第42話 北地の才媛 Ⅰ

 窓硝子まどがらすに映し出される朝日がキラキラと輝く。静かな教室に、生徒達が集まり始める。いつも通り、アリスが席に着こうとした、その瞬間——


「アリス~! おはよう! 今日もバチバチに可愛いね!」


 朝から一人でも騒々しいオーロラが突進してくる。その衝撃に、ぐっ、とくぐもった声を上げる。


「おはよう……朝から元気ね、オーロラは……」


 オーロラから数秒遅れて、クロエがやってくる。


「おはようアリス。あれ? アリスはあんまり元気ない?」

「元気がないというか、ちょっと寝不足で……」

「そうなんだ。何か心配事でもあるの?」

「ちょっと……ね」


 ——昨日の夜からずっと、リリスのことを考えている。


 リリスは本当に、生きているのだろうか。だとしたら、茶店で会った人物は? ブランカの部屋に会った肖像画しょうぞうがは? 全て、彼女だというのだろうか。

 気になって気になって、まともに眠れやしない。


(とにかく、今日やらなくてはいけないことを考えなきゃ。ブランカさんについて、もっと情報が欲しい——)


 アリスは、駄目元でクロエに話しかける。


「あのさ、クロエ」

「ん? なあに?」

「クロエって、一年生に知り合い、いたりしない?」

「一年生……? あ! うちの隣の店の、武器屋の娘さんのトリーネちゃんがいるよ!」

「え! トリーネちゃんは美少女?」


 隣で聞いていたオーロラが割り込む。こいつは美少女なら何でもいいのかと思いつつ、無視してクロエにう。


「一年生と話がしたいのだけど……今日のお昼休み辺りに、その子と話せないかな?」

「いいよ。トリーネちゃんのことは小さい頃から知ってるから、行けばお話しできると思う!」

「ありがとう、クロエ」


 進展があり、アリスは少しだけ気持ちが軽くなる。

 すると、クロエが何かを思い出したのか、ぱっと顔を上げる。


「あ、そういえばさ、アリス」

「なあに?」

「一昨日の夕方、うちの店……大通りの肉屋の近くにいた?」


 一昨日はたしか、剣術の講義こうぎでシンシアと手合わせをした日だ。あの日は疲れたので、学校が終わった後は一歩も外に出ていない。エクスと大悪霊アークデーモンと戦う戦わないで言い合いになったような気がする。


「いや、学校から帰って、ずっと家にいたけど……何で?」

「うーん……そっかあ」


 クロエは腕を組み、首を横に倒す。


「じゃあ、やっぱりこの辺に、アリスのそっくりさんが住んでるのかな?」


 胸がドキリ、と音を立てる。


「え……? ちょっと、詳しく聞いてもいい?」


 クロエは頷くと、話し始める。


「一昨日の夜ね、店の看板をしまっていたら、アリスにそっくりな子がいたから、アリスだと思って声をかけたんだ。そうしたら、走って逃げて行っちゃった。この前、アリスが茶屋でそっくりさんを見たって言ってたじゃない? その子だったのかなあって……」


 クロエが言い終わるや否や、教室に鐘が鳴り響く。


「あ、始まる。じゃ、また後でね」

「あ……うん……」


 オーロラとクロエが席へと戻る。アリスは着席し、肘をつく。



 ——故に、リリーは生きている。



 アークから聞いた、衝撃的な言葉。

 しかし、アリスは信じていない。何故なら、アリスはリリスが悪霊デーモンに喰われる瞬間を見たからだ。


 確かに記憶している。間違いだったとは思えない。丸呑みにされて生きていた、そんなこともあり得ない。悪霊デーモンが人を噛み砕く、骨の折れる音を聞いた。

その全てが、アリスの心得こころえ違いだとでもいうのだろうか?


(リリス……あなた、本当に生きているの? 生きているなら、五年も一体、何をしていたの……?)


 自分と同じ顔をした、別人の目撃情報。アークの探すリリー。どちらも妹・リリスではないのかもしれない。解らない。解らないけれど。何か、アリスが把握していない、大変なことが起きているのではないかという予感が、胸をざわつかせる。


 次々と頭に浮かぶ嫌な感情に呑み込まれ、意識が朦朧もうろうとしてくる——



「……リス! ア~リス!」



 誰かの呼ぶ声がする。まだ、頭がもやもやしている。


「ううん……」


 何とかして声を絞り出すと、誰かに耳元でささやかれる。


「起きないとちゅーするぞ……?」

「はっ!?」


 飛び起きると、そこにはオーロラの顔がある。後ろにはクロエもいる。


「あ、残念、起きちゃった」

「おはようアリス。授業中、寝てたよ。そんなに疲れてたの?」

「いけない……今、お昼休み?」


 欠伸あくびを噛み殺しながら、壁掛け時計へと目を向ける。


「そうだよ。今から一年生の教室、行く?」


 クロエにそう聞かれ、深く頷く。


「ええ、行きましょう」



* * *



 お昼休みの真っ最中。食事を終えたと思われる生徒達で教室内は賑わっている。生徒達はいくつかのグループに分かれており、それぞれ談笑だんしょうしているようだ。


「ちょっと……こういう場面で声かけるの、勇気いるよね……」

 一年生の教室を覗きながら、クロエが躊躇ためらいいの声を出す。


「が、がんばって、クロエ」


 アリスもこういう場面は苦手だ。クロエの後ろ側に回り、肩に手を置く。

 そんな中、オーロラだけが不思議そうな顔で二人を見る。


「んえ? なんで緊張するの? 普通に呼べばいいじゃん」


 そう言うと、オーロラが必要以上に大きな声を出す。


「トリーネちゃん! いますか~?」


 教室中の視線が、一斉にアリス達へと注がれる。アリスは半歩下がったが、生徒の中から一人、こちらに近づいてくる人物がいる。

 肩にかかるくらいまで伸ばした茶髪の、背の低い、可愛らしい雰囲気の少女だ。


「あ、クロエさんだ。何か用ですか?」


 どうやら、彼女がトリーネらしい。クロエの姿を見て、久しぶりです、と言う。


「あ、あのね。トリーネちゃん。私の友人が、トリーネちゃんに話したいことがあるんだって」


 クロエはそう言うと、アリスの方を見る。アリスを見たトリーネは感嘆(かんたん)の声を上げ、目を見開く。


「アリス様だ! 近くで初めて見た!」


 アリスはぎょっとする。


「え、私のこと、知ってるの?」


 もちろん、トリーネと話すのは初めてのはずなのだが。


「そりゃあ。アリス様のことは一年生でも知ってますよ。セト王子の許婚いいなずけで、こんなに美人ですから」

「そ、そうなの……」


 あまり気にしたことがなかった。よく考えたら、アリスは知らなくても、アリスのことを知っている人はいるのだ。セトの知名度をめていた訳ではないが、あの容姿で、王子様なのだ。その許婚であるアリスも、そこそこ知られているのだろう。となると、アリスの肖像画が他人の家にあったとしてもおかしくはないのだろうか。いや、それはさすがに自惚うぬぼれすぎだろうか。


「へえ。アリス、有名人なんだね。困ったな。敵が多いってことだよね……」


 横にいたオーロラが難しい顔をする。


「で、話したいことって何でしょうか?」


 トリーネが上目遣いでアリスに聞いてくる。


「あ、ええ。一年生に、ブランカさんっていう生徒がいると思うんだけど、知ってる?」

「ブランカ? あー、いますよ。お洒落な感じな子です。長い黒髪を二つ結びにしてて、ちょっと変わった感じの、レースの髪飾りをしてる。肌が白くて、真面目っぽい雰囲気の……そう言えば、最近見ませんね?」

「二週間前ぐらいから?」

「はい。大体そのくらいだったかなあ……」

「来なくなる前に、学校で何かあったとかない?」

「いえ、特には……あまり他人とつるむ感じでもなかったしなあ。一人で黙々と授業を受けてた印象です。絶対にリリウムになりたいとか言ってたっけ」

「他に、一年生でブランカさんと仲の良い子はいないの?」

「特に親しい子はいないんじゃないかな……いっても私たち、まだ入学して三カ月しか経ってないんで」

「そう……よね……」


 人伝ひとづてにブランカのことが聞ければいいと思ったが、難しそうだ。


 トリーネにお礼を言い、アリス達は一年生の教室を後にした。

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