第130話 壊れた者 佐藤翠の世界①
ナガの中から、ナガという存在が薄くなっていく。世界そのものが暗く冷たくなっていくような喪失感。
何か大きな変化の一手を。
前線に飛び込んでしまいたい心をぐっと抑え、望んだ結果が起きるのを待つ。
表情らしい表情を失ったナガを見た。
彼の顔にはいつも表情が溢れていた。喜怒哀楽だけじゃない。ギラギラしていたり、情けなかったり、痛みに耐えていたり。
「大丈夫だよ、ナガ。なんとかするから」
強がりを口にしてみる。
ここが正念場だ。
もしかすると自分は「普通」じゃないのかもしれない。そう自覚したのは、小学生のときだった。子どもらしく、小さな切っ掛けだった。下駄箱の前で死んでいたアシダカグモを手で包んで外に捨てたとき、周囲の反応で「間違えたんだな」と悟った。
それからも沢山の間違いを繰り返した。
誰かが怪我しても落ち着いていること。蜂が服に止まったらじっとして飛び立つのを待つこと。通りすがりの猫の邪魔をしないこと。深夜のメッセージを無視すること。徹夜自慢する子に寝たらと言うこと。
全部不正解だ。
仲良くしてくれた先輩がダンジョンで死んだ。その訃報を聞いたときに思ったのは、悲しいとか寂しいよりも先に「私も行かなくちゃ」だった。
自傷や自罰じゃない。なんとなくダンジョンに自分の本当の居場所があるような気がしたんだ。
あえて死に近づくのは、ある意味で思春期らしい普通さだったのかもしれない。髪を染めて繁華街に足を運んでみるのと同じだったのかも。
私は運が良かった、恵まれていた。しかし、順調に探索者として成功を修め人気を得ていっても、問いの答えは遠ざかっていくばかり。命を懸けてみたところで、得られるものなんてたかが知れていた。
でも。ついに出会ってしまった。
ナガ。
あまりにも自由なのに、あえて社会の鎖に巻かれようとしている男。「普通」に繋ぎ止められようとし、「普通」を尊重しながら、それでも無軌道に動くのを止められない男だった。
自分が普通か否かも考えず、目の前の敵に歯茎を剥き出しにして飛び込んでいく獰猛さ。好かれるも嫌われるも気にせず、頼る者全てを懐に入れる大雑把さ。厳に警戒する慎重さを持っていながら、捨て身を辞さない無鉄砲さ。
才能があったからこそ、誰かの背中を見る経験が少なかった私にとって。いつも血と泥にまみれて、固い地面で寝た痕が残る背中は、眩しかった。
初めて見るタイプの大人だった。
子どもを子どもとして扱いながらも、仲間として尊重してくれた。劣情も向けず、見下しもせず、ただただ仲間として扱ってくれた。その上で、可能な限りの痛みを引き受けようとしてくれた。
怪我をしながら叩く軽口は、誰のどんな真面目な話よりも価値がある。
普通じゃない奴が大暴れして、普通じゃない世界を切り開いていくのは、佐藤翠という肥大した自意識を、相対的にちっぽけなものにしてくれたのだ。
非日常的な冒険が、普通という概念そのものを喰らい破壊し尽くした。それはまさに解放だった。
ナガへの感情はよく分からない。
恋や愛となるには外連味が強すぎる。
父親を重ねるには子どもっぽすぎる。
尊敬するには非常識で野蛮がすぎる。
名前の無い、でも命を懸けるに値する大きな感情。人生に色彩を与えてくれた存在への、不思議な気持ち。
たったそれだけを恃みに、よく分からない存在に至ろうとする私は、やっぱりちょっとズレているのかもしれない。
ポツリ。画面が動き始めた。
:どうすればえ んや?
:なんかこう、願 だけでいいのかな?
ポツリ。視聴者からの声が届く。
:流石に意味わか のに巻き込まれるのはNG。
:てきとーだけど、祈っ みたわ
:マーリンと同じような台詞で 家族全員の命運かけてみた
ポツリ。汚れた画面を指でなぞり、見やすくした。
嬉しいけど、家族の分までやるのはやめようね。
:ワイの命運くらいもってけや。どうせ大した人生じゃないし
:ワクワクしてきた。乗っからせてくれ
:これで北京原人救えんなら安い
:ちょっと頼りないかも
ポツリ。肯定的、否定的。色んな声が流れ出す。
:最終的には原人行きの王権? なら安心して託せる
:総理大臣の下なんかより、王の臣民の方がおもろい。アリ
:世界がって実感はないけど、ここ生き延びてくれるなら賭けるで
:日常が壊れる予感。変えてくれ、我らが女王様
:画面の向こうの出来事だったのが、ついに当事者か
徐々にコメントが増えていく。
もはやただの視聴者ではない。しかし直接戦うわけでもなければ、血を流すわけでもない。王とは何か、これから世界に何が起きるかを完璧に理解しているのでもない。
それでも。
:応援してる。負けないで。無事に帰ってきて。
他人事ではなく、本気で願ってくれていた。
私の、私たちとナガの勝利を。
形容しがたい力が、全能感のようなものが流れ込んでくる気がした。
「だからさ、モーガン。君は目先のことに集中しすぎるから、魔法の発動にも気づけないんだよ?」
モーガンの目の前と背後の空間が繋げられる。自身の能力で動きを止められるモーガン。それを鼻で笑い、マーリンは遮二無二に挑み掛かるブランカを蹴り飛ばした。
「被弾に気を配らなくていいのは楽だね。シャベル男だけは謎だったけど……って、ん?」
ふざけた表情が一転し、厳しいものになる。
「何をしようとしているんだい」
私とマーリンの視線が、二度目のぶつかり合いをした。がっちりと絡み合い、お互いに外そうとせずに睨み合う。
「貴女を倒そうとしている」
マーリンの手のひらが向けられた。私も同じように手のひらを向ける。
不思議な確信があった。どう考えても格上の相手だというのに、今なら互角に張り合える気がする。
私たちの間で魔法がぶつかり合い、激しく黒色の破片が飛散した。相殺の結果に、マーリンは不審そうに眉を寄せる。
「まさか、成ろうとしているのかな?」
「それしか思いつかなかったから」
「ぽっと出の、使い方もわからないたった1つのちっぽけな王権で、何が出来るとでも?」
喉を鳴らし、あえて低い声で言う。私らしくなくても、言うべきはこう。
「知らねえよ、てめえを倒すにはこれで十分だ」
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