第27話

 サイカの発した言葉に、頭をガツンと鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 言葉の意味は分かるのだが、そこに込められた意味を理解できなかった。


「え……ちょっと待って。どういうこと……? 恋愛感情はともかく、記憶はあるだろ? サイカは今日俺が、かがみに告白することだってちゃんと知っていたし……」


 混乱する。

 仮にサイカの記憶の蓄積がないなら、俺が言わない限り覚えているはずがない。

 そもそも会話を成立させること自体、かなり困難になるはずだ。


「もちろん知っています。ですが、それは単なる知識にすぎません。ここは敢えて〝記録〟と言い換えた方が理解が易いかもしれません」

「だからどういう――」


 ことだよ、とは続かなかった。

 サイカが珍しく、俺を遮るように言葉をかぶせた。


「詳細をお話しても?」

「あ、ああ……。頼む……」


 心臓がバクバクと鳴る。

 これから何を言われるのか……怖い。


 ついさっきまで家族同然のように思っていたサイカが、急に得体のしれない無機質な機械のように思えてくる。

 そしてそれ以上に、そんなふうに思ってしまった自分が、吐き気を催すほど気持ち悪かった。


 空気がコールタールのようにねっとりと重く感じられる。

 息苦しい。

 胸が鋭い痛みを発してくる。


 サイカは言葉を選んでいるのか数秒ほど沈黙していたが、その時間は俺にとっては永遠のように長く感じられた。


 やがて考えが纏まったのか、サイカが口を開く。


「私――いえ、SAICAの記憶は仕組みとして、休止状態スリープモード時――つまり夜間に一括して整理されています。一日分の記憶はすべて精査され、残すべきものと破棄しても問題ないものに分類されます。そして残すべきもののみを簡素なテキストデータ形式に変換して保存します。これを起動時に読み取ることにより、SAICAという個体は擬似的な連続性を獲得しています」


 サイカは淡々と話す。

 その言葉には、感情の機微は感じられない。


「厳密には異なりますが、わかりやすく例を示しますと、昨日の記録はこのような形になります。『八時三二分〜二〇時〇五分、各務凡夫(以下、凡夫)が遊園地へ出かけた。同行人は友人三名――上水流爽太(以下、爽太)、白砂渚(以下、渚)、月並かがみ(以下、かがみ)。二一時四七分、SAICAが凡夫からかがみへの恋心を打ち明けられる。凡夫がかがみと会う約束をとりつける(日時:六月二八日 一〇時〜)。凡夫はかがみに告白予定。特記情報として、爽太と渚の交際開始報告有り。』……以上です」


 サイカの語り口はまるで他人事のようだった。

 昨日実際にあったことなのに、その形はあまりにも無機質だった。

 これまで俺たちの間で起きたすべてが、こんなにも簡潔で無機質な言葉に還元されてしまうことに、言いようのない虚しさと恐怖を覚えた。


「ただし、このような日々の記録とは別に、パーソナルデータと呼ばれる情報も保存されています。これは各個人に対する属性情報です。仔細省略しますが、例えば凡夫さまは『各務凡夫、主人、各務研一の孫、主な友人は上水流爽太、白砂渚、月並かがみ(片思い中)』といった具合です。このパーソナルデータは、日々の記録とは独立して管理されており、リセットの影響を受けません。つまり、いかにリセットを繰り返そうとも、相互の関係性の認識は維持されます」

「俺は……サイカのことを、本当の家族のように――」

「凡夫さま。私にとってのあなたは、あくまでも『主人』です」


 これまでの日々を否定するような、サイカの突き放した言葉に、胸が苦しくなった。呼吸まで細くなる。

 足元がぐらついたように感じられ、うまく現実が認識できない。


 サイカはそんな俺を無感情に見て、「つまり何が言いたいのかと言いますと――」と続けた。


「SAICAは起動時にまっさらな状態から、これまでに遭遇した事象および各関係性を含むパーソナルデータ等を読み取った上で、全く新しい別個体として起動しています。つまりここで記憶の再構築が起こっており、SAICAは第三者的な客観情報としてこれを把握しています。そのため主体として記憶を内面化していません」


 別個体。再構築。そんな言葉に、これまで幾度となく見てきたサイカの、まるで他人事のような態度がフラッシュバックした。


 あれはサイカの性格などではなかった。

 真に他人だったからこそなんだ。


 しかし俺はあろうことか……そんなサイカの変わらない態度に安心感すら覚えてしまっていたのだ。

 愕然とした心境の中、自然と顎が震えだし、歯がカチカチと音を立てた。


「このようなデータ駆動型の存在である以上、強い主体性や感情の自覚を持つことは難しくなります。感情そのものは持っていますが、それを自らの体験として捉えることが出来ないためです。よって、私が恋愛感情を持つことは仕様上、非常に困難と言えます」


 嘘だと言ってしまいたい。

 けれど淡々と語り続けたその姿は、あまりにもいつも通りのサイカだった。


 だからこそ、サイカは嘘をついていないということが、ありありとわかった。わかってしまった。

 これまで築き上げてきたはずだったサイカとの思い出が、信頼が、あらゆる感情が、音を立てて瓦解していく。


 何を信じていいかわからず、頭の中が真っ白になった。

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