幸せ探しの旅~今日も今日とて不登校~

へーロー

プロローグ

我が子が3人不登校になった。

小学校1年生、3年生、6年生の子どもたちが、揃いも揃って小学校を拒絶した。


えらいこっちゃ。


なぜなら母はフルタイムの正規社員。子どもを是非とも預けたい。

学校に加えて学童にも行ってくれ。君たちにニートを許すわけにはいかない。


しかし、登校渋りという死闘をもう何ヵ月続けているのか。

無理強いすればするほどに、【母の】ダメージが増していく。


子どもたちは、ここぞとばかりに団結した。

一本では折れる矢も、3本集まれば、そう簡単に折れるものではない。


まさかこんなところで『三本の矢』の強さを見せつけられるなんて、思いもよらなかった。


我が子たちは、それぞれ“マイペース”を絵にかいたような自由な子どもたち。

今まで団結して何かを成し遂げる、なんてことは無かった。


公園に連れて行けば、雲の子散らすように、てんでバラバラ自由行動。

ここが治安大国ニッポンでなければ、とっくの昔に何人か消息不明だ。


しかし、この学校への拒否反応については、子どもたちは労働組合並みに団結した。

自分の権利は自分で勝ち取る!その気概たるや、親の世間体や常識なんてものは、軽々と超えてきた。


なんということでしょう。


『学校に行かないぞー!!』という一つの目標をマイペースな三人がそれぞれの形で主張する。通学の道中で、小1が今来た道を家まで逆走する。小3がうずくまって泣いて、動かない。小6は、空を見上げて風を感じている。


おいおいおいおいおい!!!

こちとら正規社員で、出勤時間と社会的信用を背負っているんだよう!!


親2人に対して、子ども3人。わお。“絶対数”が足りない。2対2なら、親は大人という大きなアドバンテージで、力技で担いで学校に放り込むこともできたかもしれない。


しかし、子どもは3人。大人の数が一人足りないじゃないか。しかも、小6の男子なんてもんは、もう子どもの括りで収まり切るものではない。小6男子を担ごうとしたら、母は、身長2メートル、体重100キロくらいにポンプアップする必要があった。


怒ったり、泣いたり、現実逃避している子どもたち。そして、現実を逃避できない大人の事情。熾烈な戦いだ。


軍配はどちらに上がるのか。あなたの予測はどちらだろう?

子どもが勝ち、学校行かない権を勝ち取るか。

大人が勝ち、学校行かせる権を勝ち取るか。


そう。多くの不登校保護者が、経験したように、子どもに軍配があがる。


というか、子どもに軍配を上げさせざるを得ない状況に追い込まれるのだ。


「え?不登校って、親の甘やかしじゃないの?」

「え?子どもが弱いんじゃない?我慢できない子なんでしょ?」


そんな、単純なものだったら、どんなに良かっただろうと思う。


登校渋りや不登校は、もんのすんごく、根深い。そして複雑だ。

子どもは命を懸けて登校を拒否し、親の精神と体力を削ってくる。自らも消耗しながら、背水の陣で親と学校にぶつかってくる。


『常識』『世間体』『当たり前』『普通』そんな木で出来たような脆い盾で押しやったところで、子どもが腹に括った一本の槍には敵わない。

学校に行かないと決めたやつらの本気は、そんな盾をぶち壊して、親や先生と刺し違える覚悟なんだ。


そして母は、見事に木の盾を打ち砕かれた。

子どもたちは、『学校を休む!』という権利を手に入れた。


さてここで。学校を休んだ子どもたちが、どのように過ごしているのか、想像したことがあるだろうか?


彼らが悠々自適に、自由を謳歌で来たのだろうか?

子どもに押されて、不登校を許した親は、「もう、しょうがないんだから。クス」と、微笑ましく子どもを見ていると、お考えだろうか?


答えは否!!


不登校になったあと、とんでもない悶絶の日々が待っている。

それはもう、たまげるほどに悶絶する。道なき道をコンパスと地図も持たずに彷徨うような恐ろしさを、今までに経験した大人が居るだろうか?この治安大国ニッポンにおいて。


これから綴るエッセイは、登校渋りや、不安定登校、不登校、様々な期間を経て、未だ不登校の我が子たちの心の機微。親の葛藤と状況。親子の泥試合。学校とのやりとり。世間の不登校の認識。そんな話を書こうと思う。


母は、不登校を知って欲しいと思っている。

不登校の親子に。学校の先生に。支援者や、関わる大人に。

不登校にも色々あるが、一家族の物語として。


子どもや親が、何を考え、どう思って今があるのか。


欲を出せば、不登校なんて生活に何も関係のない人にも、知って欲しい。

不登校をしていてうすーーく見えてきた答え。遠く彼方に見えてきた蜃気楼とも思える“答え”のようなものがある。


それが、漠然としたものではあるが、人間として生きる共通の課題でるような。


このエッセイを通して、それぞれの立場でどう思うのか。どう動くのか。

一緒に考えて行けたら嬉しい。


子どもたちの為に、大人にできる事。

子どもたちが生きやすい社会って、どんな社会かな?

それって、大人にとってっも、大切なんじゃないかな?


そんなことを日本中で、世界中で考え合うのが、母の発信の動機だ。




~最後に~

ここまで読んで頂いたことに、深く感謝申し上げます。

リアクションを頂けたら大変にありがたいです。

★やコメントには、しっぽを振りすぎて、ブン回って空を飛んでしまいそうな状態になっていることだけ、ここでお伝え致します。






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