08.危険を察知したら一時撤退
ルードルフは浮かれていた。一番の功績は誰かと問われれば、遠慮なく手を挙げる。先鋒を務めたスマラグドスが、その功績を疑われることはない。だが、真珠姫は貴族の誰かが得るのだと思った。
無骨で不器用、女性の扱い方も知らない俺が、まさか。そう思いながらも、隣でエスコートされる女性は、美しいアンネリースだ。もう王女ではないため、殿下と呼ぶことはしないが。
「アンネリース姫、本当によろしいのか」
「ええ」
微笑んで頷く美女は、王族として育った。年齢より落ち着いた雰囲気だが、一回りは歳下だろう。もう少し年齢差が開けば、娘でもおかしくない。
宮殿を辞して屋敷に戻ったルードルフは、挙動不審になっていた。ぎこちなく手足を動かし、貼り付けた笑みで応じる。その笑顔と髭面の組み合わせが悪く、騎士からも「酷いな」と評された。
「姫に部屋を用意してくれ」
宮殿から近い場所に与えられた屋敷は、それなりに大きく豪華だ。皇帝ウルリヒに呼ばれた時しか使用しないが、最低限の使用人はいた。侍女のまとめ役である老齢の侍女長は「あらまあ」と呟き、大急ぎで手配する。
騎士や兵士の手伝いをした乳母達が合流し、大慌てで居室が用意された。といっても、使うのは一晩だ。翌日には領地に帰る手配をしたルードルフは、迷っていた。そわそわと自室でカミルに相談する。
「姫の体調を考えるなら、出発は遅らせた方がいいか」
「そうですね」
「だが出発前にドレスや宝飾品を揃えないと、姫の身支度が整わない。スマラグドスは田舎だから」
「はい」
相槌を打つだけのカミルだが、彼は届いたばかりの手紙に目を通す。その表情が曇り、やがて眉間に皺が寄った。
「明日は早く出発しましょう」
「ん? 話を聞いていなかったのか」
不満そうに姫の準備を繰り返そうとする上官に、副官は首を横に振った。
「貴族の動きがきな臭いようです。ここに残れば巻き込まれますよ」
「……ウルリヒに伝えないと!」
「それはやっておきますから、明日の早朝に出発できるよう準備してください。姫のお買い物は後日にしましょう」
強く押され、ルードルフは無言で頷いた。浮かれて緩んでいた表情が引き締まる。戦の機運を読む能力は、彼らの本能に近い。危険を察知したら一時退却、手を打って勝ちを取る。これが出来るから、スマラグドスは最強民族と呼ばれてきた。
宮廷内の闘争にはとんと疎いルードルフを、カミルは情報戦や根回しで守る。互いの得意分野を活かした活躍でここまでのし上がったのだ。ルードルフは、カミルの言葉を疑わなかった。
「姫に伝えてくる」
先ほどまでの狼狽えた姿が嘘のように、堂々と廊下に出ていった。主君の私室に残されたカミルは、机を借りて三通の手紙を書く。それらを各所へ届けるよう命じた。
「嫌な感じがします。打てる手はすべて使うとして……問題は間に合うかどうかですね」
悩ましい案件に、呻きながらカミルはぐしゃりと前髪を握った。大きく溜め息を吐き、大急ぎで退室する。悩んで迷う時間はもう残っていなかった。
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