第49話:金髪ブルーアイズの成長

 小さい頃、自転車の練習をしたことがないだろうか。


 最初はタイヤが2つしかない乗り物に人間が乗れるなんて信じられない。タイヤと地面の設置面積は片輪約8平方センチメートル。3センチ角の四角形とほぼ同じ面積だ。たった、これだけの面積2つに人間が乗っかって安定するなんて考えない。


 当然何度も転ぶ。しかし、人間は成長する。さっき転んだから、次はもっとこう……と試行錯誤する。そして、驚くほど短時間でマスターしてしまうのだ。


 子供はどんなカラクリで自転車が倒れないのか分からない。分からないけれど、自転車に乗れるようになる。最初は転ぶけれど、どんな段差は乗り越えられて、どんな亀裂は注意が必要なのか覚えてくる。


 そのうち自転車で転ぶことはなくなり、出かけることは楽しみになる。


 きっとその子供は俺だ。今の俺だ。


 あんなに怖かった魔物が全然怖くない。倒せなかった魔物がどんどん狩れる!


 レベルアップなんてどうでもいい、収納できる量が増えるだけだ。今はこの見つけた『おもちゃ』で思いっきり遊びたいだけ。


 疲れなんて全く感じない。出会い頭に魔物の息の根は止められる。マスターから借りたチェーンソーもあるのだから! 出会い頭に魔物の心臓か脳みそをチェーンソーで直接攻撃!


 身体の内部からはじけ飛ぶ魔物。誰も止めることなんてできない。


 剣でも槍でも弓矢でも。もちろん、チェーンソーでも! 俺はどんな武器も特別な武器に変えることができる!


 たまには斧を投げてくるゴブリンや、火の玉を飛ばしてくるワイバーンもいる。それをその勢いのまま収納ストレージに収納して、ヤツの後ろからお見舞いしてやるだけだ。


 空を飛んでいようが関係ない。俺の魔法の有効範囲はどんどん広がって行った。もっと遠くへ! もっと広く! もっと鋭く!


 今ならどんなやつが来ても100パー倒せると感じていた。全能感を感じていた。これだ! 俺は俺の物語の中でやっぱり主人公だった!


 しょぼい魔法しか使えない魔法使いじゃない。剣術が全然上達しない剣士じゃない。どっちつかずの魔法剣士でもない! モブじゃないんだ!


 戦えば戦う程、戦いは楽に進んでいくようになった。きっとこれがレベルアップ。


 収納ストレージは、入れれば入れるほど容量が増えて行った。最後の方は出会い頭に魔物の頭だけを丸ごと収納スペースに収納した。数テンポ遅れて天高く吹き出す血しぶき。ゆっくりと膝から崩れ落ちる魔物。


 俺はその血しぶきすら届かない場所から攻撃をすることができた。武器すらも使う必要なく、強大な魔物を屠れる存在と成長して行った。


 今夜だけでどれだけの魔物を狩っただろう。収納スペースはどんどん広がり、狩った魔物は丸ごとストレージに収められることもできた。それも、1匹や2匹じゃない。20匹? いや、30匹? まだまだ全然! 50匹!? もっとだ!


 俺はこの異世界に来てからくすぶっていた分まで一気に成長している。元々異世界で暮らしていたであろう『ファティオン・グレバール・ザッタムン』なんて知らない! この数年、ファティオン・グレバール・ザッタムンは俺だ。そして、うだつの上がらない冒険者。貴族であることも秘密にする必要があるほど弱小なモブ。


 収納魔法、使える様になったら面白い。いま自分の収納ストレージに何体の魔物が入っているのか分かるのだ。大小合わせて84体! 最初の方の倒しただけの魔物も回収に行った。見逃しているヤツ以外は全部回収した。


 剣、魔法、チェーンソー……使い分けて、使い尽くして、最後全長3メートルはあるかって巨大なオークを狩ったところでちょうど100体! どれだけこの森には魔物がいるんだよ!


 巨大オークの首を落として、身体も収納したところで俺の頭の中のアドレナリンが切れたのだろう。急激な疲れと疲労感に襲われた。


 森もどれだけ深く入って来たのか。戻る元気なんか全然ない。それはその場に崩れるように倒れ、意識が遠のくのを感じていた。地面の中にずぶずぶと吸い込まれるような……引き込まれて行くような……そして、全然抵抗することができないような、そんな感覚。


 ***


(ピピピピピピ……)「んはっ!」


 次の瞬間、俺はベッドの上で飛び起きた。スマホのアラームが鳴っている。もう朝か!


 液晶は6時3分を示していた。寝起きのいい俺が3分も起きられないのは珍しい。なんだか分からないけど、体中 汗びっしょりだ。


 俺にとってのもう一つの現実。もう一つの生活。


 そう、目覚めた俺は、ファティオン・グレバール・ザッタムンではない。田中庸一、50歳のしがないサラリーマンだ。


 早く起きないとバスと電車に乗り遅れる。いつもの様に起きて、いつもの様に朝ごはんを食べる。昼食分を弁当箱に詰めたら出発だ。


 バスに乗って最寄駅に。電車に乗って会社の近くまで……。そこにはあの森の中を一晩中走り回った高揚感は一切ない。会社に近付くほど、気持ちは反比例して沈んでいく。


「おはようございます」


 オフィスに着いたら誰からも返事はないが、毎朝挨拶をするのが俺の日課。自分の席について、パソコンの電源を入れる。Windowsが立ち上がる間にカバンを定位置におき直して、ノートとボールペンを机の上に置く。


 さあ、無味無臭の勤務時間の始まりだ。自分は仕事をしないくせに成果は全部持っていく上司。全然仕事に向き合わない後輩。


 量産設計なので、日々同じような事の繰り返しで新しいことはほとんどない。左から来たものを右に流す。異世界での剣やチェーンソーを振るった時のアドレナリンは1ピコリットルも出ないのだ。


「田中くん、ちょっといいかな」

「ハイ、部長」


 珍しく呼ばれた。呼ばれた時は大体ろくな事じゃないんだ……。


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