第19話 本日は晴天なり
雨など降る気配もない、晴天の今日。
リプカは東区B地点の森の中にいた。
木の陰に隠れ、様子を窺う先にいるのはサイド。
そう、リプカは今、サイドを尾行中なのだ。
カルディア、ローニャが消え、そしてグラディウスまでもが消えてしまった今日、サイドは彼らを捜しに行くと言って、ギルドを飛び出して行った。
当然、リプカも付いて行くと申し出たのだが、それはサイドが許さなかった。
ここで全員消えるわけにはいかないと、もしかしたら誰かが戻って来るかもしれないからお前はここに残れ、と言って、リプカをギルドに残そうとしたのだ。
勿論、リプカとて反論しようとしたのだが、そこで彼女はふと思い付く。
ここで自分達が別行動を取れば、カルトはどちらかに襲い掛かるだろう。
自分の方に来るのであれば問題ないが、もしサイドの方へ行くのだとしたら、自分が彼の後をこっそりと付けて行けば良いのではないだろうか。
そうすれば自分もサイドも助かるかもしれないし、上手くいけば、カルトを二人で抑え込めるかもしれない。
素直に見送ったリプカをサイドは当然訝しんだが、疑惑の念を送っていてもしょうがないと思ったのだろう。
彼は胡散臭そうにしながらも、グラディウスが消えた東区B地点へと出掛けて行く。
そんなサイドを
(今のところは大丈夫みたいだけれど。でもきっと、カルトはサイドを狙って襲い掛かって来るハズ。そこを取っ捕まえてやるわ)
ズンズンと森を進むサイドに、今のところ異変は見受けられない。
しかし油断は禁物だ。いつランドを連れたカルトが現れるとも、分からないのだから。
(でも、カルトはどうしてこんな事をしているんだろう。こんな事するような人じゃなかったのに)
少なくとも、あの時までは。
ジャケットのポケットに入っているのは、カルトがくれた小さな丸い缶。
取り出して振れば、中からカラカラとキャンディーの転がる音がする。
(どうしてこうなってしまったのだろう)
これをくれた時、彼はいつも通りだった。
友達思いの彼は、友人の恋を応援するために面倒な受付係をすぐさま代わってやっていた。
休日である自分に受付係を押し付けた時だって、ただ一言よろしくと言えば良いだけなのに、お礼にと言って、このキャンディー缶を渡してくれた。
ふとした時に見せる、彼の優しい笑顔が大好きだった。
(でも、思い出に浸っている場合じゃない)
そっと、リプカはポケットにキャンディー缶をしまう。
大好きな彼だからこそ、これ以上罪を作らせるわけにはいかない。
またみんなで笑い合いたいからこそ、彼を止めてこちら側に引き戻してみせる。
決意を胸に、リプカは視線をサイドへと戻す。
しかしその時だった。
ガサリと、近くの叢が音を立てて揺れたのは。
「!」
カルトか。
そう思い、リプカは手に杖を握る。
腐ってもギルドナンバーワンの実力を誇るカルトが相手だ。
油断など出来るわけがない。
サイドと協力してカルトを捕らえるハズが、自分が先にやられるわけにはいかないと、リプカは迎撃準備を始める。
しかし、その中から姿を現した人物に、リプカは驚いたように目を見開いた。
「やあ、リプカちゃ……むぐぅ!」
呑気に自分の名を呼ぼうとしたその人物こと、ムナールの口を、リプカは慌てて塞ぐ。
そのまま隠れつつもサイドの様子を窺えば、今の音に気付いたサイドが、何の音だと辺りを警戒している。
バレたら怒られる。減給どころか、給料完全カットもありえなくはない。
ドキドキしながら彼の様子を窺っていたリプカであったが、気のせいだと思ったのだろう。
サイドはリプカの姿を見付ける事なく、そのまま先へと歩いて行った。
「はあ、良かった、バレなかった」
ホッと安堵の息を吐きながら、ムナールを解放する。
すると突然何するんだと、ムナールが眉を顰めた。
「酷いじゃないか、突然。何するんだよ」
「ご、ごめん、ムナール。実はサイドを尾行中で……」
「それは知っているけど。何でサイド君を尾行しているの?」
「え、知っているの?」
何で知っているのと言う疑問はさておき。
とにかくその理由を話せと急かすムナールに、リプカはサイドの尾行を続けながらギルド・ブロッサムに起こっている状況を説明する。
ギルドの仲間達が、日に日に一人ずつ消えている事。
その犯人はカルトじゃないかと疑っている事。
そしてカルトを捕まえるため、サイドを囮にして見張っている事……。
一通りの説明をすれば、ムナールは呆れたように眉を寄せた。
「何、その話。僕、聞いてないんだけど」
「だって、言ってないもの」
「言ってないじゃないよ。って言うかそれ、結構な大事件じゃないか。何で僕に一言相談しないんだよ」
「いや、何とかなるかと思って」
「何とかなるじゃないよ」
はあ、と、ムナールはもう一度呆れたように溜め息を吐く。
そして自身のこめかみを人差し指で押さえながら、ムナールは咎めるようにしてリプカを睨み付けた。
「あのねえ、リプカちゃん。人が三人も消えているんだよ。しかもキミの読み通り犯人がカルト君であったとしたら、キミに太刀打ち出来るわけ? 相手はD地点へフラッと出掛けて、無傷で帰って来る程の手練れじゃないか。それをキミ一人でどうこうしようなんて、ちょっと考えが甘すぎるんじゃないの? だいたいね、それでキミが返り討ちにでもあったらどうするつもりなんだい? 僕に一言相談していれば何とかなったかもしれないモノを、キミの甘っちょろい考えのせいで余計ゴダゴダに……」
「わわわわわ、と、ところでムナール、ムナールはどうしてここにいるの?」
奥義、マシンガン説教。
それが始まる前に、リプカは慌てて話を逸らす。
まだまだ言い足りないと無言の圧力を掛けて来るムナールであったが、確かに今は説教をしている場合ではないと気が付いたのだろう。
長い説教を短い溜め息だけに留めると、彼は今度はその理由を口にした。
「実は、それぞれの森のA地点に、D地点に生息しているハズの魔物の姿が確認されているんだ」
「え、何それ、私、聞いてない」
「そりゃそうだよ。僕だって知ったの、昨日だもの」
「え、そうなの?」
それもどうなんだと思ったリプカであったが、そこは敢えて追及せず、そのままムナールの話に耳を傾ける事にした。
「それで魔物に異変が起きているんじゃないかって、今日はカンパニュラのメンバー総動員で詳しい調査に当たっているんだ。僕もレイラやタウイザー、父さん、シュタルクさんと一緒に東区の調査に来るハズだったんだけど……」
そこで一度言葉を切ると、ムナールは白い眼差しをリプカへと向けた。
「その途中、キミがコソコソと誰かの後を付けていたのを見付けたから、気になってこっちに来させてもらったんだよ」
「え、そうなの? わ、何かごめんねー。でも助か……」
「そしたら尾行してたの、カルト君じゃなくって、サイド君だったし。サイド君を囮にして、カルト君を捕まえるとか、綻びだらけの作戦実行しているし」
「……」
「失敗する前に合流出来て良かったよ」
「あの、何かすみませんでした……」
勝手に合流され、勝手にクソデカ溜め息を吐いているムナールに思う事は多々あるが。
けれどもそれを口にすれば、大量の小言が返って来るのは明白だ。ここは大人しく謝っておく事にしよう。
そして謝罪を述べた後、彼女は辺りを警戒しながら、その視線をサイドへと戻した。
「それにしても、何も起こらないね。サイド君に襲い掛かって来るのだとしたら、そろそろカルト君が現れても良いハズなのに……」
視線をサイドへと移してから、ムナールは眉を顰める。
確かにここはB地点だ。
一人で仲間を探しに来ているサイドが、危険なC地点までは足を踏み入れないと言う事は、カルトであれば予測出来るハズだ。
だからカルトがサイドに襲い掛かるとしたら、C地点の手前であるB地点である可能性が高いのだ。
それなのにまだカルトが現れないのであれば、もう少し先に進んでから現れるか、はたまたサイドではなく、ギルドに残っているハズのリプカの方へ行くつもりだったのかもしれない。
「もしかしたら今頃、カルト君はギルドにいるのかな。チョロそうなキミの方へ行ったのかも」
「えー、じゃあ大人しく留守番していれば良かったかなあ」
「そうかな、僕はサイド君を尾行して正解だったと思うけど。おかげで僕と合流出来たし、このままいけばサイド君には何も起こらない。ついでにリプカちゃんも襲われずに済むんだ。うん、こっちの方が正解だ」
「ついで……」
その一言が気になったが、この場合深く考えてはいけない。
これでもムナールは自分の事を心配してくれているのだから。
うんそうだ、きっとそう。そういう事にしよう。
しかし、リプカがそう思い込む事で自分自身を慰めていた時だった。
ムナールの持っていた小型電話が、大音量で着信を知らせたのは。
「うわっ!?」
「わあああっ……、何だ、電話か。ビックリしたな」
「ビックリしたじゃないよ! 何で大音量で鳴るの!? 普通サイレントモードにするか、もう少し音量落とすでしょ! サイドにバレたらどうす……」
「おい、リプカ。お前、何してんだ?」
「ひぃっ!?」
大音量で着信音が鳴り響いた上、驚いて悲鳴まで上げたのだ。
その一連のゴタゴタにサイドが気付かないわけがない。
振り返れば、「怒り心頭」と顔面に書いたサイドが、仁王立ちでこちらを見下ろしていた。
「オレ、お前にはギルドで留守番してろって言ったよな? それに対してお前は胡散臭い笑顔で「うん、分かった! 留守番してるー」って頷いたよな? それなのに何でこんなところにいやがるんだ?」
「いや、それは、その、えっと……」
「あ、もしもし、レイラ? 何、どうかしたの?」
「随分あっさりと引き下がったな、とは思ったが……なるほど、オレを騙して後を付けて来るなんて、良い度胸じゃねぇか。お前、給料全カットの覚悟は出来てんだろうな?」
「だ……だって! だって、カルトが来たら、二人で押さえ付けた方が上手く行く可能性高いじゃない! サイド一人だったら、絶対カルトに負けちゃうもん! 負け戦だと分かっている仲間を黙って送り出すバカがどこにいるってんのよッ!」
「開き直ってんじゃねーッ! つーか、誰が負け戦だ! 舐めんじゃねぇぞ、ゴラ!」
「事実じゃない! それに、サイドだって、私の満面の笑顔を胡散臭いだなんて酷い! あんまりだ!」
「それこそ、事実だろうが!」
ぎゃあぎゃあと、いつの間にかお互いに罵り合うリプカとサイドを尻目に、ムナールは電話の向こうの相手と話を進める。
しかし、その瞬間であった。
呑気に電話をしていたムナールが、急に悲鳴にも似た声を上げたのは。
「レイラ……? え、今の何? ねぇ、どうしたの? レイラ!? レイラッ!?」
「ムナール?」
「え、どうしたんですか?」
急にレイラの名を叫び出したムナールに、リプカとサイドもまた驚いて視線を彼へと向ける。
するとムナールは、青ざめた表情で、電話を握っていた右手をダラリと落とした。
「分からない……分からないけど……。でもレイラの向こう側でタウィザーの叫び声と、何か嫌な音がしたと思ったら、レイラがシュタルクさんの名前を呼んで、突然黙り込んで……それで、どうしたのかって聞いたらそのまま電話を切られて……だから……」
「ムナール?」
「それってどういう……?」
「僕、行かないと……っ!」
「あ、ムナール!」
突然そう叫ぶと、ムナールは一目散にその場から走り去って行く。
電話の向こうから聞こえて来た声に、向こうで何かがあったのは明白だ。
彼らはこの地区のA地点を探索していたハズ。
ならばすぐにでもA地点へと向かい、彼らと合流しなくては……。
(間に合え、間に合え……っ!)
そう祈りながら走り去って行くムナールの後ろ姿を、リプカとサイドは無言で見つめる。
何があったのかは分からないが、何かがあったのは明白だ。
ムナールの反応から、彼を一人にするのは危険。カルトや消えた仲間達の事も心配だが、今はムナールの後を追い掛け、そこで何があったのかを確認しなければならない。
「……」
互いに頷き合うと、リプカとサイドもまたムナールの後を追い掛け、東区A地点へと向かう。
そしてそんな二人を無言で見つめる影が一つ。
癖のある赤茶の髪に、冷たく濁った、サファイア色の切れ長の瞳。
いつもは筋肉の付いた太い腕が剥き出しになっているが、今日は長袖長ズボンの青いジャージを着用している。
そう、リプカ達が探しに来ていた張本人、カルトである。
「残念だな。もう少しでみんなに会えたのにね」
とは言っても、もう魔物の餌になっていて、原形なんて留めていないのだけれど。
「二人が絶望に泣き崩れる姿、見たかったなあ……」
ムナールが一緒にいたのは計算外だった。
こんな事なら、魔物の進軍はもう少し後にしてもらえば良かった。
「まあ、良いか。どの道全員死ぬんだ。その順番が変わっただけだし」
そう呟くとカルトもまた、彼らの後をゆったりと追い掛けて行く。
――その日、当たり前の日常が、突如終わりを告げた。
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