第8話 年の功
触手のように襲い掛かってくる植物の合間を縫いながら、オババ様は高速で移動していた。
手のひらからツタを伸ばして、スパイダーマンのように立体移動する。植物魔法に習熟したオババ様だからこそ出来る曲芸だった。
耳のすぐ横を掠める触手に冷や汗を流しながら、己の無力さを呪う。
普段であれば少し意識を向けるだけで植物を意のままに操ることができるのに、暴走しているせいで直接触れたものしか操ることが出来ない。
植物魔法を極めたつもりでいた自分に腹が立つ。
何より腹立たしいのは、予兆があったにもかかわらず初動が遅れてしまったことだ。
最初はほんの少しの違和感だった。
森がそわそわしているような、ちょっとした違和感。
フィーとその居候のゲンを送り出したせいで神経が昂ぶっているのだろうと誤魔化そうとしたが、どうにも落ち着かない。
食事中にむせてしまい、食べかすが鼻の奥に残っているような不快感。
一時間もするとさすがに無視できなくなり、植物ネットワークに意識を落とし込む。
不死の樹海の奥深くに存在するご神木。それを中心として世界中に張り巡らせた植物による情報網だ。
他国からの干渉を排し鎖国が可能となっているのは、人間よけの結界よりも、植物ネットワークから取得した情報の優位が大きかった。
「クソッ! 違和感を感じた時、すぐにネットワークにアクセスしていれば!」
アクセスをすると疑いが確信に変わった。
樹海全体が浮足立って、ざわめいていたのだ。ネットワーク内で情報が不審に行きかっていた。
原因を深堀しようと、ネットワーク全体からその一部に意識を集中させる。
「ああ! クソ!」
集中した途端に襲い掛かってきた抗いようのない不快感。
思い返すだけで
腹を空かせた狼の群れが、丸々と太った羊に向けるような捕食者の視線。
思わず身震いしてしまうような恐怖だった。
「なんだって急に樹海全体が発情しだしたんだい! しかも私らエルフに対して!」
ネットワークからのフィードバックはあまりにもおぞましいものだった。
樹海の植物が一斉に発情しだしたのだ。
それもエルフに対して。
エルフを花粉だと勘違いした植物たちは、己のめしべに取り込もうと
とてつもない密度で絡み合ったツタが津波のようになって集落を飲み込もうとする様は、地獄としか言いようが無かった。
集落にいた者たちはなんとか助け出したが、一度植物に飲み込まれた何人かはトラウマになっただろう。
「大丈夫だ。あいつらは大丈夫。生まれた時から私が世話してやったんだ。あんなもんでやられるもんか」
あの集落の者達は自分が特別目にかけてきた連中だ。そこら辺のエルフとは練度が違う。
「そうさ。久しぶりに竹を使わされたんだ。そこまで私にさせておいて、取り込まれちゃいましたなんて、絶対に許さない」
集落の者を守るため、長らく封印してきた竹を使わざるを得なかった。
過去の罪を思い起こさせる忌々しい植物だ。
だが、地下に張り巡らせた根から芽を伸ばすことで仲間を増やす竹は、自分だけで完結して命を繋いでいくため、エルフを襲うことは無かった。
何よりも特筆すべきはコンクリートをも突き破るその根の強靭さだ。
集落の者達はその強靭な根の中に避難させた。よほどのことが無い限りは、そのシェルターを破られることは無いだろう。
ちなみに竹の操作権は村長に渡してある。
自分がいるせいでほぼお飾りになっているが、魔法の精度はそれなりにある。きっと皆を守り切ってくれるだろう。
「後始末、どうするかな」
エルフが対象ではないが、竹もまた発情しており、とんでもない勢いで根を張り巡らせようとしていた。
村長が完全に抑えきれるとはどうしても思えない。
あちこちに根を伸ばしたせいでズタボロになった土壌のことを考えると頭が痛い。
「ま、それもご神木を守りきることが出来ればの話か」
エルフの命綱ともいえる植物ネットワーク。その制御はご神木を介して行っていた。
だが、ご神木の重要性は植物ネットワークだけではない。
エルフ達の精神的な拠り所なのだ。
長く生きて、その生に疲れたエルフは、ご神木に己を取り込ませて、木と一体化することで生涯を終える。
不幸にも命を落としたエルフたちの亡骸もまたご神木に埋葬される。
ご神木は先祖の墓であり、いつか還るべき場所。
そういった意味でご神木はエルフたちにとって信仰の対象でもあった。
ご神木が無くなることは、先祖たちが築き上げてきたエルフの誇りが消え去ることと同義なのだ。
「お願いだから、間に合ってくれよ」
植物たちが暴走して以降、植物ネットワークにアクセスできなくなっていた。
だが、アクセスが遮断される直前、不穏な気配を察知した。
エルフ達へ向けられた植物たちの欲望。
それがネットワークの中枢たるご神木に対しても向けられていたのだ。
理由は分からない。
ご神木を介してアクセスしていたから、ご神木自体をエルフと勘違いしたのか。
もしくは、エルフを取り込んだご神木もまた植物たちの情欲の矛先となったのか。
だが、それは重要なことではない。
現状で優先するべきは、原因の解明ではなくご神木の防衛だ。
「くっ、なんて勢いだ!」
天を
集落を飲み込もうとしていた以上の勢いと密度でツタや根がなだれ込もうとしていた。
ご神木の管理人のエルフ達がその勢いを削ごうと樹の壁を作り出しているが、足止めにもなっていない。
このままではご神木に到達するのも時間の問題だ。
「あれは!」
視線の先にいたのは鳥。
森全体が怒っているような轟音に慌てふためいている鳥だった。半ば反射的に捕縛し、寄生植物で自分の手先にする。
しばし逡巡するが、フィーの下へ鳥を飛ばす。
ご神木が狙われている状況を知れば、フィーは飛んでくるだろう。
フィーは唯一の自分の後継者候補だ。
樹海をふらふらと出ていってしまう問題行動はあるものの、魔法の練度は他の誰よりも高い。
一部の分野によっては、最長老の自分をも超えているだろう。
だからこそ、こんな危険な場所には来てほしくなかった。
今日ここで自分は死ぬかもしれないのだから。
だが、それは自分のわがままでしかない。
手を伸ばせば届く距離。
そこで同胞たちが危機に陥っていたのに、何もしなかった。
ご神木を守りきれたかどうかは関係無い。
同胞たちを知らず知らずのうちに見殺しにしたという事実は、フィーの魂に深く
気が遠くなるような長い生の間、決して消えることのない
そんな呪いをフィーに植え付けるわけにはいかなかった。
「ま、私が一人で何とかしちまえば良い話だけどね」
ご神木の下に辿り着いたオババ様は、迫りくる植物たちに正面から向き合って不敵に笑う。
その姿を認めて、ご神木の管理人たちは安堵でへたり込んだ。
エルフの命綱の最終防衛線だというのに、甘い連中だ。今度しごいてやろう。
「あんたたち、よくやった。私が来たから、もう大丈夫だ」
自分の力で守り切れるかは、正直言って怪しい。
だが、自分はオババ様なのだ。
全エルフが慕う最長老であり、人間たちが歴史書でしか知らない戦乱をその身一つで潜り抜けてきた最強のエルフ。
同胞が自分を慕ってくれる限りの間は、無敵でいると決めているのだ。
「どこのクソッタレがこんな悪意を向けてきたのかは知らんがね、舐めんじゃないよ、若造どもが。こちとら
覚悟完了。
一つ息を深く吸って、ドカッと座り込む。
周囲の植物を組み替えて作り出すのは、忌まわしい記憶を呼び覚ます封印の植物。
「
ご神木を取り込もうとする植物の津波を、地面から噴き出した無数の竹が押しとどめる。
「ふん。他愛もない」
ご神木の管理人たちの歓声を浴びながら、オババ様は内心冷や汗をかく。
圧が強すぎる。
初動はなんとか受け止めたが、徐々に押されている。
相手の植物を竹に組み替え、植物の津波をその根で浸食しようとしているが、物量が違いすぎる。
根をいくら伸ばしても、後続のツタに押し返される。
なにか打開策を打たない限りジリ貧だ。
「っ!?」
全速力で頭を回転させるオババ様に、竹が異質なフィードバックを返す。
小さな砲弾のようなものが竹の壁を突き破って、高速で近づいてくる。
植物がしびれを切らせて攻め方を変えてきたかと焦るが、竹からの続報で安堵に変わる。
「ふん。遅いよ、フィー」
砲弾の正体はフィーとゲン。
方法は分からないが、文字通り飛んで駆けつけてくれたのだ。
「ギャー! ゲン! まずい! 前! 前!」
「バカヤロー! 源さんは突然止まれないんだよ!」
ドゴーン!
押し寄せるツタの轟音を越える衝突音。
その先にいたのは、無数の赤い花びらに覆われたフィーとゲン。そして、二人を受け止めたせいでクレーターが出来たご神木だった。
援軍の到着に思わず浮かべた笑みが凍り付き、つい眉間に力が入る。
「この若造ども! エルフの魂に傷つけるたぁ、どういう了見だ! ゴラァ!」
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