第6話 後悔のない人助けを 前



 思わず助けたはいいものの、明らかに様子がおかしい男性。


 しかしそれを差し引いても、美の暴力と言うくらい彼の顔立ちは整っていた。

 それに比べて暗めの銀髪はぼさぼさになっており、顔色は非常に悪そうだった。空を連想させる瞳はどこか曇った眼差しでうつろになっていた。


「あ、あの」


 私が声をかけても、返事がくる気配がない。どうして、という言葉の先が恐らく〝なぜ自分を助けたのか〟という疑問だとは思ったものの、最後まで発せられなかった言葉に返すのはためらいが生まれる。


(……この人、飛び込もうとしたように見えたけど)


 自ら危険な真似をする理由がありそうなほど、彼の持つ雰囲気は重く苦しいものだった。

 助けたのなら、ここで終わりにして去ることもできる。しかし、不用意に助けてしまった以上どうにかしなくてはならない、という気持ちが働いた。


 それに、このまま放置すれば彼は同じことを繰り返す。そう直感で感じた。

 そんな寝覚めの悪いことはできないし、後悔するのは嫌だ。


「あの……ここで立ち止まっていると他の人の迷惑になってしまいますので、ひとまず座れる場所に移りましょう」


 こちらを見ようともしない男性の手を引くことにした。意外にも素直についてくると思ったが、それさえもどうでもいいのかもしれない。誰かに話をしたいと思っていたから着いてきた、というのは私の希望に過ぎない。

 不安を抱きながらも、近くの喫茶店へと入った。


 何が飲みたいかと聞いても返事がなかったので、何が飲めないのかと尋ねた。「……特には」とようやく返答がきた。

 適当にコーヒーを二つ頼むと、男性を自分の向かい側に座らせた。


「……よろしければ、お話聞きます」


 無表情な男性に、そっと問いかける。下を向いたままで、虚ろな瞳なのは相変わらずだ。

 問いかけた以上待ってみることにしたが、沈黙が流れるだけだった。

 やがてコーヒーが運ばれてきても、男性は微動だにしなかった。

 困った。見るからに男性は若かったが、これ以上何を話せばいいのかははわからない。


 普段学園で生徒を相手にしているとはいえ、関わることはそう多くない。そもそも相談を受けたこともあまりないので、この状況には戸惑いしかなかった。しかし、重く口を閉ざされてしまった以上、私にできるのは観察のみ。


(観察して、解決の糸口をみつけよう)


 何だか絶望しているような顔だ。生気がないのは明らかだった。ここまできた以上、少しでも明るい姿を見なくては終われない。

 

 どうしようと考え込む。

 もしや、初対面だから話せないタイプの人かもしれない。

 相談された経験はないが相談に関する知識はある。何から始めようかと悩んでいると、男性はぼそりと呟いた。


「俺の話は……重すぎますので」


 力なく笑う男性は、まるですべてを諦めたように見えた。重すぎる、だから私には話せない。そう聞こえた。


 重い、重いか。それならまずは私から重い話をしてみてもいいかもしれない。


 昔、ある本に緊張しやすい人でも自分より緊張している人を見るとマシになると書いてあった。それなら今回の重い話にも、同じことが言えるかもしれない。


 自慢できるものではないが、重い話なら私も持っているから。


「では先に、私から重い話をしますね」

「……え」


 そう返されるとは思っていなかったようで、男性の目線はゆっくりと私の方を向いた。曇り気味な瞳は変わっていなかったが、それでも美しいと思えるほど綺麗な瞳だった。


「私は没落貴族です。家もない、領地もない、贅沢を言えるようなお金もありません。両親はもういません。その上、当主だった兄夫婦は亡くなり、残されてしまった姪を娘として育てています。正直言って貴族とはかけ離れた暮らしをしています」


 私は、没落とは言え〝貴族〟という肩書きからは想像もつかないような、貧乏暮らしをしている。もうここまでくると慣れだが、正直本音を言うともう少し楽ができたらと思う日はある。ルルメリアとの暮らしに不満があるわけではないけど。

 ただ、初対面の人ならこの事実だけ聞けば〝重い〟と感じるはずだ。


 自分の境遇を知りもしない人に話すのは、正直褒められたことではない。ルルメリアが同じことをするのであれば、すぐさまやめなさいと止めているところだ。

 しかしこの男性は、助けてしまった以上私がどうにかするしかない。だから少し捨て身で話すことにした。


 まぁ、没落貴族の話など悪用されることはないし記憶に残ることもないだろうから。


 話を終えると、男性の様子に変化が起きたのがわかった。虚ろだった瞳は、今は私の方に焦点が合い始めている。それを興味の表れと捉えると、もう一度彼に尋ねた。


「……よろしければ、お話聞きます」


 真っすぐと男性を見つめれば、彼は一度目を伏せてからゆっくりとまたこちらを見つめ返した。


「実は、俺も……兄を失ってしまって」


 話し始めてくれたのは、同じような境遇だったことが大きかったようだ。


「……ずっと、慕っていた兄だったんです。……両親は既に他界していて、頼れる人が兄しかいなくて。…………でも、いなくなってしまって」


 悲しさを含んだ眼差しは、とても胸にくるものがあった。

 あぁ、何だかわかる気がした。彼は今、孤独なのだと。


 両親は早くに亡くなってしまい、最後の心の拠り所だった兄まで失ってしまった。この喪失感は、私も覚えがある。


「いなくなるなんて、考えたこともありませんでした。…………もう、どうしたらいいか……わからなくて」


 だから馬車に飛び込もうとした、とまでは言わなかった。どうやら絶望しているものの、決意して死を選択したわけではないのかもしれない。


 この世界に一人取り残されてしまって、行き場も生き方も見失ってしまった人。そんな風に映った。


 それはまるで、かつての自分のようだった。


 

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