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すべてのエピソードへの応援コメント

  • むふふ✨
    納得しかありません✨

    なぜなら、あたしのように逆性別視点の小説ばかりかいている人間もいますからね✨
    男女の性差なんかは、まさにそういうことのような気がします✨

    作者からの返信

    天川さん

    天川さん、先日は「女性作家の集い」企画をありがとうございました!
    お礼にうかがおうとしましたら、受賞された方々のコメントがずら~~~っと並んでおりまして、「え、場違い、入れない……(笑))とすごすごと引き返した次第です。
    あの時に出した作品を天川さんが読んで下さって、さらに心のこもったレビューまでいただいたことは、本当に嬉しかったです💐


    男性が女性一人称をかく、女性が男性一人称をかく、これも実際には経験していないし、することも出来ませんが、いかにもそのように書くうちの一つですよね。
    男性作家なのにどうしてここまで女性の気持ちを丁寧に書けるの?(逆もあり)と、愕くほどです。
    経験はもちろん大切ですが、経験をもとに、知らないことでもリアルに書けるのが作家です。
    過去を舞台にする歴史小説もそうですよね。
    行ったことがない土地を舞台に、たとえ間違いだらけであっても、ストーリーでぐいぐい引き込むことが出来たら、それは優れた作品なのではないでしょうか。

    などと、想うことを書き散らしてみました♪


  • 編集済

    作家は未経験の事であっても、それを書いて読者を小説の世界に引っ張り込むことができる、というのが能力だと思います。
    書く前提として経験が必須なら、歴史小説とかSFとか、誰も書けなくなってしまいますから。
    むしろ自分の知らない世界をリアルに書けるようになる、というのが作家としての飛躍ではないでしょうか。

    作者からの返信

    hekiseiさん

    経験したことは資源ですので、何でもやってみるに越したことはないのです。
    でも小説を書くのであれば、全く知らないことでも、それらしく書ける力も結局は必要です。

    手塚治虫は医師であったからこそ「ブラック・ジャック」描くことが出来ました。同時に、「アドルフ」「火の鳥」など、イマジネーションの賜物のような大作も描いています。
    あの時代によくもあれだけ……というほどに、縦横無尽に物語の世界を飛び回っています。
    それは大人になってからの経験というよりは、幼少期の読書体験(つまり実体験ではない)が源泉なのではないでしょうか。

    「机を離れて自分で実際に体験してみる」ことの大切さと、想像力。
    老いていく祖父母を身近にみた経験と、死期の迫る老人の心境を経験していなくてもリアルに書けるということ。
    変わったところなら、「吾輩は猫である」のように猫の目線。

    いずれも、こと『小説』においては、実体験の有無をもってその作品の価値をはかるものではないだろうと考えています。

  • こういう議論があるんですね。経験を重んじる方がそんなにも多いとは知りませんでした。それを言うとジャンルがだいぶ限られてくる気がしますが……
    小説は突き詰めれば洞察とか想像とか感性で書かれているものだと思います。題材そのものを問題にすると方向が違ってしまうような。面白く書ける方はなんでも自分らしく料理されるのでしょうね。

    作者からの返信

    柊圭介さん

    所詮は、一個人の「わたしはこう考えます」です。

     株屋だった経験を生かして書かれた小説。
     元バスケットボール選手だったからこそ書けた小説。

    これはこれでいいのです。
    しかしデビュー作がそれであっても、結局はその人たちも小説家として生きるのならば、「自分の知らないこと」を書いて作家活動を送ることになるでしょう。
    そこからが、本番ではないでしょうか。

    柊さんがおっしゃるように、洞察と想像と感性でも、腕がよい人ならば優れた小説は書けます。それとても、経験値はゼロではなく、何かのかたちで反映されていることでしょう。
    それは特殊な経験をすることではなく、平凡な日常であってもそこから何を汲み取るかが、物書きには必要な眼ではなかろうかと考えているのです。
    経験をすることの大切さを否定するものではなく、私小説でないのならば、実体験の有無をもってその小説の価値をはかるのは違うだろうと、そんなことも云いたかったのです。

    あとは、近況ノートでも触れましたが、25歳くらいまでの経験が大きいと考えています。新しい経験を受け入れても、十代の頃の感性に吸収されるような気が自分ではしているからです。

    御作「モグラの穴」は、拠りどころ不在になってしまった少年の彷徨うさまが、以前ほかの方と話題にしたことのあるエイダン・チェンバーズ原作の、映画「Summer of 85」をちょっと想い出してしまいました~。


  • 編集済

    >経験とは小説世界へのアクセスコードの一つです。

    成る程と思いました。
    私は「経験」は自分の作品の幅を広げてくれるものだとは思いますが、絶対しなければならないとは思っていなかったです。
    とてもしっくりくる表現で、素晴らしいです(´ω`*)
    あっハワイは行きたいです!
    朝吹さん、ありがとうございました。

    作者からの返信

    未来屋 環さん

    お立ち寄り下さってありがとうございます。
    経験は自分の作品の幅を広げてくれるもの、まさにその通りです。
    何でも自分でやってみて体験してみることはとても大切なことです。

    それと小説に生かす能力は別だよね。と想って。

    変に「作家こそ多種多様な経験を積まないと良い作品は書けない」と覚えてしまうと、「その作品は実体験をもとにしているのか? いないのなら駄作だ」のように、誤った方向性で小説をとらえる人がいるので、それについてははっきりと反対なんです。
    実録レポではなく、書くものは小説ですから。

    知ったことしか書けないなんていう制約があったら、世の中のほとんどの作品は消えますよね(笑)
    ※「経験が大事」を否定するものではありません。


  • 編集済

    朝吹さん、こんにちは。
    経験って、体験とか取材のことかな…
    やったことがあったらいいけど、
    なければ資料で調べるというイメージで
    あんまり考えたことなかったなぁ。
    (↑すぐググって、妄想するので…笑)

    それよりも、
    私は核になる感情や伝えたいことがないと
    書けないという厄介なタイプです。
    お題で書くのが苦手です。すごく苦手です。
    でも、お題でピンときたら、のめり込みます。
    妄想が広がるか広がらないかで決まるという…

    朝吹さんは考えることがお好きなんだなぁ、と
    思います。
    突き詰めて考える。自分の意見を煮詰め、磨く。
    作品にもそのことが表れているように思います。
    芯があって、尖っていて、刺さる。
    そんな作品をお待ちしてますよー

    作者からの返信

    瑞崎はるさん


    『机にかじりついてないで、いい作品を書くためには、作家こそたくさんの経験が必要』

    これに異を唱えるものではなく、この文言を悪用して他者の作品を否定するとか、何も考えずに口にしている人たちに対して、「そうかな」と想っただけなんですよ~。
    ちゃんと考え抜いてこの結論に辿り着いた方々が云う分には何の反感もありませんし、『作家は経験しなくても文章力があればそれでいい』と安易に想い込まれるのも主旨が違いますから~。

    歴史だったか何だったかジャンルは忘れてしまいましたが、作家の座談会において「ちゃんと現地に足を運んで書くのが大切です」という意見が圧倒的多数の中、ひとりの好々爺みたいな作家が、
    「地図いちまいだけでも優れた小説を書けるのが作家です」
    と呟いていたのです。

    そういう言葉を拾い上げるのが好きだし、印象にも残るんですよね。
    99%の人が「これが正しい」と喚くことに対しての、違う方向からの意見。

    実際にやってみたり、取材に行かないと書けない種類の小説なら、もちろん行ったほうがいいです。
    でも、物語の原型とは、炉端の昔話のように僅かな情報からでも縦横無尽に想像力を伸ばしていくことですからねー。

    荒唐無稽な三国志がずっと読み継がれているのは、腕のひとふりで千騎を吹っ飛ばすような躍動する英傑たちの生命力が面白いからです。
    「現実味がない」
    「作家が実際に経験していないのに知識だけで書いている」などと云われて、小説の大部分を否定するなんて、つまらないじゃないですか。
    そんな方は、自伝やノンフィクションしか楽しめないのでしょう。


    >私は核になる感情や伝えたいことがないと書けないという厄介なタイプです。

    むしろこれが無いなら書く意味もないような……。

    苦手とおっしゃるお題企画でも、そこにうまく絡めたいものがあればスイスイいくのでは?

    直接的な表現は誤解なく伝わるという利点があります。
    ぼかしすぎると、読者の解釈に委ねる比率が上がるので、読者を選ぶ結果になることも。
    わたしは後者がわりと好きなんですが、両方をうまく使えるのが一番いいですよね。

    たくさんの経験をすること、それらを小説の材料として貯めていくことは、云うまでもなく大切なことです。
    でもそれは普段の生活からでもピックアップできることです。
    人の見落としているものを拾うということ。
    こちらの視点がないと、誰が書いてもとくに代り映えのしない、作家の名が頭に残らない作品になるような気がします。


  • 編集済

    数日前に御作を拝読して深く考えさせられました。
    浅慮な内容は憚られつつもコメントを寄せることお許しください。
    論拠のない私見ですが、「経験至上主義」とは目的と手段が転倒した発想なのではと思いました。作品に深みを出すこと、またリアリティを追求するうえで、経験を積むことはひとつの手段たり得る。取材もその一環ですが、あくまでも手段であり「経験を積む」こと自体が目的なのではない。錯誤してしまうからこそ経験がすべて、という結論に到達してしまうのではないかと感じた次第です。書き手の気構えとして、取材や経験を通じて「知る意欲」は尊ばれるべきですが。その姿勢の誠実さと、経験至上論を混同しないように心掛けたいです。朝吹さんと同じく、経験そのものを否定するつもりはございません。

    2024.03.22
    ご丁寧なご返信ありがとうございました。
    拙作をご覧いただき恐れ入ります。「霜ばしら」を存じ上げず、検索したところとてもうつくしい銘菓で驚きました。喩えに恥じぬものが書けるよう精進いたします。御作を含め、朝吹さんのエッセイから得る気づきがとても多いです。何のために小説、フィクションという形態を選ぶのか。書き手として意識せねばならないことだと思います。
    貴重な見識に出会えたことにお礼を申し上げます。

    作者からの返信

    蘆 蕭雪さん

    こんにちは。
    氷見さんのご親族を巡れる素敵な作品を書いて下さってありがとうございます。
    九重本舗玉澤「霜ばしら」を少しずつ味わうようにして拝読しております。


    詰まらないものをお目にかけてすみません。
    突き詰めれば、「自分が経験したことでないと深みを持って書くことは出来ない」と力いっぱい人を殴ってくる人に対して、
    「そんなことはない」
    と云いたかっただけです。
    経験のない職業でも、自分とは真逆の人生でも、老人の心境、性別すらも、その小説に合わせてそれらしく書くのが「小説」だろうと云いたかったのです。
    経験したことしか書いてはいけない、そんな不自由はものではないだろうと。

    経験は経験、取材は取材であって、それを小説にうまく生かせるかどうかはまた別のスキルですよね。
    自分が経験しないと小説は書けないと考える人の中には、ちょろっと本文にジョージア国が出て来るだけでも、「グルジアの歴史文化や言語を学ばないとそれらしいものは書けない」として、自らグルジア語教室に通ったりする作家もいるんですが、さすがにここまでやるのは、偏執的な個人のこだわりの世界でしょうか。
    どれほど調べても、現地に行っても、所詮それは取材です。

    取材や、沢山の経験がある方がいいということを否定するものではなく、実際の経験があるかないかで小説ははかるものではないと考えています。
    ノンフィクションです、自伝ですと謳っているものが真っ赤なフェイクだと問題ですが、小説とは基本、花も実もある嘘を書くものですから。

    変に「作家には経験が必要」という言葉だけを間違えたかたちでインプットしてしまうと、小説なんて楽しく書けないし、味わって読むことも出来なくなりますよね。
    その考え方が豊かさを生むのか、制限を生むのかを考えた時に、間違えたかたちの「経験がないと~」にはNOを云うしかありません。

  • こんばんは。だんだん一人時間が減り、出没率が低めになっていてスミマセン💦

    カクヨムの黒歴史ランキングに、朝吹さまの名前を発見して「あれ、拝読していない!」と思いやって参りました😅タイトルにも惹かれてきましたが、ハワイ全然出てこなくて最後にびっくりしました(笑)

    作家に経験。私の中では、経験はあるに越した事は無いけれど……経験があるからといって、面白い小説が書けるとは限らないと思っています(以前自分の近況ノートでも、書いていたかもしれません)

    最近、不良の男子目線で短編を書いてみましたが……私自身、全く不良では無く、喫煙もした事が無かったので(笑)妄想と暴走だけで書きました。初見で読まれた方に、性別を間違えられるくらい振り切ってみましたが、やり過ぎて黒歴史になったかもしれません🤣(笑)

    何と言いますか……やった事が無い、経験した事が無いものにリアリティを、本物よりも本物らしく書けるひとがプロの小説家なのかもしれませんね!

    ただ「心の奥行き」を学ぶためには、いろんな感情を知っていた方が読み応えのある作品になりそうですね✨

    つい、気づくと自分語りをしてしまいました😱
    とても興味深い作品でした。読ませて下さってありがとうございます🙇‍♀️

    作者からの返信

    ヒニヨルさん

    いえいえ、妖精さんを二人も抱えているお母さんのほうが大変ですから!
    カクヨムが気分転換と息抜きになるのならいいのですが、決して無理はなさらず。
    多忙で半年くらい消えてしまう人、わたしのフォロワーさんにはザラにいますよ(笑)

    こちらこそ、ご無沙汰さんで申し訳ないです。
    多分皆さんと比べて行動エネルギーが十分の一くらいです。
    花粉症が今年は眼にきまして、時々アイシングしている状態なのです。
    出来る範囲で、ゆるゆる楽しんでいます。


    大前提として、経験は無駄にはなりません。
    でもそれと小説を書けるかどうかは全く別です。
    人よりも多種多様な経験を積んだからといって、いい小説を書けるわけではないのです。

    十代でデビューする漫画家さんも、そのせいで世間知らずのように云われますが、還暦すぎてもまだまだ旺盛にヒットを飛ばしていますよね。
    たかだか数年の社会人経験をちょっと積んでからデビューする人と比べても、何ら劣るものはありません。

    云い変えれば、ちょっとやってみただけの経験って、それが何? ということです(※無駄にはなりませんが)

    ヤクザをしていた経験を生かしてヤクザ小説を書きヒットする人はいます。
    これは経験が生かせたパターンです。
    でもこういう方はヤクザ小説しか書けなかったりします。
    ヤクザもの以外を書かせると、あれ? というほど精彩を欠きます。

    >やった事が無い、経験した事が無いものにリアリティを、本物よりも本物らしく書けるひとがプロの小説家なのかもしれませんね!

    そうなのです。本当にそう想っています。
    だから「実際に経験しないといいものは書けない」というのは、書ける人にとってのみ「経験していなくても書ける」と同じ程度の意味です。
    実際に触れてみる、取材することは大切ですが、それを小説として生かせるかどうかはまた別の腕がいる。

    性別不明の書き手さん、カクヨムに大勢いらっしゃいますよね~。
    だいたい女性が「男性」と想われがちで、その逆はほとんどないような。

    お子さんが就学するまでは大変ですよね。
    忙しい中お立ち寄り下さってありがとうございました♡

    編集済
  • 行った事が無ければ書けないのでは、ミステリや異世界小説は書けないですね。
    麻雀だけは調べないと無理だと実家しましたが……それもあくまでルールなので、福本先生だって実際に普段から自らの血液を賭けて麻雀したりはしてないでしょうし。

    作者からの返信

    海猫ほたるさん

    作家に経験は必要なのか? これを言葉どおりにとらえると、人を殺したことがなければ人殺しは書けないんですかぁ~? と、そんな不毛なやりとりにもなるんでしょうが、作家に限らずいろんな経験は人生を豊かにするという意味からもあった方がいいに決まってます。
    でも作家なら、やったことがないことでも山のようにそれらしく書かなければなりませんよね。必要なのはこちらの力です。

    わたしが大嫌いなのは、たとえば男の書き手だけど女を主人公にしているとか、BLの人とか原発のお掃除とか、自分では体験しようもないことを書いている人に対して「経験がないのに知識で書いてる~ぷっ」嗤うような輩です。
    世の中の9割くらいの小説をその人は下にみて嘲笑っている。
    そんな人は根本的に創作を味わう資格なしとみています。

    元警察官とか、経験があってこそ細部の描写までリアルな作品も、もちろんあります。それが小説として良いものなら、それでいいのです。
    どちらにしたって小説は、作者が実際にやったのかどうかで、はかるものではありませんよね。

    ※「経験が大事」を否定するものではありません。

  • 朝吹さん、こんばんは。
    前から思っていたのですが、
    貴方、もしかして……。
    朝吹真理子さんではありませんか?
    それとも、その血筋の人ではありませんか?
    僕の錯覚であったならば、お詫び申し上げます。

    貴方の書く格調高い文章は、カクヨム界隈では
    見かけることは全くありません。
    今回の小説の話も説得力がありました。
    僕は、小説を書く上で経験が必要なのか否か
    については、かなり悩むところでありました。
    今回のお話を読んでも、問題は解決していません。
    僕に文章で魅せる腕を持っているかと言えば
    恐らく持っていないからです。
    今までは、経験したことをそのまま文章にして
    いたような気がします。
    素人が勝手にやっていることだから、
    別にいいんですけどもね。
    何を言いたいのか、混乱してきてしまったので
    この辺で終わりにします。ごめんなさい🙇

    作者からの返信

    沈黙は金?さん

    お久しぶりです~。
    格調の高さについては、今ぱっと想い付くだけでも20人くらいは簡単にカクヨムの中からお名前を挙げられます。
    わたしなどよりも、ずっと格調高いですよ。
    格調高すぎて、敬遠されていらっしゃるくらい。
    何をもって格調高いというかは分かりませんが、見るからに、きちっとしてますよ文章(笑)

    こんなエッセイ書いてますけど、経験は絶対に無駄にはならないので、作家に限らず、何でも経験した方がいいに決まっています。

    でも自分が経験していないことでも書く、自分とは違う性格でも書く、こちらの力の方が、小説家には必要になると想っています。
    そうでもないと、年齢・性別・職業、自分の経験したこと以外のことは、一切書けないということになってしまいますよね。

    喫煙のシーンが必要になった時、煙草を用意して吸ってみる。
    このくらいなら可能でも、体質的にお酒が呑めない作家が、飲酒して酔いつぶれるわけにはいきません。
    でも小説の中では、アル中の主人公が実にそれらしく書けている。
    これが小説であるし、それを書くのが作家の能力なんじゃないのかなと。
    経験だけは豊富に積んでもいつまでたっても一作も書かないままなら、それは物書きではないですよね。

    多くの経験をするということを重く考えるよりは、日常の些細なことを拾い上げる感性の方が重要かな?
    経験したことがないことでも小説にきちんと書ける人と、経験したことを小説にまるで生かせない人ならば、前者の方が小説家としてはいいですよね。

    経験したことをそのまま文章にしていたとのこと、全然それでオッケーです。
    作者と作品がひじょうに近いタイプの作品もあります。

    追記)もしその方の血筋だったら、同じ名を名乗るわけないでしょ(;^_^A

  • 「売れっ子作家」が主人公の小説を書くぞっ。
    その為には先ず「売れっ子作家」を経験しなければっ。



    10年後



    「売れないっ子作家」が主人公の小説が書けるようになりました……。

    作者からの返信

    そうざさん

    売れっ子作家になったら、余計なことを考えてる暇もなさそうですから、売れないっ子作家になってよかったのかも( ´艸`)

    「経験しなくて書いてる~ぷっ」と指さして嗤うような人って、その性格からしても、創作する資格ないよな、と常々考えていたのです。

    経験しなければ書いてはいけないなんて想わないよ~ということを書きたかったのですが、「大勢の人が支持するこれが正しい」から外れると、いきおい、黒歴史になりがちな黒歴史なのでした。

  • ほぼ経験してないことしか書いてない私からしたら、大変励みになる創作論でした。
    経験したことって逆に「経験したからもういいや」となって、書く気にならないんだよなあと、近年気が付きました。
    「経験が大事」を否定するものではなくて、物語と全く関係ない経験が執筆に役立つことは山ほどあるので、やっぱりいろいろ人生楽しんだ方が書ける幅は広がると思います。
    でも、それをエンタメや文学表現として作品に落とし込めるかどうかは、全く別の話ですよね。
    経験は小説を書くためじゃなくて、全般的な想像力を養うために必要です、と言ったら、まだ正しいのかなと思いました。

    ※拙作に大変素敵なレビューコメントを、ありがとうございました! お題の消化と作品のテーマと、どちらも着目していただいて嬉しかったです^^

    作者からの返信

    鐘古こよみさん

    よく女性誌からの恋愛相談が寄せられる、ある恋愛小説の女の作家が、
    「なぜ私たちにきいてくる? 恋愛経験豊富な百戦錬磨のモテ女なら小説なんか書いてない!」と応えていたんです。
    そういうことですよね(笑)
    でもその作家が書く恋愛小説は多くの女性を夢中にさせるのです。

    純文学にせよ、実体験をベースにしたものしか書いてはいけないとも想いません。
    小説はそんな不自由なものじゃない。
    自分が女でも、男の老人を書けたり、男の書き手でも、初恋に懊悩する小学生の女の子が書ける。
    それが小説のすばらしさだと想うのです。

    たとえジャンルがファタジーであっても、ちらっと見ただけのパン屋の店員や、小耳に挟む話、現実の報道、いったん自分の中に入ったものが無意識に反映されているのが小説であって、リアル体験をそのまま書くのは、日記か私小説です。

    何年も費やしてフィールドワークすること、何でも体験してみることを否定するものではなく、「実際に経験したことでないと小説を書いてはいけない」と縛り付けるようなものはわたしの考えにはないかな~と。
    小説の価値とは、「作者が自分でリアル体験したかどうか」ではかるものではないですから。

    【うつ病だったり失業したり不登校だったりする人でも、あなたは小説を書いてもいい】と本当は云いたかったんですけど、書いているうちにどんどん話がずれて、こんなエッセイになってしまいました(笑)

    ※「経験が大事」を否定するものではありません。

  • この問題については私も考えたことがありまして、ポリシーとしては朝吹さんに全面的に賛同します。
    「ラーメン発見伝」という約20年前に発表されたマンガ(原作:久部緑郎、作画:河合単)の有名な台詞を引用します。

    「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」

    作者からの返信

    尻鳥雅晶さん

    「経験したからこそ書ける」
    「経験しなくてもこれだけのものが書ける」

    「経験したわりには薄い」
    「経験していないからやっぱり薄い」

    小説における失敗と成功にはこのどちらもがあると想うのです。

    男作家が女を主役にする、女作家が男を主役にする。
    これだけのことでも、「経験がないのに~」と云おうと想えば云えますよね。
    小説とは、性別や年齢も自在に書けるものです。

    高村薫は男を主人公にして警察小説を書きましたが、その時に男性の担当から、
    「彼の性欲はどうなっているんですか?」
    と訊かれたそうなんです。

    独り暮らしをしている若くて健康な刑事に、まったくその描写がないから。

    これは男性作家なら必ず何かで触れそうなところなんでしょうね。
    高村薫は、当時はまだ本人も若かったこともあり、これは女の書き手として盲点の箇所だったとクソ真面目に認めていますが、書くか書かないかは自由裁量に任されていることで、その描写がないからといって、「男を経験したことのない女が書く小説にはリアリティがない」にはなりません。
    男性作家でも、一切そういった描写をしない人だって大勢います。

    書くべきだと編集者に云われた時も、とりあえず男性はそういうものなのだろうと知っている知識で書くしかありません。刑事になったこともないのに刑事を書くのと同様にです。

    男性作家が、女性の出産場面や女子高生を書く時も同じです。不倫をする女性の心理を、いかにも体験してきたかのように書く。

    それを「それらしく書く」。
    それが必要とされる力なのではないでしょうか。


    ラーメンが出てくる場面で、ラーメンの歴史や製造方法をずらずら書くのって嫌われがちですが、わたしは全然好きです。
    知らないことを小説を通して知ることが出来るのは読者としても、とても楽しいことです。
    それが読者をして「資料を読んでいるみたいだ」と白けさせるようなら、書き手に「読ませる腕」がないのでしょう。

    わたしが嫌いなのは、「情報をそのまま書いているのはよくない」とどこかの小説指南本に書かれていたら、すわとばかりに、「ほらこの場面は説明場面!」とつるし上げにする輩で、そこで躓くことのない描写まで否定するのをみると、小説を読む資格なしとまで想っちゃいます。

    「格闘技をこんなにも真に迫って書けるなんて、経験があるのだろう」「ありません」
    ならば、未経験でもそこまで書ける作家の腕を褒めるべきなのです。

    ※「経験が大事」を否定するものではありません。

  • 作家と想像力という話を目にするたび、思い出す逸話があります。

    最近の若い人は知らないかもしれない、そうでない方はそれなりに知ってる「直木賞作家の派手なおじさん」こと志茂田景樹氏。かの先生が直木賞を獲った『黄色い牙』という作品が、あまりに真に迫ってるからさぞかし取材したのでは、と訊かれて、「いえ、想像力のみで書きました」と答えたとかなんとか。

    それを知った時はテレビの派手なおじさんで、飛んでる警視正だったかな、ノベルズを口述筆記してる人、という印象しかなかったので、その作品を読みたくて読みたくて、でも老眼の方でも安心、という大判大きい書体のお高いソフトカバーの本しか見つからず断念した記憶があります。……あれ、なんで俺図書館に行かなかったんだ🤔

    取材が素晴らしい方向に活かされてる作品もありますよね、漫画ですが『ゴールデンカムイ』とか。小説だと、川端裕人氏の作品なんかは毎度すごいなあと思ってました。すごいし、面白かった(近年はノンフィクションが主体みたいですが)。

    ……などとひとり語りが過ぎましたが、こういう刺激を受ける文章が大好きです。面白かった!←マルハラ対策

    作者からの返信

    SSSS.SLOTMANさん

    死んだことがないのに、老いたことがないのに、老人の死期を書ける。
    これが作家に求められているものです。

    書くには「死に際の老人はきっとこうだろう」というイメージがなくてはなりませんが、死に際を描いた病院レポや小説や漫画をたくさん用意して、
    「さあ、皆さんでこれを研究してから、その場面を書いて下さい」
    と云った時でも、それらしいものが書ける人と、イメージの寄せ集めになるだけで書けない人がいるんですよね。

    前者になる腕を磨くのが作家の積むべき経験であり、死んだ場面を書くのならじゃあ一度死んでみないと書けないわ~、ではないのです。

    何年も取材して、資料をあたり、現地に足をはこび、着々と世界を作っていくことも素晴らしいし、マタギの話を書くなら実際にやらないとと体験してみるのもいいのですが、どちらにしたって肝心なのは小説の方で、「経験があります」ではないです。

    銃なんか撃ったことないし、山も嫌いです。

    これであっても凄い小説が書けるのが、小説家です。
    「ゴールデンカムイ」にはアイヌの雑学がいっぱいありますが、調べるだけ調べたことを、無理なく、楽しませて読ませる。
    作者の腕がいいからですよね。
    ちなみに滅多に主人公に惹かれないわたしのお気に入りは珍しく杉元です。

    大嫌いなのは、「偉い人が云っていた」という理由だけで、「作家は経験が!」「資料だけで書くのはだめ!」とわめき始める奴で、腹におとして云っている人とは違い、なんの説得力もないのです。
    そのセリフを云いたいから云っているという感じがひしひしとして、もういいやってなります。
    こういう人は「そうですね、わたしが間違えていました」と云わせるのが目的ですから、無視しても、「経験しなくても書けるって云ってる~」と言い触らしやがるので、討論する気にもなりません。

    ※「経験が大事」を否定するものではありません。

  • 俳優は経験が大事とかこないだテレビで誰か言ってましたね
    医者じゃないのに医者らしく見せるのが演技じゃないのって思います

    〇〇を10年やれとかのくだりは実際にそうしようと思う人が出てきたらと思って吹きそうになりました

    武蔵野文学賞ってどんな賞だろと思ってたのですが
    武蔵野を舞台にしたということですか
    今調べたら武蔵野大学みたいなとこが主催みたいでした
    直木賞みたいなんだと思ってました(無知恐ろしい)

    作者からの返信

    @rnariboseさん

    俳優さんは、役がきたらその役を実際にやってみて学ぶ人と、台本から汲み取るもので演じる人といるそうですよ。
    浮浪者の役がきたら実際に浮浪者としてしばらく路上生活をしてみる人と、台本を読み込み、作品の中の求められている浮浪者像を固めていく人。

    出来上がった映画をみたらどちらの演技も、他にはない名演技である。

    これが「俳優」というものではないでしょうか。

    なにかの役を想像するには、そこに至るまでの沢山の経験や情報がなくてはなりませんが、実際に浮浪者として路上生活をしてからオーディションに挑んでも、「浮浪者だね」で終わりの人もいるでしょう。
    演技に何かキラッと光るものがある。それが人を魅了するものであり、それは、俳優の内面から出るものですよね。

    故・大滝秀治さんがテレビのCMを観ていて、「……この俳優は誰ですか?」とその凄みに感嘆した農夫がいるのですが、俳優ではなく、実際の農家の人でした。
    半世紀以上、刻まれてきた厳しいものがその顔にあるからこそ、あの大滝さんをして「この俳優は?」とびっくりさせたのですが、その道を実際にやってみるというのは本当ならそこまでしないと、それにはなれないのです。

    だから俳優も作家も、農作業を実体験してみてもいいのですが、所詮はそれもお勉強です。
    それをそのように書き、小説の中に生かす。
    そちらの方が重要なのかなって。

    ※「経験が大事」を否定するものではありません。