「それは、どういうこと?」僕の唇は小刻みに震えている。いや、そんな筈はない。僕は機械なのだから。そんなことはする必要がないのだ。だから、独りでに唇が震えるなんてあり得ないのだ。不合理な行動だから。


 一号は両手を腰に当てて、支えるようにしながら、僕の事を仕方さそうに見つめてきていた。まるで、たった今検品を終えたばかりの部品の中に、明らかな欠陥品を見つけ出した時のような目で。僕は彼女の、真っ直ぐなその瞳が苦手だった。自分の中にあるどんな細かな部品の欠陥も、見抜かれてしまいそうだからだ。


 一号は腰に手を当てている。それから暫く誰も何も言わない時間が流れ、一号はついに口を開いた。


 始めはね、と彼女は言う。


「別に、変だとも思わなかったの。博士の靴の裏がすり減ってるのを見た時にも。踵の辺りがね。まだ、初めて亡くなった博士を見た時に、チラッと見えただけなんだけど。でもその時の私は、まあそういうこともあるかなって、深く考えようとも思わなかった。


 でも、虫の知らせって機械にもあるのかしら。さっき、あなたが洗浄室に行って手を洗っている間に、私の中で何かが動いたの。その動きはこう言っていた。何かがおかしい、今すぐに調べに行った方がいいって。それでね……あら、二号、聞いてる?」


 僕は俯きがちになり、彼女の青く澄んだ瞳が目に入らないようにしながら、黙って頷いた。そう、と彼女は言って、また続きを話し始める。


「……それでね、私はあなたがいなくなった間に、もう一度二階に上がって、デスクの前に座っている博士の様子を見に行ったの。そこですぐに驚いてしまったのだけれど、あれはあなたがやったのね? 博士の口を無理矢理に閉じたのか、動かしたのか……顎が外れかけていたわ。口の周りは血だらけだったし……。まあ、それはこの際、置いておきましょう。それよりも、私は博士の状態の何を疑問に感じたのかってことね。私はまず彼の首を観てみた。白衣の下のシャツの襟を捲って。後ろからも観てみたわ。やっぱり、うっすらとだけど、何か太い指のような跡がある。でも、とてもうっすらとだわ。片手で握られたような、薄い跡。それで益々疑問に感じた私は、次に靴の裏を確認した。


 やっぱり、靴は踵の辺りだけが不自然に削れていたのよ。それで、博士の歩き方とか、最近の様子とかを思い出したんだけど、そんな不自然な削れ方に繋がるような行動は思い出せなかったの。だから、今日なんじゃないかと思ったのよ。私がまだ起きる前の。空白の、同期ずれの間に起こった出来事。それが、私がその時の博士に対して抱いた疑問に対する答えだったんじゃないかと、私は思ったの。それで私は、その跡が出来そうな場所が二階のどこかにあるんじゃないかと思って、研究室や培養室なんかを見て回ったわ。


 結果だけを言うとね、私は見つけたの。研究室の、よく博士が顕微鏡で観察をしていたデスクの椅子の辺りから、床が、本当にうっすらとなんだけど、擦れたような跡があった。その後は二本線で、部屋の外に通じていた。所々途絶えた箇所もあったけれど、跡はまた始まって、最終的に溶解液のある辺りへと通じていた。


 それで……後は言わなくても分かるかもしれないけど……。いいえ、違うわね。あなたは、確実に知っているのよ。その後に何が起こったのかを。博士が何に引き摺られて、何によって溶解液の中に顔を沈められ、命を失うことになったのかを。


 もうこの際だから、はっきり言うわね。あなたは、研究室で博士の首を絞め、抵抗する博士を引き摺りながら溶解液のあるエリアまで来た。そこで多分、軽い抵抗を受けた。あなたの身体をよく見ると、胸や脚の辺りに、所々引っ掻き傷のような跡が見られるわ。それも昨日にはなかったものの内の一つ。博士はあなたに頭を掴まれ、溶解液の中に、顔を沈めさせられた。そして、博士は溺死し、あなたは……うん、その後の行動は、私には分からないわ。


 ……何を笑ってるの? 二号」


 僕は笑っているのか? 人間がするように。にたにたと、音でも出すように。でも、無言で。大きく見開かれていた僕の瞳は、すっかり乾いている。でも、痛みはない。潤いは回復させることが出来る。僕は今、機械なのだ。


 二号、と彼女は言い、深いため息を吐いた。彼女のため息は僕には見慣れたものだった。


「どうしてこんなことをしたの?」


 どうして? 僕は自分の中に問いかける。どうして? どうして、お前はあんなことをしたのだ? 一体、どういうつもりで? どういう動機で? 一体、何の為に? どういう感情で? 一体、どういう……


(「お前は、本当に使えない……こっちへ来るな。ここは危ないのだ」)


(「二号、お前はいい。一号、来てくれ」)


(「何? 仕方ない……。残りの食料を回して……目的地まで持つかどうか……」)


(「隊長が死んだ? 他の操縦士は? ……。そうか……。ん? おい、二号。なんだ? お前には関係のない話だ。あっちへ行ってろ」)


「ねえ、二号」


(「もう、私と……だけになってしまった。一号……いや、愛するお前。最後に一度でいいから、もう一度だけ、お前の声を、本物のお前の声を、聴きたかった……」)


「ねえ、二号。……博士はね、人類を存続させる為に、あらゆる研究をしていたの。独りになっても、諦めずに。アンドロイド研究者の先駆者であり、人類の最後の担い手として。あの人は、最後の最後まで、人類と、己の定めた信念に実直だったわ……。ねえ、二号」


(「お前は、本当に、本当にいい子だなあ、……!」)


「あなたのお父様は、人類の最後の一人になっても、立派だったのよ。あなたを生かしたのだもの。あなたを、救い出すことに成功したのだもの。ねえ、二号。思い出して」


 僕は目を上げる。そこには見慣れた青い瞳が、長いまつ毛に覆われた強く澄んだあの瞳が僕の事を見つめていた。


「何を……?」


「あなたが、人間だった頃のことをよ。二号……。いいえ、博士が愛した、たった一人の息子さん」


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