第6話 西の民
やあ、ディム、元気かな?
地上の生活はとてもエキサイティングだ。僕は今、斬新な経験をしているよ。
なんと「牢屋」に入っているんだ。
城内でいきなり背後から襲われたのだ。
布に染み込まれた怪しげな臭いに意識を奪われ、気がつけばここにいた。ほぼ真っ暗だが
カイルは体内の
なるほど、この世界にも
まさか城内で蛮行にあうとは思わなかったので、油断していたのも事実だ。
ただ自分が
いったい犯人たちはどうやって城への侵入をはたしたのだろうか。スカスカの警備の方がはるかに問題だろう。
金属の
――おのれ、犯人めっ!!
カイルの怒りのベクトルはややずれたものだったが、本人に自覚はなかった。
「!」
離れた場所に
この世界には存在しない道具を使っての治療が終わると、子供の
カイルは考え込んだ。
ここはエトゥールの街中か、街外か。
とりあえず、子供を連れて脱出を図ろうと立ち上がったカイルは、背後の闇からすさまじい殺気を感じた。
闇の中に獰猛な人食いの獣がいる心象だった。
――待った、動物の
構えるより早く獣が飛び出してきて、カイルに襲いかかり押し倒した。
獣は人間だったが憎悪と殺意の塊だった。触れた瞬間に流れ込んでくる怒り、憎しみ、後悔と悲しみ――。
『――僕は敵じゃないっ!』
本能的に思念波を放った。男の振りかざした手が空中で止まる。
男は組み伏せたカイルをそのまま睨みつけていた。
「僕は敵じゃない」
「――」
帰ってきた言葉はエトゥールの言語ではなかった。
休戦の合図のように男は手にあった凶器を放り捨てた。それは拳大の石でカイルはぞっとした。撲殺されるところだったとは、斬新を通り越していた。
男は激しく息を切らしていたが、それは衰弱のためだろう。目がかなり鋭く、
自力で拘束をといたらしく、彼の片手には手枷の鎖が垂れていた。
カイルに興味をなくしたように、男は身体を起こし、あっさり彼から離れた。よろよろと立ちあがると奥に向かう。
驚いたことに奥にはさらに数人横たわっていた。衣服が似ているから彼の仲間であろう。
中でも老人はひどい状態だった。
老人の
「
男は顔をしかめたが、敵意がないことを認めたらしい。カイルが老人に触れることを許した。
暴行の跡、重度の栄養失調、脱水症状、発熱、肺炎の症状――生きているのが不思議なくらいの状態だった。
長期間食事を与えず監禁されていたのか……。
カイルは浮遊灯の照度を落とし、治療をすすめた。男はカイルを見張っており、仲間に何かあれば報復する気満々だった。
1時間がすぎ、老人と仲間の手当で彼の敵意はだいぶ和らいだようだった。が、自分の手当を許すほどではない。彼自身が重度の栄養失調のはずだが、動けるタフさにカイルは驚いた。
カイルは応急処置キットの中にあった携帯食糧を
だが、油断はしていない。鋭い眼光は、常に周囲を警戒している。
カイルは猛獣を餌付けしている気分になった。
男は食べ終わると、自分の手を開いたり握ったりしていた。
それからカイルの腕をたたき注意をひいた。
自分を指差す。
「ハーレイ」
名乗りはコミュニケーションの基本だな、とカイルは微笑んだ。
「カイル」
「……エトゥール?」
エトゥール人か、と問われたようなので正しくないが頷く。
ハーレイは顔をしかめた。エトゥールへの憎悪が感じられる。まあ、ここに閉じ込めたのがエトゥール人ならば彼の憎悪も仕方なしで――。
………………そんな猛獣をエトゥールの城下に離すのはまずくね?
仲間が死んだら城や街に殴り込みをかけて大暴れする彼の姿が浮かぶ。
これはどう解決したらいい案件なんだ。そもそもなぜ彼等は監禁されて殺されそうになったのか。明らかに異国の装束で――。
「……西の民?」
隣の男への疑問系の問いかけに、男はカイルをじっと見つめ頷く。
――西国の民との和平もままなりません
ファーレンシアの言葉が蘇る。
和平もままならないって、この状況では無理だ。彼はエトゥールを憎んでいる。
いや、そうではない。エトゥールと西の民を不和に導こうとする悪意ある集団がいるのだ。セオディアとファーレンシアはその悪意の存在に気づいて救い手を『精霊』に求めたのではないだろうか。
カイルは二人の抱えた問題と見えない敵が大きいことに
こうなると彼等を平和的に保護するしかない。
ファーレンシアなら不在に気付き、探してくれるに違いない。あとはどうやって彼女にこの場所を伝えるか、だ。
不意にハーレイは何かに気づいたように顔をあげ唇に指をたてた。身振りで、気絶している振りをしろという。カイルは
数分後、階上でわずかに物音がした。
ハーレイは野生動物並みの聴力や勘の持主か。それとも民族特有の個性か。
誰かが階段を降りてくる気配がする。
カイルは思念で相手の気配をさぐった。背中をむけていてもはっきりと感じられた。牢に忍び寄るように入ってきた人間は武器をふりかぶり――
狙いは僕か――⁈
暗殺される心あたりはないが、カイルは身体を回転させると右足で襲撃者の足を払って時間を稼いだ。
ハーレイは共闘してくれた。
敵がカイルの反撃に気を取られているうちに、その背後から手首に垂れる鎖で首をしめた。
だが衰弱していた彼はふりほどかれ、壁まで飛ばされた。
「ハーレイ!」
再び暗殺者はカイルに襲いかかるが、カイルは巧みに剣をよけた。イーレがステーションで
――イーレ、ごめん。今度から
今度があれば、だが――。
イーレ直伝の護身術があっても、長剣を持つ相手に素手は圧倒的に不利だった。おまけに相手は素人ではなかった。間違いなくプロで、急所を狙ってきていた。
じりじりとカイルは
『目を閉じてっ!』
ハーレイが思念の忠告に従い目を腕で
すかさずカイルは蹴りを繰り出した。武器を握る手首に命中し、剣をはじきとばす。
絶妙なタイミングで空中の剣を手にしたのは、ハーレイだった。男は奪い取った剣を何の
『――殺しちゃだめだっ!』
その声を受け取ったように彼は一瞬で剣の持ち手を変え、
ハーレイは予想しなかった
すごい
カイルは悟った。彼等は恐らく戦闘民族だ。捕らえたものの強すぎて
イーレとどっちが強いだろうか。緊急時というのにカイルは
観測ステーションで、イーレは大きなくしゃみをした。
「風邪ですか?」
「いいえ、大丈夫よ」
鼻元を押さえて、イーレは顔をしかめた。
「何か
ハーレイは襲撃者の衣服を裂き、手慣れた様子で縛りあげる。自殺防止のためか
それから彼は上の気配を伺った。
カイルは子供を、ハーレイは老人を抱えて階段を登ろうとした。
が、急に上が騒がしくなった。多人数の気配がする。
敵の増援か⁈
二人は階段を登るのを
何人かが
彼等も地下牢の異常に気づいているらしく、移動はゆっくりだった。
ハーレイは飛び出した。襲撃に相手も応戦の態勢をとる。
そのときカイルは相手の鎧に入った紋章に気づいた。と、同時に近くにいるファーレンシアの思念も感じた。
「待って、彼等は味方だっ!!!」
カイルは叫び、
カキーンと硬いものに当たる音と一瞬の光。
双方の刃は、カイルに当たると彼を傷つけるどころか、折れて床に転がった。
カラカラと折れた刃が回転しながら床を
――やっちまったぁぁぁぁ――――。
カイルの周囲に自動展開された
信じられない物を見たというように、誰もが凍りついている。
同士討ちを止めるという初期目的は完璧に達成されているが、何か違う。
――やっちまったものは仕方がない。
カイルは開き直った。
カイルは何事もなかったかのように自分にかかった金属片を静かに手で払い、異民族を背後に
戦意がないことを示すように両手をあげ告げる。
「彼らは長くここに監禁されていただけだ。僕はカイル・リード。セオディア・メレ・エトゥールもしくはその妹姫ファーレンシア・エル・エトゥールへの身元の確認と全員の保護を要求する」
階上から声が降ってきた。
「彼は客人であるメレ・アイフェスです。西の民にも敵意はありません。すぐに救出と手当を」
ファーレンシア・エル・エトゥールがすべてをおさめた。
少年と異民族五名は保護された。彼等の惨状に偏見のあるものも黙ったようだ。地下牢から丁寧に運ばれていく。
セオディアの帰還まで城内で治療と一時的な居住を確保することになった。
「彼等に君が信頼できる護衛をつけた方がいい。偏見のない者が好ましいかな」
ファーレンシアはカイルの助言に
「救出が遅くなり申し訳ございません」
「ファーレンシアなら気づいてくれる、と期待していたんだ。ありがとう、助かったよ。よくここがわかったね?」
ファーレンシアは
監禁場所の屋根の上に赤い鷹がいた。
「――!」
カイルは背筋が凍った。
「彼が導いてくれましたわ」
「
「はい」
「……本当に
「ええ、そうですよ」
それからファーレンシアは笑いをこらえるように口元を手で隠した。
「精霊鳥をアレ扱いするのはカイル様ぐらいですね」
「いやいや、だって得体が知れないよ?最初に身体を奪ったことを怒っているかもしれないし、嫌味をするぐらい知性はあるし――」
「嫌味?」
「僕が子供の頭上でしたように、頭の上で三度
耐えきれずファーレンシアは吹き出した。
「カイル様、愛されてますわね」
「嫌だっ! そんな愛はいらないっ! 断固拒否するっ! ――あっ!」
「どうしました?」
「すまない、君に用意してもらった
「――」
大事件の中、
「
「滞在が長くなったらどうするの?」
「いろんな
「そういう問題かなあ」
「そういう問題です。それとも精霊に滞在期間について予言をもらった方がよろしいでしょうか?」
「いらない、いらないっ!絶対にいらないっ!」
少女の悪戯っこのような表情に、カイルはようやく
二人はしばし見つめあい、笑い出した。
牢から救出された西の民の男は、二人の様子をじっと見ていた。
ファーレンシアは
「ファーレンシア様、どうされました?」
一緒に作業をしている侍女のマリカが尋ねる。
「カイル様のことですか?」
ファーレンシアは頷いた。
侍女総出でカイルの
「カイル様がいらしてからよいことばかり起きますね」
「本当に」
侍女の一人はうっとりと思い出した。
「あの
目撃した侍女全員がうっとりと神聖な場面の余韻に浸り出した。
目撃できなかった侍女達がずるいと唇をとがらせる。日頃の行いの差だ、とか
――だいぶ脚色されている……
ファーレンシアがカイルから聞いたのは、忍耐度を試す無視合戦だった。侍女の語る描写をカイルが耳にしたら、全力で否定するであろう。
ふふ、とファーレンシアは笑いをもらす。
カイルが精霊鷹を苦手としていることはファーレンシアだけが知る秘密だった。
ファーレンシアは沈黙を守ることにした。
「はいはい、皆さん手が止まっていますよ」
女官長が注意を促し、作業は再開されたが、話は盛り上がった。
「無事でよろしかったですね」
マリカがそっと告げる。彼女が最初にカイルの不在に気づいたのだ。聞いたファーレンシアは胸騒ぎを覚え、自分の
怪しいフードの男の目撃情報にファーレンシアはぞっとした。エトゥールを導くために異国の客人がいることは、すでに有名になっていた。今回の戦況を有利にした知恵者だとも。
誰かが彼を害そうとしている。
心配でファーレンシアの胸は張り裂けそうになったとき、精霊鷹が彼女の元に舞い降りた。
――ああ、助けてくれるのね
すぐに羽ばたいた吉兆の鷹をファーレンシアは指差した。
「あの鷹が導きます」
エトゥールの姫巫女の言葉を誰も疑わなかった。
そして精霊鷹は導いた。
今回の不祥事に彼は激怒せず、むしろ救助の礼を言われた。
本来なら、外交問題に発展するエトゥールの大醜聞だった。寛大な対応に関係者は胸を撫で下ろした。
事件で保護した好戦的な西の民は、滞在中に護衛をつけることを侮辱と憤ったが、カイルの助言であることをつけ加えると、不思議なほど静かに受け入れた。
彼はどうやって西の民の心を
一緒に保護された子供は、北からの伝令だった。彼が襲われ監禁されたために、隣国の進軍の動きが伝わらなかったのだ。
あの出会った夜、カイルの言葉がなければ、今頃城下まで侵略されていた可能性すらあった。
ファーレンシアは戦場にいる兄に今回の事件を手紙にしたため早馬で知らせた。彼の返事は、勝利をおさめたので数日中に帰還する旨だった。
エトゥールの憂いの一つが取り除かれたのだ。
「意匠はどうされますか?やはり精霊鷹でもいれますか?」
マリカの問いに物思いから覚める。
ファーレンシアは悩んだ。精霊鷹嫌いのカイルに着てもらえないのは困る。
「知恵の象徴の狼の精霊獣にしましょう」
「まあ、ふさわしいですわね」
不意に悪戯心がめばえ、ファーレンシアはこっそりと裾裏に赤い精霊鷹を刺繍した。それに気づいた時のカイルの反応を想像するのは楽しかった。
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