おまけ③ パトリシアのこと

 パトリシア・ランプリング。あたしが一番嫌いな女の子。

 くるっとカールしたサラサラの髪。ぱっちりとした水色の目。綺麗に揃った爪はきっとお兄さん──ウィルフレッド様に切ってもらったんだろうな。だってこの子、とってもそそっかしいんだもの。

 この前だってそう。初級魔法学の薄い教科書さえ忘れてきて、あたしのを見せてあげるしかなくなっちゃったじゃない。その上、居眠りまでして先生達に怒られてさ。

 だから、全然羨ましくなんてないのよ。鞄で大人しくしてるリボンのバッジも、猫のストラップが揺れるキラキラのペンケースも、時々くるりと回されるオレンジのペンだって、全部。


(友達が多いのだって……あたし、なーんにも羨ましくなんかない!)


 あたしは唇を尖らせて、難しい顔でノートにペンを走らせるパトリシアをちらりと見た。最初から最後まで変なスペルばっかりなのに、どうしてこの子がウィルフレッド様の妹なんだろう。魔法のことなんて何にもできないくせに。

 あっ、嘘。魔法工学のことだけはちょっと、ほんのちょーっとだけ尊敬してるけど。それだけ。

 あたしの視線に気付いたのか、パトリシアが泣きそうな顔をガバッと上げた。涙の溜まった目がペンケースみたいにキラキラしていて、何だか少し腹が立つ。


「ね、ねぇ。ここ、教えてくれない? 次先生に当てられたら、このままじゃ絶対頭の上に氷柱が降っちゃう……」


 精霊言語学のエイヴリル先生は厳しい。特にいっつも赤点なパトリシアに対してはそう。でもあたしは知ってる。なんだかんだ言って、この出来の悪い生徒が可愛いんだってこと。だから見捨てたりなんかしないでパトリシアに構ってあげてるんだ。

 あたしも本当はそうなのかな。はーって溜息をついて、「今すぐは無理だよ。だって、全部間違ってるじゃない……」と言ってやった。知らないって言えばいいのに、バカみたい。


「えっ⁉︎ 全部って⁉︎」

「パトリシア、声が大きい!」

「ひええっ! せ、先生ごめんなさい!」


 エイヴリル先生に怒鳴られたパトリシアがおかしかったのか、教室の空気が密やかな笑い声で揺れる。あたしも何だかおかしくなってきて、こっそり、先生にバレないように笑った。

 パトリシアはミーラヤの実(真っ赤で丸い木の実だ)のように頬を赤くして、「結局怒られちゃった……」と頰を掻く。きっと、そういうところが好きなのね、みんな。あたしは違うけど。


「バカね、ちゃんと勉強しないからよ」

「うぅ、お兄ちゃんとおんなじこと言う……」


 パトリシアは小さく唸りながら、またノートに向き合って、すんと僅かに鼻を鳴らした。

 可愛くて丸い字。あたしのとは大違い。オーロラみたいに色が変わるインクは、ウィルフレッド様の魔法が掛かっている。

 あたしだったらもっと上手に使ってあげられるのに、なんて。

 そんなことを考えていたら、リンゴンリリン、リンゴンココンと西棟のカリヨンの鐘が鳴った。ちょっとだけ変な音なのは、パトリシアが悪戯で曲を変えて、元に戻らなくなってしまったからだ。

 鐘の音を聞いた先生が、「今日はここまでにしましょう」と言う。

 挨拶をして先生を見送って、あたしはいまだにうんうんと唸っているパトリシアを見た。パトリシアのお友達がこぞって集まってくるのも。


(勉強くらい、お友達に教えて貰えばいいのに。なんでいっつもあたしに聞くんだろう? 隣の席だから?)


 何だか変な気分だ。少し居た堪れなくなって、あたしはふんとそっぽを向いた。本当はどこか別のところに行きたかったけれど、次の初級魔法学は同じ教室だから仕方がない。

 お友達と楽しそうに話しているところなんか見たくないわ。そういうところが嫌いなの。あたしが一人でノートを取っているとき、こっちのことなんか気にも止めてくれないくせに。

 パトリシアが間違えていたスペルを一つ書いてみて、すぐさまそこに二重線。胸の奥が痒くなって、三重線。気持ちが悪くて四重線。

 それを繰り返して三回目。パトリシアが「何してるの?」なんて言うから、あたしはもうびっくりして、インク瓶を倒してしまいそうになった。


「べ……別に、何もしてない」

「そうなんだ?」


 パトリシアがキョトンして、それからすぐに、「あ、そうだ! さっきのとこ教えてくれない? 考えても全然わからなかったんだよね〜」と情けなく笑う。

 その笑顔だって嫌いよ。いつも顰めっ面なあたしと全然違うもの。でも、嫌いなだけで相手をしてあげないのは良くないじゃない。

 だから、少し迷ったけれど、あたしはノートを見せてあげることにした。どうせ分からないだろうけど!

 あたしが思った通り、パトリシアはうんうんとまた唸るだけ唸って、最後にうわーっと机に潰れてしまった。急に音が外れるのが、壊れたままのカリヨンの鐘とそっくりだ。

 投げ出された指先に、窓から差した光が当たっている。綺麗に切り揃えられた爪先が光って見えるのは、氷晶の屑がついているせいかな。あれは魔道具のコアによく使われるもの。

 どうせ、また魔道具作りで夜更かししたんだろうな。そんなことを考えながら、またまた唸り始めたパトリシアの背中をつついてやった。あたしはあなたが嫌いだけど、爪先の努力の跡はほんのちょっとだけ好きよと思いながら。

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