はたらくゆうれい

popurinn

第1話 

 すごいなあ。


 あんなにできちゃってる。


 しゅるさんの前には、二十八個の白い饅頭がびっちりと詰められた箱が積み上げらている。


 お見事。


 思わず口に出してしまいそうになって、春奈は慌てて息を吸い込んだ。


 作業中、私語は厳禁。

 アルバイト初日に、監督さんからきつく言われた。もともと春奈はおしゃべりじゃないし、ほかの決まり事に比べたらそんなこと苦にならない。


 ただ、しゅるさんに関してだけは、なぜか、感想を口にしたくなってしまう。


「早いですね」

「完璧です」


 何を言われても、しゅるさんは、軽くうなずくだけだ。頭にかぶった白い衛生帽子とマスクのせいで表情はわからないが、多分、特に喜んでもいないだろう。

 しゅるさんは、いつも表情に乏しい。


 今日もしゅるさんがいちばんたくさん箱を積み上げて、そして、昼の休憩時間になった。

 

 和菓子屋・紅八馬べにはちまの工場は、桜咲く市のはずれにある。

 桜咲く市は人口二十万ほどの地方都市で、県の中ではわりあい大きいほうだが、他県からまたがる山脈がちょうど開けている地にあるせいか、のびやかな印象がある。

 工場は山の裾にもうちょっとで届く場所にあり、のびやかな印象の市内でも、特に見晴らしがいいところだ。

 

 紅八馬は県では有名な和菓子屋で、栗が入った猪子饅頭いのこまんじゅうは県のどこの駅でも売られている和菓子だ。

 猪子饅頭を製造する工場は、市内に二か所あり、春奈は第二工場で働いている。

 


 昼休憩になり、春奈はいつもどおり、工場の隣に建つプレハブの建物へ向かった。

 みんな、お弁当持参だ。見晴らしはいいけれど田んぼと畑に囲まれた場所だから、コンビニさえも、10分は歩かないと行けない。

 だから、手作りじゃなくとも、なんかしら持ってくる。


 休憩室は、もわっと息苦しく感じた。工場のほうはかなり冷房が効いているから、エアコンが付いているはずなのに涼しくは感じられない。


「ねえ、春ちゃん」

 テーブルの上にお弁当を広げた途端、同じ列で箱詰めをしていたチュンさんが隣に座った。

「あたしもわかんなかったよぉ」

「なに?」

 チュンさんはお弁当の蓋を開けた。

 嗅ぎ慣れないスパイスの香りが立ち上がる。


「クイズだよぉ」

「まだ、あのクイズ、生きてるんだ」

「生きてる? クイズが生きたり死んだりしますか?」

 ああごめんと言い足して、春奈はお弁当用の小バッグから水筒を取り出す。

 チュンさんは日本語が達者だが、それでもやっぱりちょっとした言い方の違いでわからなくなる。

「まだあのクイズをやってるの?ってこと」

 頷いたチュンさんは、もぐもぐとお弁当のお肉を食べ始めた。


 もう十日ほどになるだろうか。

 パート仲間たちで、しゅるさんが話題になった。

 

 ここの職場は、結構みんな続く。時給が高いわけでもないのに、居心地がいいのか、一旦勤め始めるとなかなか辞めないのだ。

 三年、四年。なかには、六年半なんて人もいる。

 勤務時間はシフト制で、昼夜合わせると、二、三十人はいるんじゃないだろうか。 

 男女比は、多分六対四で女性が多い。和菓子なんていう軽くて甘いものを扱っているからだろうか。甘さは関係ないだろうけど。

 

 パート同士は仲がよくて、休憩時間にはいろんな話をする。といっても、三時間ごとにシフトが仕切られ、顔を合わせるメンバーは決まっている。そのメンバーで、しゅるさんのことが話題に上ったのだ。


「しゅるさんって、どこに住んでるのか知ってる?」

 言い出したのは、根本さんだった。根本さんはこの工場の目と鼻の先にある農家の奥さんだ。年齢は五十過ぎ。いつも首に深緑色のスカーフを巻いている。

「近所じゃないよね」

 返した涼くんは、フリーターの二十五歳。芸術系の大学を卒業してから、映画を撮る夢を諦められず、ここでアルバイトをしながら家業の石屋を手伝っている。石屋というイメージからほど遠い、色白で華奢な体型をしているが。


「バス停では見かけたことあるなあ」

 おにぎり片手にペットボトルのお茶を飲みながら、真坂さんがぼそりと言った。真坂さんは隣町にある製材所を四年前定年退職し、それから隣町のコンビニで働いていたらしいが、すぐに辞めてここに来た。定年間近に奥さんを病気で亡くしたということで、子どもの頃から暮らしてきた親の家を継ぎ一人暮らしをしている。


 しゅるさんの家がどこなのか。


 なぜ、そんなことが知りたくなってしまったかといえば、しゅるさんは付き合いが悪いからだ。

 こんなしょぼい職場でも、ちょっとした歓送迎会を催すことがある。地味な忘新年会をすることもあるし、仲間うちで誘い合って、国道沿いの居酒屋に行くこともある。


 だが、しゅるさんは、一度として、そういった機会に顔を出したことがない。

 誰かが誘っても、曖昧な理由で断って来る。

 そうするうち、誰となく、しゅるさんの私生活が口に上るようになって、

「家はどこ?」

という話になったのだ。


 のどかな場所にある工場だから、帰り道は大抵、なんとなく連れ立って歩く。そんなときも、しゅるさんは誰ともつるまない。

 家のある方角がいっしょなら、この土地で生まれ育った真坂さんなどは、大体家を特定できてしまう。それなのに、しゅるさんの家だけはわからない。

 真坂さんがクイズを言い出す前から、なんとなく、誰もがしゅるさんについて知りたいと思っていたのだ。


 そもそも、しゅるさんという人物について、誰もくわしくは知らない。

 おそらく年齢は、三十代半ばの女性。

 既婚かどうか、まして子どもがいるのかどうかなんて、皆目わからない。

 どこの生まれの人なのか。

 ほとんどしゃべらないしゅるさんは、この土地特有のアクセントがあるのかどうかもわからない。

 そもそも、みんな苗字だって知らないんじゃないだろうか。しゅるなんていう変わった名前で呼ばれているが、本名なのか愛称なのか。

 

 わかっていることが三つだけある。

 この工場でいちばんの古株であること。

 いちばん、仕事が早く丁寧であること。

 そして誰とも付き合わない――人間関係の問題がない――こと。


 和菓子の箱詰めをする小さな工場、いや作業所で、これだけわかっていれば、なんの不都合もない。

 だけど、

 だけどだ。

 みんな機械じゃないんだから。


 これは、いつだったか、根本さんが言ったセリフ。


 そんな根本さんの考えを、二十代、令和生まれの涼くんは「昭和っぽい」と言うけれど、そういう涼くんだって、しゅるさんの着ている服についてあれこれ言い、どんな生活してるんですかねと疑問を呈していた。

 しゅるさんはほとんど同じ服を着ている。汚れてはいないし、不潔な感じはしないが、女性としてどうなんだろう。流行りの服が欲しいとか思わないのだろうか。



 しゅるさんがどこで暮らしているのか、みんながそれぞれ憶測を言い合って、結局、確かなことはわからなかった。


 すると、真坂さんが言い出したのだ。

「しゅるさんが住んでるところを見つけた人に千円!」

 

 冗談だと聞き流そうとしたら、チュンさんが、

「見つけます、ぜったい!」

と息巻いた。

「見つけたら、ほんとに千円くれますか?」

「お、おう」

と、真坂さんは返し、

「よーし、僕も乗る」

と、涼くんが言い、

「じゃ、あたしも」

と根本さんも言い出した。

「春奈さんは?」

 涼くんに言われて、春奈も、

「じゃ、参加する」

とは返したが、本気で考えてなかった。基本、しゅるさんであれ誰であれ、どこに住んでいようと興味はないし、昼休憩のたわいない話としか思っていなかったのだ。


 だが、チュンさんは本気で探したという。


「真坂さんはバス停で見かけたと言いましたが、バスには乗りませんでしたよ」

「え、後をつけたの?」

「はい。たくさん歩きました。しゅるさん、遠くから来てます。三十分以上は歩きました」


 びっくりした。チュンさんがそれほど本気だとは。

 しゅるさんの住んでいるところを突き止めたら、真坂さんはほんとに千円払うつもりだろうけど、たった千円のために、三十分も歩くなんて。

 だが、考えようによっては、いいアルバイトなのかもしれない。

 この工場の時給は、八百六十円。ただ後をつけるだけで、一時間、猪子饅頭を箱詰めするより高い報酬だ。


「怖かったですよ」

 口のまわりについたソースを指先で拭いながら、チュンさんは続けた。


「川の土手を通って、山のほうへ行ったんですよ。それから川が北側へ曲がるところがあるでしょう?」

「ああ、狸野たぬきのね」

 狸野という日本むかしばなしみたいな地名の、野っ原があるところだ。人通りは少なく、その先は林になっている。

 あの先に、家なんかあったっけ。

 チュンさんは続ける。

「林に入りました」

「え。林に?」

「そうです」

「あそこ、電灯なんかないんじゃ」

「だから、見失いました」

「巻かれたってこと?」

「巻かれた?」

「ごめん、なんでもない」

 奇妙な表情になったチュンさんの頭の中では、ロープかなんかで体を巻かれる自分の姿が現れたのかもしれない。


 それからチュンさんは、黙々と弁当を食べ始めた。

 すると、窓に近い場所に座っていた涼くんが、スマホから顔を上げて、

「あんなとこ、行かないほうがいいですよ」

と、チュンさんに顔を向けた。

「どうしてですか?」

 チュンさんが、ちょっとむっとした顔で返す。

「だって、あの林、有名じゃん」

「ああ。そういえば」

 春奈がうなずくと、チュンさんが、

 なになに?と、春奈に訊いた。

「あれでしょ? 小学校のとき聞いた覚えがある」

 涼くんに向けて声を上げると、涼くんは、そうそうと言って、

「物をねだる幽霊が出るんですよ、あそこは」

と、声音を変えて言った。


「物をね、だる幽霊?」

「違う、違う。こっちの持ってるものを欲しいって言ってくる幽霊」

 パチンと音を立てて、チュンさんが箸をテーブルの上に置いた。


「幽霊?」


 ようやく怖さが染みてきたのか、口をぱくぱくさせる。

「だいじょうぶ、ただの噂。どうせ、子どもが言い出した嘘なんだから」

 小学生の頃は信じて怖がったものだが、大人になって考えてみると、いかにも作り話ぽくって笑ってしまう。おそらく、大事な物を失くした子どもが、親か友達への言い訳に作り出した話なのだろう。


「作り話じゃないと思いますよ。僕は見た人、知ってますから」

「ひゃあぁ」

 チュンさんが心底怖そうに叫んだので、春奈は涼くんをにらみ付けた。

「やめなさいよ、ほんとに怖がってるじゃない」

 そのとき、休憩室の隅で昼寝をしていた真坂さんが、むくりと体を起こした。





 


 

 

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