと教員は席をけって教室を出て行った。教室内が一気に騒然となる。

「どうしよう、今月の寮賃、制服売って捻出しようと思ったのに、困ったことになったわ…。」そんな声が聞こえる。耳をそばだててみると更に色々と聞こえてきた。

「心配ないわ。お顔付の制服ほどいい稼ぎにはならないけど、看護学部の物品なら大抵何でもお金になるんだから!よかったら、今度一緒に闇市に行かない。帽子でも手袋でも何でも売れるわよ!近々だしね。」

 その口調から察するに彼女は闇市の常連のようだ。確かにきれいな顔立ちをしている。彼女のお顔付であればさぞ高く売れるのだろう。そういえば、彼女のお顔付の制服が史上最高値を更新したとか何とかいう話を以前に聞いたことがあるような気もする。


 闇市は文字通り禁忌の場所である。治安維持警察に見つかればもれなく逮捕・補導だ。アカデミーの学徒とて例外ではない。普通の神経ならそんなところに出入りする気にはならないわけだが、やはりお金の魅力はそれだけ大きいということなのだろう。私は、これまでそうした場所には関心すら寄せてこなかった。ところが、今朝方から俄かにしてそうした黒い誘惑が私の周りをしきりにうろつく。どうしたのだろう?いずれにしても、そのような場所に出入りして、悪銭を稼ぐなどとは世も末だと思うが、しかし、先ほどのウォーロックが喜びそうな話ではある。私の耳は自然とその話に聞き入っていた。

「ねぇ、知ってる?今度の闇市には人為のロードクロサイトが出品されるらしいのよ!あの石、回復術式の力の引き出しに抜群の効果があるらしいから、今度の試験に使えるかもね!」

 人為のロードクロサイト!?聞かなくていいことを聞いてしまった…。人為のロードクロサイトとは、つい最近、錬金術と魔法による人為的な錬成が成功した法石で、生命と霊の領域に極めて強い効力を持つとされているものだ。それがあれば、アンデッドの制御を非常によくすることができるという。私は今、メダリオンを使ったアンデッド錬成の儀式について学んでいるが、メダリオンにその法石を使えば、非常に強力なアンデッドを生成できるらしい。また、ロッドにその石を据えてゴーストを召喚すれば、とても特徴的な魂魄を召喚できるという。

 私はゴーストの召喚が好きだ。あの独特のシルエットは何とも愛らしい。とくにあのぷりっとしたおしりがたまらない。スケルトンなんて、ガリガリでなんのかわいげもないが、ゴーストのあのぷりぷりしたおしりを眺めているだけでネクロマンサー冥利に尽きると言ってもいいかもしれない。それは言いすぎか…。いずれしにしても、人為のロードクロサイトを据えたロッドがあれば、召喚するゴーストの姿形をかなり思い通りにできると聞く。俄然興味が沸いてきてしまった。

「あの…。」

 自分でも驚くことに私は思わずその女学徒に声をかけていた。

「その闇市は、…どこで開かれるのですか?」

「驚いた!あなたみたいな優等生が闇市に興味があるの?」女学徒は目を丸くする。そんなに意外か…。

「いえ、あの、どういうところで看護学部の品物が売れるのか少し関心があって…。」

「ふーん。いいわよ。教えてあげる。確かに闇市では何でも売れるけど、制服ほどいいお金になるものはなかなかないわよ。下着でも売ればべつだけど。」

 彼女はいたずらっぽく笑った。まさか下着を売ったことがあるのか?

「でも、ただで教えるって訳にはいかないわね。」

 その口元が意地悪く歪む。

 面倒なことを言う…。

「あの、どうすればいいですか?」

「あなたもアーカムのことは知ってるでしょ?そこで売っている『恋のしずく』と交換ってのはどう?」

 アーカム…、禁断の法具屋。聞いたことはあるが、そこに至るためには知る者だけが知る特別な暗号を解かなければならないとされる秘密の店だ。そういえば先月魔法雑誌で特集されていたが、そんな所への生き方なんかわかる訳がない。関わるのではななかったかもしれない…。若干の後悔にさいなまれながらも二の句を継ぐ。

「もし、それを持ってくれば、闇市のことを教えてもらえるのですか…?」

「ええ、『恋のしずく』さえあれば、あの泥棒猫に取られた彼を取り戻せるもの。ちょっとした荒治療だけどこの際仕方がないわ。」

 そういう彼女の瞳は色濃い光を放っていた。

「そうですか…。探してみますね…。」

「ええ、もし手に入ったら、交換条件よ!」

 そういうと彼女は踵を返し、その取り巻きたちと闇市では何が高く売れるかという話に花を咲かせている。聞こえてくるところでは、彼女たちはお金のためには本当に下着を売るらしい。どこのブランドのものが高く売れるとか、お顔の魔術記録をどう盛ればいいか等、その話は尽きることがない。どうやらロコット・アフューム製の物品が闇市では人気だそうだ。確かに、あそこのブランドの服飾はかわいい。私のような地味な女にでも欲しいと思わせるものがある。

 本鈴が鳴って、教科担当の教授が入ってきた。授業が始まる。講義は昼まで2コマ、みっちりと続いた。


 * * *


 午前の講義終了を告げる鐘がなった。さて、どうするか?彼女は丘の横の泉のほとりで待つと言っていた。そして今、私には、断片的にではあるが闇市に関する情報がある。なによりその闇市には人為のロードクロサイトが出品されるというのだ。いつもの私なら、こうした危険からは身を遠ざけて、安全第一の判断をする。ただ今回ばかりは?思案しながらも私は丘を登って、泉の方へと向かっていた。

「やあ!」

 今朝以来の声が聞こえてくる。彼女だ。

「やっぱり来てくれたんだね!」

 まだ決めたわけではないが…。

「で、どう?手を貸してくれる気になったから来てくれたんだよね?」

 その疑いを知らぬ目が期待に満ちた輝きを増す。

「あの、とりあえず、闇市のことがちょっとだけわかりました。」

「そうなの!どんなこと!?」

「私の看護科のクラスに、どうやら闇市の常連と思しき人がいるんです。」

「で、で?」

「その彼女に闇市のことを訪ねたところ、交換条件を持ち掛けられまして…。」

「うんうん。」

「闇市開催の日時と場所の情報と引き換えに、アーカムで売られている『恋のしずく』を持ってきてほしいと、そう言うんです。でも、あなたも知っての通りアーカムはとても有名なお店ですが、そこに行く方法がわからなくて….。」

「なあんだ!そんなことなら問題なしよ!」

 ウォーロックは大きな目を一層見開く。どういうことだ?

「ここだけの話だけどね。」

 彼女はもったいぶって言葉を続ける。

「本当は秘密にしておくべきなんだろうけど、私とあなたはこれから運命共同体だから話しておいてもいいかもね。」

 運命共同体!?何のことか?

「実はね、私の探し物というのはアーカムからの依頼なのよ。」

 驚いた。この子はアーカムに行ったことがあるというのか?

「この間ね、私、ついにアーカムに至る道を見つけたの。あのコイル巻きの暗号を解いたわけね。」

 なんということだ!ただのお調子者かと思ったが、あの暗号を解いたというからには、魔法使いとしての力は本物なのだろう。興味が沸く。

「それで、アーカムを訪ねたんだけどね。そこで出会った人に、最近アーカムで起こった窃盗事件について相談されたの。その時盗まれた法石を私に取り返してきて欲しいってね。それで、その法石が、ガブリエル関係の物品がやり取りされる闇市、つまり看護学部の制服が売られるその場所で売却される可能性が高いということらしのよ。それで貴方に声をかけたわけ。」

 なるほど。

「ということは、あなたは再びアーカムに行くことができるのですか?」

「もちろん!再びでも三度でも、何度だって行けるわ!」

「それなら、『恋のしずく』を手に入れることもできる訳ですね。」

「もちろんよ。」

 彼女は水筒の代わりにしているのであろう薬瓶の水を一気に飲み干すと、大きく息をついてこう続けた。

「これで話は決まりね。早速アーカムに行きましょう!今日の放課後、いいわね!」

 相変わらず他人の都合を一切気にしない人である。しかし、人為のロードクロサイトのこともある。お金はかかりそうだけどいざとなれば、何か売ってでもお金は作れる。でも、私の下着なんて売れるのかしら?おかしな考えが頭をよぎる。禁忌の場所に近づくというのは正直気乗りしないが、見返りは悪くない。

「それでは、放課後ゲート前で…。」

 気が付けば私の方から場所を指定していた。腹をくくるべきか?

「でも、裏取引の場に踏み込むなんて危険ではありませんか?」

「大丈夫よ!」彼女の顔は自信に満ちている。

「私、こう見えても閃光と雷の領域は得意なのよ。まだ4年だけど、『雷:Lightning』の術式が使えるわ!」

 すごいことだ。人となりはともかく、魔法使いとしての力量は確かに違いない。

「あなただって、『魂魄召喚:Summon Ghost(s)』くらいはできるのでしょ?いざとなればあなたのゴーストをけしかけて、私たちはスタコラよ!」

「ええ、まぁ、魂魄召喚は使えますが…。でも一度にそんなにたくさん召喚できるわけではありません…。」

「大丈夫よ。あなたが優秀であることはいろんなところから聞いているもの。あなたと私の二人ならきっと何とかなるわ!」

 何だろう、この様子だと作戦も何もなしにその場に踏み込むつもりなのだろうか?それともアーカムに応援でもいるのか?複雑な感情が脳裏をよぎる。しかし面白そうでもあるのは確かだ。なにより、人為のロードクロサイトが手に入る機会を得られるというのが大きい。あの法石はまだ錬成されたばかりで市場には出回っていないのだ。

「わかりました。では、放課後、ゲート前でお会いしましょう。アーカムまでの道案内をお願いします。」

「いいわ。よろしくね!」

「はい、こちらこそ。」

 とうとう話がまとまってしまった。午後の講義をどのように過ごしたのかよく覚えていない。どうしたのだろう、私も禁忌の狂気に取りつかれたのだろうか?放課後を告げる鐘が鳴り響く。とにかくゲートに急がなければ。


続く。

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