やり直し王女と悪魔のギフト~運命を変えたら天使が初恋を覚えたようです~

夜高叶夜

第1話 裏切りの鐘が鳴り、天使が舞い降りる

 いまも耳に残っている、あの瞬間、鐘の鳴り響く音が。


『お怪我はありませんか? ベルティーユ王女』


 翡翠を思わせる甘やかな瞳に、陽差しをあびて艶めく栗色の髪。王城の庭園にある噴水の前で、転んでしまったベルティーユを優しく助け起こしてくれた人。十歳になったばかりの、ベルティーユの一目惚れだった。


 奇しくも同い年。パトリスとなら幸せになれる。そう思ってベルティーユから婚約を望んだ。

 なのに、どこで間違えてしまったのだろう。それとも、ベルティーユに人を見る目がなかっただけなのか。



 ***


 ふたりが結婚してまだ一年も経っていないが、愛人の存在には薄々気付いていた。それでもベルティーユを優先していたからこそ、見て見ぬ振りをした。もう、家族を失うのはウンザリだったから。弟を亡くし、母を亡くした。


 そして今日もまた――弔いの鐘が鳴る。


 薄灰色の泣き出しそうな空の下、影とも見分けがつかぬドレスに身を包み、ベルティーユは父の墓石に縋り付く。とうとう最後の肉親まで失った。父もまた、早すぎる旅立ちだった。


 父王の亡きあと、ベルティーユの異母弟である王太子ルーセルが王位に就く。まだ十三歳で成人も迎えていない。実権は側室と宰相が握るのだろう。この国の行く末が案じられる。


「お父様……どうか、天よりお導きください」


 父王を弔う鐘の音は、父からの警鐘だったのかもしれない。


「――ベル、お悔やみ申し上げるよ」

「パトリス」


 振り仰いだ夫の顔は、どこか知らない人に思えた。伸ばした手は取られることもなく、パトリスは膝に両手を乗せ、ベルティーユを見下ろした。


「王家の後ろ盾は失われた。もう君には、なんの価値もなくなっちゃったね」

「……え?」


 夫であるはずのフェイユ公爵パトリスが、硬質な翡翠の瞳を向ける。その瞳とは裏腹に、言葉には慈悲のような響きがあった。いつもと同じ、優しい声音が耳を食む。


「だけど、ぼくも悪魔ではないからね。コリンヌ付のメイドとして仕えることを許してあげるよ」

「……なにを、言っているの?」


 悲しみに濡れた頬を拭うでもなく、パトリスはベルティーユから目をそらし、片腕にコリンヌを抱いて言った。


「王太后陛下は君を王族として認めない。つまり、君は平民と同じなんだ。公爵家から追い出さないだけ、優しいと思わない?」


 パトリスに目を細めていたコリンヌが、ベルティーユには下卑た笑みを見せる。たしか、男爵令嬢だったか。


「これからは、あたしの言うことをよ~く聞くのよ。元王女さま?」

「わたくしがメイドに? このような者の?」

「――くっ、口の利き方に気をつけなさいよ!! いまからあたしが公爵夫人なの! あんたはただの奴隷なんだから!」

「奴隷……ですって?」


 いままで笑顔を絶やさず愛想よく接していたのは、パトリスがベルティーユを正妻として尊重していたからだ。悋気りんきを見せるなど、王女としての矜持きょうじが許さなかったのもある。


 けれどこうも思う。あきらめていただけかもしれないと。父も側室に心を奪われたまま逝ってしまった。貴族における正妻なんて結局はお飾りでしかないのだと、心のどこかでベルティーユ自身があきらめている。


(だけど、王族じゃないと言うのなら、もう我慢しなくていいわよね)


 ふらりと立ち上がり、ベルティーユは目もとを乱暴に拭う。

 ニヤつくふたりに食ってかかろうとしたとき、鼻にかかった女の声が割って入った。


「楽しそうなお話ねぇ。でもその前に、おまえのを書き換えなければね」

「マルガレータ妃……」

「不敬ね。王太后陛下と呼びなさい」


 庇護欲をそそる、儚げな見た目で男たちをとりこにしていた彼女であっても、年には敵わないらしい。以前のような可憐さは見る影もないというのに、この女が瞳を潤ませるだけで、男たちが色めき立つ。


 周囲を近衛兵が取り囲み、物々しい雰囲気が増していく。


 誰もが生まれ持つ『神から授かったギフト』は、魔法が使えるような強い力を持ったものから、風邪をひかないといった日常的なものまで幅広い。


 ベルティーユに与えられたギフト【再出発】は、『記憶を持ったまま、一度だけ人生をやり直せる』というもの。やり直されたら困る人々にとって、ベルティーユのギフトは都合が悪いらしい。


「ギフトを書き換える? そんなこと――」

「――できるのよぉ。【天使】のギフトならね」


 鳥の羽ばたきが聞こえたかと思えば、上空から少年が舞い降りた。司祭服に似た白いローブに身を包み、青みがかった銀髪からのぞく青灰の瞳。端正な顔立ちは、まだ少し幼い面差しを残している。十九歳のベルティーユよりも年下なのは間違いない。


 頬に手をあて、マルガレータが目を細めた。


「殺されないだけ、ありがたく思いなさい?」

「それは……どうかしら?」


 そんな言葉を信じられるほどの間柄ではない。ベルティーユがいままで殺されなかったのはギフトのおかげだ。この【再出発】ギフトは、発動条件がベルティーユの『死』なのだから。書き換えてしまえば、殺しても構わなくなる。


 天使が一歩近付くごとに、ベルティーユも後ずさった。


「大丈夫。痛くないよ」


 微笑みを崩さない少年は、存在そのものが天使のよう。完成された美の権化ごんげだが、ベルティーユの目には、人間の皮を被ったナニカにしか見えない。彼の曇りガラスのような瞳は何も映しておらず、常に虚空こくう。美しいからこそ、底知れない不気味さがあった。


 ときどき見かける彼に、自分を重ねたこともある。天使を演じる彼と、王女を演じる自分。そのために、あきらめてきたモノがたくさんある。


(あなたはこれからも、天使を演じるのでしょうね。わたしは、いち抜けさせてもらうわ!)


 覚悟を決め、ベルティーユは首もとからペンダントを引っぱり出す。小瓶型のペンダントトップに入っている液体は、母が念のためにと持たせてくれた毒物だ。震える手で小瓶の蓋をあける。

 マルガレータは一瞬顔色を変えるも、すぐに笑みを形作る。


「その中身は毒かしらぁ? きっと、喉が焼けるように苦しいでしょうねぇ。それでも飲むの?」


 怖じ気づいているベルティーユのことなど、お見通しのようだ。

 弟が池で溺れ死んでも使わなかった。母が乗った馬車が落石に遭ったときには、何度もやり直そうとしたけどできなかった。

 人生をやり直せると言われても、同じ人生をたどることになるかもしれないのだから。


(でも、ギフトを書き換えられたらきっと殺されてしまう。絶対に後悔する。これが最後のチャンス。やるのよ!)


 伸びてくる天使の手を払いのけ、ベルティーユは小瓶を飲み干した。できるだけ苦しまないよう調合された毒だと聞いていたが、痙攣がはじまり、呼吸が苦しくなっていく。


「っ――早く書き換えて!!」


 マルガレータが叫び終わるよりも早く、ベルティーユは護身用のナイフを取り出した。天使の歩みが止まる。


「お願い……死な……せて」

「っ……どうして?」


 最後に見たのは、瞳を丸くして戸惑う天使の顔。曇り空が晴れたかのように青さを取り戻した瞳に、倒れゆくベルティーユの姿が映っていた。


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