第3話 夢裡の少女 Ⅲ

 日が陰る頃、婚約式が開始した。


 会場には百人以上いるだろうか。装飾過多のテーブルの上に、豪勢な食事が用意されている。アリスはドレスが苦しくて食べることはできないので、味についてはわからない。


 式に出席している面々はほとんどが王都騎士団の者である。他には、有名な商人や学者とその子女たち。そして、アリスとセトの通う士官学校の学友たちがいる。


 学友、といっても、アリスには面と向かって友と呼べる人物は一人もいない。入学してすぐにアリスはセトと婚約したため、未来の王族相手に下手なことはできないと、誰もが遠慮がちであった。それだけではない。士官学校よりも前、修道院学校でも一緒だった生徒たちは、アリスの家の事情を知っているため、誰も寄り付かない。


(それにしても、すごい気合いの入れようね……)


 士官学校の女生徒や商人の娘たちの格好である。いつもの三倍は着飾っている。同じ学級の子ですら、顔がいつもと違うので解らないぐらいだ。


 その理由は単純だ。若き乙女たちの熱い視線は王都騎士や独身の王子たちに注がれている。先ほどからずっと王都騎士団ロサ隊隊長が祝辞しゅくじを述べているのだが、おおかた誰も聞いていない。


 小声で話す娘たちの会話が聞こえる。


「ロサ隊隊長のオルランド様、後でお話できるかしら」

「あそこに座ってるは陛下の弟君、ロメオ殿下よ!」

「私は、第十王子とお近づきになりたいわ」


 皆、結婚相手探しに夢中である。

 だが、それが正しい。ここで未来の上役や未来の旦那様との縁故えんこ関係を作っておくこと。社交の場というのはそちらが主要である。主役と見せかけて、アリスはオマケなのだから。


 横目で、同じくオマケであるセトの様子をうかがう。セトは王位継承順位が低いため、士官学校卒業後は王都騎士団に入隊して王都を守る予定である。そのため、本来ならば隊長などのご機嫌取りに勤しむべきなのだが、不貞腐れた態度で座っているだけだ。

 よく観察すると、セトの他にも複数人、ゴテゴテに着飾ってきたにもかかわらず、死んだ魚のような目をした乙女がいる。そして、アリスにはその理由がなんとなく察せた。


(第一王子が来ていない……)


 ロサ隊隊長オルランドが祝辞を終えて席に戻っていく。彼の座った席の隣は、空席となっていた。



* * *



 歓談時間の途中、アリスは控室へと逃げ隠れる。


(疲れる……)


 話しかけてくれる学友はいたが、気を遣うだけで楽しいものではない。話も続かないし、不機嫌なセトを気にして、すぐに離れてしまう。セトの兄にあたる王子達とも挨拶を交わしたが、皆、アリス達に特別な興味はなさそうだった。それもそのはずだ。セトと兄王子たちは母親が違う。王様は多くの妃を持っていて、セトはその中でも、王の元使用人との子だ。関わりも薄く、ほぼ他人のようなものだ。


(……こんなことなら、求婚を受けなければよかったのかな)


 それも違う。とアリスは思った。結婚しなければ、それこそどうやって生きていけばいいのか解らない。アリスには、人並み以上の美貌以外、何もない。若いうちに誰かに貰ってもらわなければ、生きていくことなんてできない。アリスは生きるために、誰かの装飾品になるしかないのだ。


(頑張って生きるのは、私には難しすぎる。商いで、芸能で、芸術で、一番になれる才能なんてものは、私にはないのだから)



 ——せめて、大好きな人と、結婚したかった。

 そんな幻想は、二年前に捨てた。


 

ふと、窓がアリスの視界に入った。アリスは数時間前のことを思い出す。窓の下から現れた謎の人物のことだ。


(いや、本当に、あの人、何だったんだろう……?)


 使用人にしては風変りな服装だった。アリスの知らない王子でもなさそうだ。


(聖堂に入れないとか言ってたような……もしかして、泥棒だったのかな?)


 あの後、すぐに人が呼びにきたため、誰かに伝えることも聞くこともできていない。不思議な体験だった。急に窓から入ってきたと思ったら、わけのわからぬことを言って、窓の外へ消えていった。


(夢……だった……? 疲れてたのかなあ……)


 そう思った瞬間、扉が開く。


「……セト」

 姿を現したセトの端麗たんれいな顔に疲れが見える。アリスを探しに来たわけではない。恐らくはセトも逃げてきたのだろう。


「おまえ、こんな所で怠けてたのかよ」

「……いた方がよかった?」


 少しだけ皮肉を込めて、口にする。


「別に。誰も俺らなんて見てないだろ」


 そう言って部屋の隅に置いてあった椅子へと腰掛けるセト。

 アリスは窓辺に突っ立ったまま、目をそらす。


「…………」


 しばらく沈黙が流れたが、思うところがあったのか、セトは立ち上がりアリスに近づく。


「それさ」


 セトはアリスの首飾りを指差す。


「何かある日はいつも付けてるよな」


 アリスは親に隠し事がばれてしまった子どものようにうろたえる。


「べ、別に……」


 その態度が気に入らなかったのか、セトは舌打ちする。


「一応、王族になる訳だからさ」


 そう言って更に距離を詰め、アリスの首飾りを握り——そのまま力任せに引きちぎる。


「こんな粗末なものを身に付けるな」


 華奢な首飾りは、ぷつん、と簡単に切れた。

 感じたのは怒りか悲しみか、自分でもよく解らない大きな衝撃を受け、アリスは顔が熱くなるのを感じる。

 思わず大きな声でセトに言う。


「返して!」


 言うが早いか、セトは窓の外に首飾りを放り投げる。

 首飾りは十数メートルほどの距離を落ちていく。すぐさまアリスは窓から下をのぞき込んだが、見えるはずもない。


「ほら、そろそろ戻るぞ」


 セトに手を掴まれ、会場へ戻るようにと促されるが、アリスはその手を振りほどく。拒否されると思っていなかったセトは、目を丸くする。


「え、何? 怒ってんの?」


 セトが驚くのも無理はない。アリスはセトの前で怒ったことがないのだ。それどころか、笑ったことも泣いたこともない。


 当然、初めての反抗である。


「……意味わからねえ、先行ってるから」


 セトは乱暴に扉を閉めて出ていく。

 アリスはもう一度窓から下を見る。上からではどこに落ちたか全く解らない。日中でさえ暗い森が、永遠の闇のように広がっている。


(外に出るしかない……)


 それは、この地で生きる子ども達の『禁忌きんき』だった。

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