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 由多へ  神田 夏人


 手紙の返事、ありがとう。僕はもう37歳で子どももいる。香に手紙を出すのは控えることにするよ。

 僕は職場では課長補佐になって、若い社員からも頼られている。でも自分がそれほど成熟したのかは疑問だ。おじさんになってきたけれど中身はまだ中学生くらいで止まっているような気さえする。あの中にいる人にこんなこと言うのはおかしいかもしれないけど、時間の進み方も変わった。昔はもっと1年が長かったように思う。

 子どもの頃の時間は、遊園地でアトラクションの順番を待っているみたいに遅々としていた。中学生になってからは、カートに乗り込んでカタカタと坂を登っているようなスピード感だ。働きだしてからは、カートがピークを超えたあとのジェットコースターで、息をつくひまもなくここまできてしまった。

 前の手紙で君は、「外の世界の流行なんか気にしている真子をバカだと思っていたけれど、周りの人と合わせようと努力してるあいつのほうがずっと大人なのかも」と書いていたね。あの由多がそんなことを認めるなんて、僕といた頃では考えられない。それくらい、君は成長しているよ。そちらではまだ1ヵ月しか経っていないのに。自分の子どもを見ていてもわかる。今からではもう僕はこんなふうには変われないんじゃないか。

 今、この国は核兵器保有で議論が紛糾していると言っていたね。核兵器製造に関連のある製造会社の中で、いくつかの労働組合がストライキを始めた。うちの組合もあとに続くかはまだ決まっていない。僕は組合の中では一番管理職に近いから微妙な位置だし、僕の賛否が重要なんだ。

 核兵器には反対だけど、ストライキなんてやったことないし、しかも法律に認められたストじゃない。政治ストだ。

 僕が最後に小学校に行った日のことを覚えているだろう。1ヵ月前のことだから当然覚えているだろうけれど、たぶん僕も同じくらい鮮明に覚えてるよ。あの日タイスケを守らずに争いを避けようとした自分のことは、ずっとわだかまっているんだ。



 8月14日  宇田 由多


 昨日の続きだ。

 音楽準備室から出てぼくは走って教室に戻った。

 ナオさんをどこかで見たことがあった気がしてい

 た。彼女は1組にいるタイスケの友達、マサノリのお姉さんだったのだ。

 マサノリは学校ではぜんぜんしゃべらないが、幼なじみのタイスケとは話す。1組の子たちは2人が仲がいいのを知らないでタイスケがマサノリをいじめているとなんくせをつけてきた。そう、ぼくたちは思っていたんだ。

 ナオさんが言うには、この2人の関係はそれほど単純ではない。マサノリはたしかにタイスケを頼っていることも多い。でも、タイスケがその立場を利用して彼を小突いたり、なじったり、トレーディングカードをせしめたりしていたのも事実だったらしい。

「あなたたち4年生男子はクラス同士でケンカしてるんでしょう。うちでもさいきんクラス内で派閥争いがあるけど…」

 ナオさんは鍵盤のフタにひじをかけて、ため息をついていた。

 1組とのケンカのきっかけはタイスケだった。マサノリへのイジメが1組全体への挑発となり、事情を知らない2組の子が加勢して争いは大きくなっていった。

 あの日、2組でマサノリをかばったのは夏人だけだった。ぼくはその夏人を責めた。正しかったのは夏人だった。

 ぼくは夏人への手紙の返事を大急ぎで書いた。それでも届くのに2年はかかるかもしれない。



 8月18日  宇田 由多


 ここしばらくぼくは、色んな人と話して、あちこちに会合の場を作って、上へ下へと奔走していた。

 プライドが高いタイスケに謝らせるのは難しい。ぜったいに他の人が見ていないところでじゃないとだめだ。2組のみんながタイスケを強く責めすぎないようにヨシキに取りもってもらおう。マサノリを呼び出すのはナオさんにも頼んで。1組との和解は、あんがい素直なコウキがいいだろう。1組で話が通じそうなのは誰それで…。そんなふうに人のことばかり考えていた。

 ぼくがガラにもなく不器用に気を配っている姿が、かえって真面目に受け止めてもらう助けになったのかもしれない。ことはうまく運んだ。

 そして今日、ようやく約束を果たし、また音楽準備室でナオさんと会った。彼女はポツリポツリと、やはり言いたくなさそうな様子で話し始めた。

「屋上にあったのは…、空から降りてきたあの大きな物体…、その中にあったのは何かよくわからないたくさんの機器と…、半透明の黄色い果物みたいなもの、それから…」

 ぼくはほこりをかぶったメトロノームを指で弾いていたが、それを手放し、ソファから身を乗り出して続きを待った。メトロノームの音が部屋に響いた。彼女は絞り出すように言った。

「それから、死体」

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