第10話 集合写真

 久しぶりの修二くんの札幌は、私の目的は修二くんといちゃいちゃするためだが、名目上は定期的に札幌国立大学に顔を出して、各種連絡をすることである。だからいつまでも私の家に居るわけには行かず、大学へ行くことにする。決して私が低次元反強磁性体について調べたいからではない。

 

 多分。

 

 修二くんは自転車は無いし、私はワンピースなので徒歩で大学まで向かう。もちろん帽子は被る。

「ねぇ、どこかのお嬢様か、若奥様って感じでしょ」

「何言ってんの、扶桑のお嬢様だし、僕の若奥様だよ」

 自爆であった。自分で行っておいて、恥ずかしくなる。


 7月の日差しは暑いが湿度は低い。気持ちよく歩く。早く論文を精読したい気持ち、修二くんと二人だけでいたい気持ち、ごちゃごちゃだ。

「手を繋ごう」

「うん」

 私は純粋に嬉しかったけど、修二くんは私の交通安全だけを考えたのかもしれない。


 大学校内に入ると、手を離された。

「なんで離しちゃうの」

「写真撮らせてよ」

 スマホで修二くんが写真をとって、見せてくれた。自分とは思えないほど、幸せそうな女性が写っている。

「僕は幸せだな」

 なんかの歌みたいなセリフが聞こえた。スマホを返すと修二くんは何やらスマホをいじっている。

「なにしてんの?」

「川崎と東京と、杏の姿をメールしとかないと……」

 幸せな私の姿を両家に送るのはいいことだと思うけど、早くさっきの論文を読みたい。


 理学部棟入り口で帽子を脱ごうとしたら修二くんに言われた。

「まだ被っといた方がいいよ。みんな杏の美しさに驚くよ」

「え、メイクしてない」

「いらないよそんなの」

 ちょっと俯きながら、階段を上る。まだ誰にも会わないように祈る。


 榊原先生の居室で修二くんがノックした。榊原先生は事実上東海村に常駐しているから、網浜先生と池田先生が研究室の面倒を見ているので、事務の板坂さんくらいしか居ない。

「ただいまもどりました〜。唐沢でーす」

 ドアを開けたらやっぱり板坂さんだけがいた。

「あ、唐沢さん、みなさんゼミ室です。えっとそちらは?」

「板さん、私、私」

 俯いていた顔を上げて板坂さんにしっかり顔を見せると、びっくりした顔をされた。

「え、え、聖女様」

「し、しー。みんなを驚かせたいから」


 ゼミ室に行く。先に修二くんに行ってもらう。修二くんがゼミ室に入ると、歓声がわいた。うちの旦那様が人気者なのは、私としてもとても嬉しい。

 しばらく「おかえりー」とか「東海村どう?」などの声が聞こえていたが、そのうちのぞみの声が聞こえた。

「修二くん、聖女様と一緒じゃないの?」

 私はゼミ室に入っていく。帽子を被ったまま、わざと下を向いて顔を見せないようにする。

 ゼミ室が静かになる。

 顔を上げる。

「えー!」

 もみくちゃにされた。

「お、おい、俺の奥さんに触るな!」

 修二くんが止めに入ったが、無駄だった。

 実際問題、私の体に触っていたのはほぼ、最前列にいた真美ちゃんとのぞみだったと思う。ということは本当に男子に触られていたのは、この二人かもしれない。

 

「おーい、池田研、玄関前に集合だ!」

 池田先生が理由のわからないことを言い出した。

「先生、なにするんですか?」

「集合写真だ。神崎さん中心の写真撮ってホームページにのっけたら、来年いっぱいうちの研究室に来るぞ」

「私、唐沢です」

「あ、ごめん、とにかく聖女様中心の写真でバッチリだ!」

「私、来年居ないと思うんですけど」

「いいんだよ、とにかく4年生集められりゃいいんだよ」


 まずは池田研の集合写真、次に榊原研、網浜研、三研究室合同写真とか、集合写真を撮りまくった。池田研はともかく、榊原研、網浜研の写真でも私は真ん中に立たされた。のぞみも巻き添えである。人数も多いのでしゃがもうとしたら「ワンピースの柄が見えない」とか「パンツが見える」とか反対された。男子の名誉のために言っておくと、パンツ発言はのぞみである。


 写真を撮ったあと、榊原研のゼミ室に行く。私は修二くんにみせてもらった論文を検討するために登校したのだ。本来なら池田研の居室でやるべきだろうが、少しでも修二くんの近くに居たかった。

 ただ、榊原研のゼミ室は論文を読むにはあまり居心地がよくなかった。普通なら池田研と同じく、食後とかゼミのとき以外は人が少ないはずなのだが、さっき撮った集合写真を研究室のホームページにのせるとかで、あーだとかこーだとか色々うるさい。ゼミ室のPCで作業しているからだ。修二くんが、

「ここうるさくない? 居室に戻ったほうがいいんじゃない?」

と言ってきたが、

「ここがいいの」

とだけ返事した。

「あっそう」

と修二くんは出ていってしまった。

 あの人は何のために私がここに居るのかわかっていないのかと不満に思っていたら、ちょっとして戻ってきた。そして黙ってテーブルの上に磁性の教科書を置いた。ちょうどXYモデルとかイジングモデルとか確認したいことが出てきてたので、ちょうどよかった。さすがはうちの旦那様である。

「ありがと」

 言葉はそれだけだが、笑顔は最大値で送る。

 

 しばらく集中して論文を読んでいたら「うぉー」と言う声が上がった。何事かと顔を上げると誰かが、

「聖女様も見てよ」

という。PCの画面には榊原研のホームページが映っており、中央には私がいる研究室の集合写真がデカデカと掲載されている。

「榊原先生写ってないけど、いいの?」

と口に出したら、だれとは言わないが、

「どうせいないんだから、いいんじゃない」

と言った。言った奴の名前を榊原先生にチクってやろうかとも思う。だが同時に東海村の新婚家庭に居候していた榊原先生に、ちょっと仕返した気にもなる。


「神崎さん、いたいた。長谷川研の写真も撮るから来てよ」

「はぁ~? 私、長谷川研とほとんど関わりないと思うんですが」

「そんなこと言っていいのぉ? うちさ、今度薄膜の超伝導体やろうと思ってるんだけどさぁ」

「それ、誰の入れ知恵ですか? 真美ちゃんですか?」

 真美ちゃんは長谷川先生の後ろで手を横に振っている。

「いや、写真の件を池田研に相談しに言ったらね、笠井くんが超伝導やればいいんじゃないですかってね。池田先生も薄膜がいいんじゃないかとね……」


 あの二人は絶対許さん。

 

 結局長谷川研の写真も撮った。悔しいのでのぞみも逃さずに写真に入れる。長谷川先生は大喜びだった。午後遅かったが光量は十分だった。初めて7月の北海道の日の長さを恨めしく思った。早くおうちに帰りたい。

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