序章

第0話「記憶喪失のヒーラーと理不尽な世界」

分からない。

 俺には確かに“使命”があった――その実感だけは残っている。けれど、肝心の内容を思い出せない。


 曖昧な記憶の奥底で、自分が無数に存在したような感触が揺らいでいる。

 自分であって、自分でない。だが確かに“俺”なのだと知覚している奇妙な感覚。

 ――説明は難しい。けれど、どうか信じてほしい。


 俺は――何度も世界を“間違えた”。


***


 ここは剣と魔法が息づく世界。

 ……のはずだが、俺には生い立ちの記憶がまるでない。気づけば大地を踏みしめていた。魔法が扱えることは理解していたが、それ以外は霧の中だ。


 唯一はっきり覚えているのは、自分の名前と――“愛する人”の名。

 それだけが灯火のように胸に残っている。


 そして、俺はこの世界に「呼ばれた」としか思えなかった。

 生まれたはずなのに、生まれ落ちたという実感が希薄だ。霧の向こうから誰かに呼ばれ、引きずり込まれたような違和感――


 「思い出せ」と迫る声が、ときおり頭蓋を震わせる。

 けれど思い出せないものは、どう足掻いても思い出せない。


 考えることをやめた。それが、俺の“最初の選択”だった。


――――――――――


「――おい! ヒーラー! 聞こえてんのか!」


「す、すみません!」


 怒鳴り声に現実へ引き戻される。そうだ、俺は今、冒険の真っただ中だった。

 冒険者になった初クエストで気を抜き、ぼんやり立ち尽くしていたのだから、叱責されても文句は言えない。


 この世界は――理不尽だ。


 俺は攻撃魔法を使えないヒーラー。幼い頃からその不利を骨身に染みていた。


 人は何らかの〈才能〉を持って生まれる。剣術、魔法、商才、芸術――多岐にわたる。

 だが才能を授からなかった者は“凡人”として生きるしかない。


 俺が得たのは回復魔法ただ一つ。両親はそれでも喜び、将来を祝福してくれたが――

 ヒーラーはパーティに一人いれば十分。つまり単独では冒険すらこなせない。


「冒険者になった初日に詰むとは、どういうことだよ……」


 ギルドの片隅で肩を落としていると、不機嫌そうな声が飛んできた。


「おい、お前ヒーラーだろ? 俺たちのパーティに入れ。報酬は二割だ」


「えっ、でもそれは少し――」


「あぁ? 文句あんのか? 傷を負わなきゃヒーラーなんざ用済みなんだ。二割くれてやるだけ感謝しろ」


「……分かりました。お願いします」


 こうして俺の初クエストが幕を開ける。

 偶然に見えたこの出会いが、すべて必然だったと悟るのは、もう少し先の話――

 これは、俺がまだ何も知らない物語の序章にすぎない。

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