樫本という男の奇怪すぎるふるまい

「あのクソバカが! ふざけやがって!」


 大塚は、事務所の椅子を蹴飛ばした。椅子は、派手な音と共に倒れる。だが、大塚の怒りは収まらない。なおも、椅子や壁を蹴り続ける。

 それも仕方ない話だった。抗争になるのを避けるため、大塚は白土連盟のナンバー2である中谷を呼び出したのだ。さらに白土市の顔役である立花薫を立会人として、手打ちの会談を開いた。

 中谷のふざけた態度には、はらわたが煮えくり返りそうな思いを感じた。だが必死でこらえ、どうにか矛を収めさせることが出来たのだ。

 ところが昨日、松山がとんでもない行動に出る。白土連盟の田上が経営するイメクラに車で突っ込み、中に入ると拳銃を乱射した。田上の他に数人か死亡し、重軽傷を負った者も多数いた。

 松山は、駆けつけた警官の説得にも応じず拳銃を乱射し、最後には警官に射殺される。

 こうなると松山だけの問題ではない。警察は、必ずや士想会の事務所をガサ入れする。そうなれば、様々なシノギに影響を及ぼすだろう。

 いや、それどころではないのだ。今の状況では、白土連盟との衝突は、どう足掻いても避けられないのだ──


「クソが! あのバカ、死にたきゃひとりで死ねや! 俺にケツ持ってくんじゃねえよ!」


 もう一度、机を蹴飛ばす。直後、そばに控えている若者の方を向いた。


「仕方ねえ、まず立花に連絡しろ。あいつに詫び入れるんだ」


「それが、今はいないそうです」


 即答する若者。彼の名は瀬川武則セガワ タケノリであり、大塚の片腕と言っていい人物である。中学卒業と同時にこの世界に入ったが、持ち前の度胸と商才をフルに発揮し、あっという間にのし上がっていった。今では、大塚の片腕である。

 そんな瀬川を前に、大塚の表情がさらに険しくなる。


「んだと……まあ、いい。いないんじゃ仕方ねえ」


「どうします? こうなったら、いっそ岸田に間に入ってもらいますか?」


 瀬川の言葉に、大塚は首を横に振った。


「岸田だと? あいつは駄目だ。あのハイパークレイジーが絡んだら、まとまるものもまとまらなくなる」


 吐き捨てるような口調だが、それも無理はない。

 岸田真治は、一応は立花より上の立場である。ただし、実質的なリーダー格は立花だ。立花の存在あってこそ、岸田が顔役としていられる。

 以前にも、士想会と白土連盟のチンピラが小競り合いをやらかしたことがあった。この時は、立花がいち早く動き両組織の手打ち式をセットしてくれた。

 立花こそが、白土市の御意見番ともいえる存在なのだ。その御意見番に間に入ってもらったにもかかわらず、このような事態になってしまった。そう、ケツつまり最終的な責任は、松山の兄貴分にあたる大塚が問われることとなる。


「もう一度、中谷に連絡しますか?」


 瀬川の言葉に、大塚は顔をしかめる。


「いや、無理だ。こうなったら、戦争は避けられねえよ」


 そうなのだ。もはや戦争は避けられない。ここからは、いかにして早く終息させるかを考える段階である。多少の銃弾、数名の逮捕者、その後で手打ちといく。

 頃合いを見計らって、立花に間に入ってもらう。あとは、こちらのダメージを最小限に抑えるだけだ。もっとも、かなりの金と縄張りシ マの境界線の見直しは覚悟しなければならないだろう。

 

「瀬川、お前はおとなしくしてろ。こうなったら、もう止められねえ。とにかく、被害を最小限に押さえるんだ」


 言った時だった。突然、スマホが震える。何事かと思えば樫本からのメッセージだ。


(大丈夫ですか?)


 そのメッセージを見て、大塚はチッと舌打ちした。この樫本は、確かに大事な金づるだ。さらに、奴隷のルミは彼のお気に入りでもある。しかし、今はそれどころではない。


(今は大丈夫だ。もう抗争は避けられねえ。しばらく連絡してくるな。下手すると、お前にも火の粉が振りかかるぞ)


 ・・・


「あの野郎、本当に使えねえな」


 返ってきた文章を見て、樫本はひとり毒づいた。

 メッセージを返信してきた大塚は、普段は用もないのに学園にずかずか入り込んでくる。無論、目当てはルミだ。

 最初のうちこそ、人目のない場所でコトに及んでいた。しかし日が経つにつれ、人前でも平気でルミを犯すようになった。今では、学園内でやりたい放題である。人気ひとけのない教室で、ルミに古いセーラー服を着せてコトに及んだり、全裸で屋上を歩かせたり……などという不埒な行為に興じていたのだ。

 樫本とて、内心では苦々しく思ってはいたが、いざという時の番犬として目をつぶっていたのだ。

 ところが、いざ事件が起きると何の役にも立ってくれない──


 そもそもは、自分の甘さにも原因がある。白志館のヤンキー連中……奴らの手綱を、しっかり握っておかなかった。ある程度の権力を与え、自由にさせておく。その自由と権力が不良たちに特権意識を生み、自分への忠誠心に繋がるはずだった。

 しかし、こんな事態を招くとは。奴らには、飴よりも鞭を与える方が、正しい指導のようである。

 もっともっと、締め付けを強くしなくてはならない。そんなことを思いながら、手下の不良生徒たちにメッセージを送信する。


(希望は、まだ見つからないのか?)


 数秒後、メッセージは返ってきた。


(まだです。絶対見つけます)


 その瞬間、樫本は壁を蹴飛ばした。こんなふざけたことがあっていいのか。なぜ、不運な偶然が重なるのだ。

 樫本は、必死で己を落ち着けようとした。このままだと、怒りのあまりバカなことをやらかしそうだ。怒りは、ガスのようなもの……火がつけば爆発する。まずは、ガス抜きをしなくてはならない。樫本は、地下へと向かった。




 廊下を進んでいき、目当ての部屋で立ち止まる。

 鉄の扉を開けると、中にふたりの女がいた。片方はルミだ。タンクトップにホットパンツ姿で、床に座り込んでいる。その目は虚ろで、入ってきた樫本の方を見ようともしていない。

 もうひとりは、異様な顔をしていた。左右の目の位置がスレており、右は二重瞼で左は一重だ。しかも、右には強烈なアイラインが入っており、異様なインパクトを見る者に与える。しかし、左目には何も入っていない一重で、細く小さく見える。

 鼻も同じだった。右半分はすらりとした鼻筋だが、左半分は鼻孔が大きく広がっている。口元も、左右で異なっていた。右側はしっかり閉ざされているが、左側の唇は大きく腫れたようになっており、しかも半開きの状態なのだ。

 そう、彼女の顔の右半分は美しい。だが、左半分は醜く歪んでいるのだ。その左右非対称さが、不気味さを際立たせている。メイド服らしきものを着ているが、可愛らしい衣装が女の異様さに拍車をかける形となっていた。

 そんな女は、部屋に入ってきた樫本に向かい土下座した。額を床に擦りつけながら、挨拶の言葉を述べる。


「か、樫本さま、本日もルミさんは元気です。そろそろ、体を洗ってさしあげます」


「おい、いいから顔を上げろ」


 樫本の言葉に、女はためらいながも顔を上げた。すると、彼はニタリと笑う。


「ちゃんと食わせてるか? 大塚はな、ガリガリの女は嫌いなんだよ。ルミがガリガリになったら、御立腹なさるからな」


 言いながら、その場にしゃがみこんだ。女の顔を、数センチの距離でまじまじと見つめる。


「見れば見るほど、ひでえ面だな。岸田が俺に言ってたよ……ここまで人を不快にさせる顔は、もはや芸術品だと。お前の顔も、俺が作り上げた芸術品だな」


 言った途端、女は顔を背ける。


「そんな、ひどい……」


 思わず声が出ていた。小さな声だったが、樫本は聞き逃さない。


「ひどい? 今、ひどいと言ったのか? 高校の時、お前は俺になんと言った?」


 言いながら、顔を近づけていく。


「も、もう許して……」


「忘れたのか。なら、もう一度言ってやるよ。お前みたいなキモい男は、ちょっと優しくされるとすぐに勘違いするけどな、まず自分の面を鏡で見てみろ。お前は人間の資格すらないんだよ。女に告白なんかすんじゃねえ……と、こう言ったんだ。ひどいセリフだよな。俺は自殺したくなったよ」


 耳元で囁いた。すると、女はまたしても土下座する。


「なんでもします。だから、許してください」


 額を擦りつけながら発した言葉を、樫本はせせら笑った。


「はあ? 許してください? それっておかしくねえか? 許すか許さないか、決めるのは俺だよ」


 言った直後、女の髪を掴み強引に立ち上がらせた。壁に付けられた鏡に、ふたりの顔を映す。


「ほら、鏡を見てみろ。お前と俺、どっちがひどい顔かな。なんなら、外に出て女子高生にアンケート取ってみるか?」


「そ、それだけは勘弁して」


 か細い声で言いながら、女は顔を背ける。すると、樫本は耳元で囁いた。


「顔を、戻して欲しいか?」


 その途端、女は弾かれたように顔をあげる。


「はい! なんでも言うことを聞きます! ですから、元に戻してください! お願いです!」


「どうしようかな。お前の顔を完全に戻すのは、非常に難しいんだよ。腕のいい整形外科医に頼まなきゃならないからな。保険も利かない。となると、確実に一千万単位の額になるよ。そんだけの額、払えんのか?」


 その言葉に、女は何も言えず下を向く。一方、樫本は得意げに語り続けた。


「まあ無理だろうな。お前の顔じゃ、売春もできやしない。俺のお情けに頼るしかないよな」


 そこで言葉を切り、ルミを指差す。彼女は、ふたりのやり取りを完全に無視している。虚ろな表情で床を凝視していた……。


「いっそ、ルミみたいにクラッシュやってみるか? そうすりゃ、何もかも忘れてハッピーに過ごせる──」


「い、嫌です! それだけは許して!」


 不意に、女は金切り声をあげた。首を横に振り、涙を流す。だが、樫本は嬉しそうに笑うばかりだ。


「そうだろうな。壊れちまった顔は、金を詰めば元に戻せる可能性がある。だが、壊れちまった頭は金を積んでも元に戻せないからな」


 言いながら、女の髪を掴み顔を近づける。


「俺はな、お前らにある意味では感謝してる。お前らのおかげで、俺は相手に情けをかけない人間になれた」


 憑かれたような表情であった。女は恐怖のあまり震え上がる。樫本は、そんな彼女に構わず語り続けた。


「お前が言った通り、俺は人間じゃねえんだよ。だから、何だって出来るんだよ。せいぜい、俺の機嫌を損ねないようにするんだな。でないと、もっととんでもねえ体にしちまうぜ」








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