インビジブル・スレッド

中里朔

ハルシネーション

第1話

「ハル君」

 呼びかける声に振り向こうとして、目が覚めた。

 なんだかとても懐かしい夢を見ていた気がする。


 ここ数日、ずっと睡眠不足だった。

 ちょっとしたことで思い悩むくせは昔から直らない。気になり始めるとあれこれと考えてしまい、気が付けば午前2時、3時なんてこともしばしば。完璧を求めても仕方ないのは分かっているが、こればかりは性格だからどうしようもない。

「今日こそは何も考えずに早く寝よう」

 大きな仕事を抱えていたが、この週末までに山場は越えた。明日は休みだ。西日の当たる休憩室で目を細め、たまには1日中惰眠だみんむさぼろうか、なんて考えをめぐらせながら大欠伸おおあくびをした。


「よう陽翔はると、お疲れ!」

 缶コーヒーを差し出しながら声を掛けてきたのは、同じ大学を卒業して同期入社した吉野よしの茂雄しげお。大手電気機器メーカー傘下さんかの企業に勤めている。大学入学時からの長い付き合いともいえる盟友めいゆうだ。そしてお互いいまだに恋人もいないという仲の良さ……。

「ずいぶん眠そうだな。夜な夜なマッチングアプリで彼女でも探してるのか?」


「お前と一緒にするな。ただの寝不足だ」


「寝不足? 酒でも飲んで寝たらいい。帰りにどこか飲みに行くか?」


「いや、疲れているから今日はさっさと帰って休むよ。また今度な」


 それにしても、眠い……。今日はすぐに眠りにけそうだな。

 風呂に入って、早めに寝ることにしよう。



 * * *

 どこかで見たような風景だ。

 ここは……大学の講堂こうどうかな。周りの学生たちは静かに正面を向いて座っている。

 今はなんの講義だっけ?

 講義? いやまてよ、今は社会人なんだ。大学にいるはずがない。

 そうか、これはきっと夢だ。


 目が覚めた。やはり夢だったのか。




 会社の食堂で吉野と昼食をりながら、何気なく夢のことを聞いてみた。

「なぁ、夢を見ている時に『これは夢だ』と気付いたことはある?」


「起きてから夢だった、ってことならあるぞ」


「それは当たり前だ。寝ている途中で『夢かもしれない』と思った途端とたんに目覚めることが、ここ最近で何度か続いているんだ」


「眠れるようになって何よりじゃないか」


茶化ちゃかすなよ。夢と気付くのは、いつも同じ夢を見ている時なんだ」


「同じ夢なら『またか』って気付くだろうな。どんな夢だった?」


「大学時代の夢ばかりだな。講義を受けていたり、キャンパス内を歩いていたり……。場所はその時によって違うけど、だいたい同じような場所にいるんだ。何度も同じ夢を続けて見るなんて、何かの暗示だと思わないか?」


「さあ、どうなんだろう。精神的に疲れているだけじゃないのか? 病院でてもらうのが良いと思うぞ」


 吉野はあまり興味を持ってはくれなかった。ただ、その後も夢を見ては気付いて目覚めることが度々続いて、俺はまた寝不足になってきた。


 昔の夢をよく見る。夢は記憶の断片というから、当時を懐かしく思い返しているだけなのだろうか。夢について調べてみたりもしたけれど、求めている答えには辿たどり着きそうにない。

 あの頃に何か強い思い入れでもあったかな? あるいは、やり残したことがあった? だとしても、過去に戻ってやり直せるわけではないし、考えても仕方のないことだ。こういう考え過ぎが昔の記憶を引き戻しているような気さえする。

 変なことに頭を使いすぎて疲れた。今はただ安眠が欲しい。

 夢のせいで睡眠不足って、何科を受診すればいいんだろう……?



 * * *

 桜が満開のキャンパスを歩いていた。

 他にもたくさんの人が行き来しているが、知っている人は誰もいない。そういえば人を探している途中だった。ええと、誰を探していたんだっけ? どこを探したらいいのだろう? 教室か? それとも学食? 裏庭にいるかな?

 ずっと歩き続けていた。緩やかな坂を上って行くと、道路をまたいだ左側に、見覚えのあるカフェが見える。ここかな?

 横断歩道を渡りながら違和感を感じた。ここは大学の敷地ではない。

「夢……だよな」

 しかし、目が覚めることはなく、カフェの前まで来た。扉を開けてみる。

 カランという音がして、店の女性店主がこちらに笑顔を向ける。すぐそばの席には吉野が座っていた。ホットケーキをうまそうに食べている。探していたのは吉野だったかな? うーん、違うような気がする。

 奥の席には男子高校生が一人いるが、この子でもない。見回してみたが、他に客はいないようだ。

「ここじゃないのか……」

 いったい誰を探しているんだろう?





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