第54話 万死恐れぬ斥候兵

 敵の進撃路は、比較的海岸に近く、日本艦隊、特に出雲の艦砲射撃は絶大な効果を発揮すると考えられたが、ブリーデヴァンガル属領主府側が


「ヒコーキのバクダンより数倍勝る威力。」


旨を聞くに及び


「大きな集落のほか、点在する小集落や農場などが大きな被害を被ることになり、復興に時間が掛かるため可能な限り避けて欲しい。」


と要請をして来ており、先の焦土作戦案が没になったときと、ほぼ同じ理由により却下となった。

 

 ただしこの場合、敵を10㎞圏内程度まで引き付けてから攻撃(砲撃)を始めることになるため、敵歩兵が戦列隊形として密集してくれれば良いものの、散開し相互に支援しながら前進して来ると少し厄介であるが、こちらが塹壕戦、場合により散兵線という布陣のところ、敵は、こちらも歩兵は戦列隊形か方陣となり、後方に砲兵は配置している想定でいると思われるので、当てが外れたとき、どうするのかは見物であった。

 また、敵騎兵は、驃騎兵ユサールで、最終極面では密集して突撃して来ると思われるので、初期の散開状態よりも、むしろ引き付けた方が、薬研堀に進撃を阻まれる上、集中射撃の標的になりやすいので、対処が簡単と思われた。


 いずれにせよ、敵砲兵は早いうちに野砲など射程距離の長い砲で叩いておき、攻城兵器があれば、これも早いうちに砲撃で粉砕する必要があった。

 

 直近の偵察のため、九七式軽装甲車2輌に十分な偽装を施し、防御線から最も近くにある農村の小集落へ派遣して、森林や茂みの中に潜伏させ、無線で逐次敵情を報告させることにもした。


 戦車中隊長の朝日大尉は、側車サイドカーに乗って防御線の点検に走り回り、兵士の配置や偽装のやり方などを指導して回った。

 戦車も、車体の前面機関銃スレスレのところまで壕の中へ入れて偽装する、ダグ・イン戦法に近い体勢である。


 何よりも、戦場で目立つことを考えがちな、ブリーデヴァンガル属領主府兵とミズガルズ王国兵に、できるだけ目立たないことを納得させるのに手間が掛かった。

 戦場で目立った活躍をして、恩賞を貰うか、出世の糸口にしようとしているのであるから無理もないが、それでは今回の戦いには勝てない。

 正確に言えば、日本軍は負けることはないが、この世界の住人である彼ら自身が死んでしまえば、勝利を得られないということになるのである。


 そうこうしているうちに日が暮れた。

 軽装甲車のうち1台の車長である鴨志田軍曹は、軍刀は車内に置き、特別に支給された百式機関短銃と予備弾倉を持ち、これも特別支給の「言葉の理」の術式が掛かった腕輪ブレスレットを身に着け、集落の外れにある農家の納屋に潜んでいた。


 夜半近く、かなり大勢の話し声がガヤガヤと聞こえ


「すわ、お出でなすった。」


とばかりに、鴨志田軍曹は聞き耳を立てた。


 その内容からすると、どうやら彼らは、その日の野営場所を探し、設定している模様であった。

 2千からの人数を収容には、この集落全部の家屋を使用しても足りない。

 まして、1千の騎兵と馬、砲兵とその輓馬もいるのである。


 旧公国派、ヴァナヘイム王国、南部大陸諸王国の兵たちは、貴族や上級指揮官は村長宅のような比較的マシな家屋を宿泊陣屋とし、そのほかの兵たちは、天幕テントを張っての野営となった。


「これはイケる。」


 鴨志田軍曹は、奇襲の誘惑に駆られた。

 敵はこちらの存在に一切気付いておらず、また、気付かれたとしても、敵には軽装甲車に対抗する術はない。

 特に、払暁、奇襲攻撃を掛ければ、敵は算を乱し潰走する可能性すらあると思われた。

 

 このとき、鴨志田の脳裏にあったのは、太平洋戦争劈頭の香港攻略戦における若林中隊である。

 日本軍は九龍島攻略に数週間掛かると見込んでいたが、英軍の九龍島防衛線であるジン・ドリンカーズラインについて、若林中尉が率いる将校斥候隊は、連隊長の意を受け陣地に突入、防衛線の欠陥を突いてあれよあれよと敵陣を奪取してしまい、九龍島全体を6日で陥落させる先鞭を付け、感状を授与されたのである。


 だがしかし、この戦いは、本来はブリーデヴァンガル属領主府の戦いであって、日本軍は戦いの主体ではない。勝つには勝つであろうが、勝った後の収拾をつけるのは属領主府であることを考えると、たかが下士官ふぜいの自分が「余計な事」はしないに越したことはない、と鴨志田は思い直した。


 軽装甲車に戻った鴨志田軍曹は、敵情をありのままに無線報告した。

 報告にあって


「夜襲ヲ決行スレバ 其ノ効果絶大ナリト認ム。」


と付け加えたが、朝日大尉からの返答は


「現状ノママ敵情ノ把握二努メラレタシ。」


であった。


「まあそうだろうな。」


 鴨志田軍曹は、特に何とも思わなかった。


 彼は、夜のうちにあちこちの天幕を回り、漏れ聞こえて来る敵兵の雑談などを聞き取っていたが、援軍が見込めないとか、今後の戦闘が悲観的というような会話は聞こえず、おおむねデ・ノーアトゥーンを占領した後の話題が主であり、やはり艦隊(増援の船団含む)壊滅の報は届いておらず、自分たちは優位にあって、簡単にブリーデヴァンガル属領主府軍を打ち破ることができると、楽観的に捉えていることが分かった。

 

 また、敵本陣となっている集落の村長宅と思われる家屋に接近し、居眠り中の衛兵を尻目に窓の下から室内の会話を聞き取ったが、今回の出陣に当たり、黒幕のフレデリク子爵は出陣しておらず、代わってヴァナヘイム王国陸軍司令官オルテガ辺境伯が出陣していることが分かった。

 鴨志田は、月明りを頼りに、聞き取ったことを、メモ帳に鉛筆で書き起こしていく。


「それにしても弛み切っているな。」


 敵の旧公国派、ヴァナヘイム王国、南部大陸諸王国連合軍陣地を回り、鴨志田軍曹は改めて思った。

 見張りは、いるだけで、居眠りをしているか酒盛りの最中であり、女性を陣中に帯同しているのか、あちこちの天幕から嬌声が聞こえる。

 

 そんなだから、鴨志田が敵の陣中で身の危険を感じることはなく、唯一、身の危険を感じたのは、敵本陣の宿舎の窓辺で会話を聞き取っていた折、酔っ払った誰かが窓際へ来て嘔吐した時、危うく吐瀉物を被りそうになったことくらいである。


 或いは草に伏し隠れ 或いは水に飛び入りて 

 万死恐れず敵情を  視察し帰る斥候兵

 肩に掛かれる一軍の 安危は如何に重からん

 

 鴨志田は、思わず軍歌の一節を口ずさみ


「全然『万死恐れず』じゃあないな。」


と思った。


 そして


「桶狭間の時の今川本陣も、こういう感じだったのかな。」


とも思った。



 夜明けとともに、敵方の動きが始まった。


 天幕などは、収納されず、その場に残置されている。

 勝ってデ・ノーアトゥーンに入城すれば、もう必要がない、必要があれば後から収容すればよい、という発想だろうと思われた。

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