第8話 乾坤一擲!
時刻は午後十六時を回ったところだ。
僕は『賢者の堂』を後にし、帰路に着いている。肩には刀の入った黒革の刀袋をかけているのだが、こんなもの持っていたら、銃刀法違反で捕まってしまうとイリスさんに言うと、刀袋に特殊な術式が組み込まれていて、霊感のない一般人には見えないらしい……何とも便利なことで、ただ中に入っている刀は見えてしまうらしいから気をつけないと。
まだ昨日の出来事なのに、随分前のように感じてしまうなぁ。それほど濃密だったってことか、まさか自分に霊感が目覚めるとは夢にも思わないし、人の域を超えた美少女とお知り合いになるなんて誰が予想できる? 極め付けに退魔師? 僕が? 厨二病のオタク達に言えば飛んで喜びそうな事案だな。
本当はもう少し真面目に考えた方がいいんだろうけど、今日は疲れた。まだ病み上がりだし体力が落ちているのか、すごく疲れやすい。
僕は体に鞭打ちようやく我が家である、お惚け荘に帰ってきた。
「こんなボロアパートが、煌めいて見えるなんて、重症だ……」
そう言えば、こんな事になる前にアパート一階の
階段を上がる前に毒島さんの部屋を見やる。しかし明かりもついておらず、留守のようだ。気に留めず階段を上がり部屋の前に立ち鍵を出す。僕の部屋は階段を上がったすぐ手前にあり、右隣には、二部屋空き部屋があって隣人トラブルなく快適に過ごせていたのだが……?
「あれ? 隣の部屋、外に洗濯機置いてある……誰か引っ越してきたのか」どうやら僕が留守にしている間に誰かが隣に引っ越してきたようだ。内心静かな暮らしに慣れていたので、騒々しい輩じゃなきゃいいけど、と思う。
そんな事より早く横になりたい。
鍵を開け中に入り靴も揃えずにベットまで走りダイブした。
「ああ、これこれ、この布団だよーー会いたかったよマイスイートハニーたまんねーよぉ」
思うがままに布団に顔埋め堪能していると、早速隣人が帰ってきたようで、物音が聞こえる。どたどたどたと駆け足する音、食器などが重なる際に出る音、重いものを引き摺る音、よく耳を澄ますと陽気な鼻歌のようなものも聞こえる。
おいおいまさか昨日今日で引っ越してきたのかお隣さん? きっと荷解きしてる音だよこれ、しかも鼻歌まで聞こえるって家の壁ってこんな薄かったのか、最悪だもう。
枕で顔を隠し耳を塞ぐ、これでいくらかましだ。次第に瞼が重くなり、僕は程なくして眠りについた——。
午前一時四十二分
かなり、深い眠りについていたのか、夢も見る事はなかった。
まだ深夜か……そう言えば夕飯を食べる前に寝てしまったせいで腹の虫が鳴る。冷蔵庫の中に何かないかと漁ってみるけど、僕が料理をするわけもなく、賞味期限の切れたマーガリンしかないときた。
「コンビニ行くか……」
瞼を擦り、ベットを離れる、その時一瞬、刀袋に目が行く。コンビニは一〇〇メートルくらいの距離、なくても大丈夫だろ。僕はこの時ひと眠りしたせいか警戒心が薄れていた。
玄関を出て、隣の部屋に視線を移す。明かりは消えているようだ。こんな真夜中まで荷解きするわけないか、部屋の鍵を閉めていない事も気に留めず階段を下りる。
階段を下りきったとき、ぱきんと渇木が折れたような音がした。アパートの一階から聞こえたような気がする。
僕は一階のフロアに耳を傾ける――――? 気のせいか何も聞こえない。
やめようサクッとコンビニに行って腹ごしらえしよう。
キィィィィィガンッ。一室のドアが異音を立てて一人でに開いた。古いドア特有の蝶番が擦れる音が心に不安を抱かせる。
開いた部屋は顔見知りの毒島さんの家だ……毒島さん鍵を染め忘れたのだろうか?
でもこの距離からでもわかるけど、部屋は真っ暗だ。
僕は恐る恐る歩幅は小さく近づいていく――「……たすけて」歩みを止める、今声が、消え入りそうなか細い声が聞こえたような……「たす……け、て」やっぱり聞こえる、助けてと、僕は思い出す。入院する前に見た毒島さんの二の腕についていた青紫色の痣を……もしかして今まさに毒島さんは、DVを受けているところなんじゃないか? 僕があの時、気づいていたのに見て見ぬふりせず、警察にでも相談していたら、少なくとも今の今まで毒島さんが、暴力を振るわれることはなかったんじゃないか? いやいや慮りすぎちゃダメだ僕の責任じゃない落ち着け。
だけど一度見捨ててしまったお詫びに、偶然を装って前を通り過ぎ、もし暴力が行われていたら叫ぶんだ「強盗だーー誰か警察をーー!!」っていいながら逃げ、僕が警察に通報すればいい。いいじゃないか、謝礼を求めない孤高の
認知バイアス。これは物事の考え方にバイアスをかけ、今までの経験や固定観念により、合理的判断ができなくなると言うものだ。佐野命は、病院で起きたことを忘れていたわけではないが、内心ではそれを否定している、それは人間誰しもが抱える矛盾、根拠のなく自分は大丈夫と言う考え方は安直ではあるが、なかなかどうして拭い切れるものではない。それは一種の現実逃避、人間は一度や二度の失敗からは学ばない。何度も事故をするし、何度も人間関係を破綻させる。その理のような心理からは例外などない、佐野命はそれの典型的な例だ、人と対面するときもわざと的外れなことを言い現実的な話には上の空だ。自分は大丈夫、独りでも大丈夫と言う幻想にと取り憑かれ危機感が欠如している。
だから、痛い目を見る。
「へぇ……?????????????????」
このアパートは六畳一間の間取りのせいで玄関からリビングまで、一直線に見えてしまう。僕は開け放たれたドアから部屋の中を視る。
「たす……けて、たすけてたすたす……け」そこには毒島さんがいつもの半袖T
シャツにスウェット生地のホットパンツ姿で血塗れの状態で座り込んでいた――それもただの血塗れではない、全身くまなく血塗れなのだ、最早何色の服だったのか区別がつかない。
「……ぶ、毒島さん、だ、だいじょう……ぶ?」僕はあまりにも現実離れした状況にがたがたと足が震えている。毒島さんを気遣う言葉をかけようとしたが、言葉が止まるほどの衝撃が走る。
クチャ、グチャ、グチャンと水気を含んだ雑巾を弄ぶような異音が室内から聞こえる。
そして僕はその音の正体に、気づく……「――!! うっおぇーっう、う、おえっ」せり上がる吐き気に喉を刺激する胃酸で嘔吐した幸い何も食べていなかったおかげで
毒島さんの他にも人が居たのだ……座り込んでいる毒島さんの目の前には男が仰向けでピクリとも動かず寝ている。毒島さんはその男の……腹部を、かき混ぜている……視線は上の空で、手つきは砂場で遊ぶ子供のように、男の臓物をかき混ぜているんだ。
「……ひぃ、あ、ああぁう、う、」あまりのショッキングな光景に僕は声も出せず腰を抜かしていた。何とか逃げだそうと、玄関の靴箱に手をかけると、靴箱はぐらりと傾き、上に置いてあったであろう写真立てが音を立て落ちた。
一瞬静寂の後、毒島さんはかき混ぜていた手を止め、壊れた人形のように、こちらに首を向ける。その瞳からは血の涙が流れている。
「たす……たすけて……たすすすたたたたたたたたたたたたた………なんで、助けてくれなかったの????」
「はあはあ……僕は……」――――!! 言い終える前に毒島さんは、多関節の昆虫を彷彿とさせる四足歩行で僕に突進してきた!!
顔面を鷲掴みにされ左肩は地面に押さえつけられ、その勢いのまま馬乗りになる毒島さんは僕の首の辺りに躊躇いもなく噛みついてきた。
「!!!! ぎゃあっ嗚呼ぐっ痛!! ぅううう」
まるで獣のように頭を振り、首の肉を噛みちぎった。毒島さんは顔を起こし僕を見下ろす。くちゃくちゃと行儀悪く音を立て咀嚼しごくりと吞み込み「すぅ、はあぁ」と吐息を洩らし、にちゃりと不気味な音を立て微笑む。その微笑みは、僕に十分すぎるほどの死を連想させた。このまま喰われて死ぬと。
「いやだ……っ!! 死にたくない!!!! ……僕は、僕はまだ、独りで死にたくない……」
この期に及んで出たのが独りで死にたくないだなんて、ずっと独りになりたがっていた僕が、はは…………これじゃただの我がままじゃないか。怖い、怖い……独りは怖い、姉さん嘘ついてごめん、僕は独りじゃダメみたいだ……だから、だから、だれか
「たす、けて……」
「私が独りになんてしません!!!!」あどけなさが残る、はっきりと自信に満ちた少女の声……。
「……朝陽??」
次の刹那「どうりゃーーーー!!!!」馬乗りになっていた毒島さんの顔面に、フライングニーが入った。また僕は天使の股間を真下から拝むことになるなんて、でも以前と違うのはスパッツを履いていたということだ。
continuation————。
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