第5話 旅立ちは笑顔で

「お、オババ様……気づいてたの?」

「ふん。当たり前だ。そこまで耄碌もうろくしとらんよ」


 オババ様はどこか自慢げににやりとして、得意そうに続ける。


「ゲンよ。お主が使うその力は、私らが使う魔法とは少し性質が違う。魔法と勇者が使うスキルの違い。フィーの奴から聞いておるか?」

「魔法についてはざっくり聞いた程度しか。一人が使える魔法は基本的に一種類。種族ごとに使える魔法が決まっていて、エルフは植物魔法の使い手ってぐらいだ」

「うむ。その通り」


 オババ様が手を開くと、にょきにょきとツタが生えてくる。


「私らエルフが使うのは植物魔法。植物を自由に動かしたり、成長を早めたりすることが出来る」


 ツタはうねうねと動き回りながら急成長し、白い花を咲かせる。


「その真骨頂は品種改良! もともとの植物を自分に都合の良いように作り替える力だよ!」


 セラフィナがオババ様の花に人差し指を向けると、指から勢いよくツルが伸び始める。

 そのツルが花の茎に絡みつくと、白い花が毒々しい赤に染まってしまう。

 完全に赤くなると、花はバルンバルンと揺れて、とてつもない勢いで花粉をまき散らす。


「あ、それ毒だから吸い込まないようにね」

「そういうことは早く言え!」


 興味津々にのぞき込もうとした源にセラフィナが注意する。

 しかし時すでに遅し。

 源の顔が見る見るうちに青くなっていく。


「ふん。なかなかやるじゃないか」


 パチンとオババ様が指を鳴らすと花は崩れ去る。その手のひらに残ったのは、数粒の種だけだ。

 オババ様はそのうちの一粒を源の口に放りこむ。


「げほっげほっ」

「薬だよ。とっとと飲んじまいな」

「はえー。相変わらずオババ様は凄いね」

「ふん。伊達に長生きしとらんよ。あと、オババはやめな」


 一瞬で毒の成分を解析し、解毒成分を持った種を作り出すように品種改良する。

 セラフィナは指からのびていたツルからのフィードバックを受けて、オババ様の技量の高さに舌を巻く。


「こいつが私らの使う魔法だ。エルフの中には別の魔法を使う奴もいるが、少数派だね。ま、それは一旦無視してくれ。さて、あんたの使うスキルと魔法の違い。なんだか分かるか?」


 何事も無かったかのように進めようとするオババ様とセラフィナを、源は恨めし気に睨みつける。

 指先が一瞬で冷たくなって、息もできなくなる。

 異世界に来てから最も死を身近に感じた瞬間だった。


「ぜえ、ぜえ……。ちょっとは心配してくれてもいいんじゃないか?」

「ふん。そんくらいでくたばるなら異世界召喚が禁忌扱いにはならんよ」


 吐き捨てるように言うオババ様に、源は鼻白はなじらむ。


「勇者と何かあったのか?」

「チッ。昔の話だ」


 不機嫌さを隠さず、オババ様は舌打ちする。

 普段見ることのないオババ様の姿に驚いて、セラフィナが焦ったように口を開く。


「そ、それで魔法とスキルの違いだよね。正直よくわかんないんだけど……」

「はぁ」


 嘆かわしいと言わんばかりに、オババ様がわざとらしくため息を吐く。


「全く。フィー、あんた、こいつがいつスキルを使ったか分かるか?」

「? オババ様なに言ってんの? スキルをいつ使ったかなんて……あれ?」


 なにか違和感を感じたのか、セラフィナが首を傾げる。


「言われてみれば、全然分からないや。おかしいね」

「それが何か変なのか? こっちとしては自分の意思とは関係なく発動するのが当たり前なんだが」

「ううん。それは別に良いんだよ。魔法を使い始めの時は、制御できないのが当たり前だから。自分の意志に関係なく発動したっていうのは、よくあることだよ。でもね、私にはゲンの力がいつ発動したのかさっぱり分からなかった。これはおかしいんだよ」


 得心がいったように何度も頷くセラフィナ。

 しかし、源にはなんのことだかさっぱり分からない。一人置いてきぼりをくらって、苛立ちが募ってくる。


「ゲン、いいかい。私らはね、大気や地中から魔力を取り込んで、そいつを使っている。その魔力の動きっていうのはね、目には見えないけどなんとなく分かるんだ。感覚としては風が近いかね。誰かが魔法を使おうとすると、魔力が動く。そうすると、風でも吹いたようなぞわっとした感触があるんだ」

「ふーん。俺は何も感じなかったけど」

「うん。ゲンが何も感じなかったのは別におかしなことじゃない。けどね、私もオババ様も何も感じなかった。これは変なんだ。自分で言うのもなんだけど、私もオババ様も結構な使い手だよ。だからね、魔力の察知能力もかなり高い。そんな私達でもゲンのスキルの発動が分からなかった。これは異常だよ」


 深刻そうに言うセラフィナ。しかし、源にはその理由がいまいち分からない。


「それって、そんなにまずいのか?」

「まずいなんてもんじゃないよ!」


 セラフィナの大声に源はびくりと肩をすくませる。

 気まずそうに眉を下げるセラフィナの肩を叩いて、オババ様が説明を引き継ぐ。


「動いた魔力の矛先が自分だと分かったら、私らは反射的に身構えるのさ。魔力の壁みたいなもんを作り出すから、無防備に攻撃を受けることは無い。けどね、発動を感知できなければ、防御することもできない」

「うん。ゲンのスキルに対して私たちは凄く無防備なんだ。それはね……結構怖いよ」


 俯くセラフィナを見て源は想像する。

 自分に向けられる脅威。だが、それを感知することはできない。

 自宅の床下に忘れ去られた不発弾が埋まっているようなものだ。それはなかなかに怖い。

 ごくりと唾を飲む源を見て、オババ様が続ける。


「しかもね、ゲン。あんたのスキルは私らの思考に影響を及ぼすものだ。フィー、この家に入って来た時、あんたは私にくたばったかと聞いてきた。普段のあんたがこんなことを言うと思うか?」

「……ううん。オババ様の前では言わないよ」

「……何か引っかかりを感じるが、まあよい。普通は言わないことを口にしてしまう。しかし、違和感なんてちっともない。これはね、あんたのスキルがフィーの考え方に異常を及ぼしてるってことだ」


 知らず知らずのうちに思考を侵食される。

 自分の考えが別の誰かに植え付けられたものかもしれない。

 それはきっと恐ろしいことだ。


「フィーだけじゃないよ」


 セラフィナだけではない。そんなオババ様の言葉に、何を言おうとしているのか分からなくて、源はぽかんとする。


「私もね、伊達に年食ってるわけじゃない。顔を見て声を聞けば、そいつの人となりはなんとなく分かるつもりだ。ゲン。あんたは一歩引いた慎ましい顔つきをしている。相手のことを気遣える良い奴だろうよ」

「それは、えっと……ありがとう?」


 唐突に褒められて、源はなんだか居心地が悪くなる。


「でもね、フィーの奴が私がくたばったかと言ったとき、あんたはそれに乗っかってきた。ゲン、あんたみたいな人畜無害そうな顔つきのやつがそんなことするなんて、少し考えにくい。あんたのスキル。それにあんた自身も影響を受けてるんじゃないか?」


 オババ様の言葉に、源は黙り込む。

 スキルが発動している時のことを思い返す。

 世界中の人が自分に注目している。そんな万能感と高揚。

 その注目を逃してはならないという恐怖。

 注目を集め続けなければならないという強迫観念。

 冷静になって考えてみると、その時の自分が自分でないように思えてきて、不安に押し潰されそうになる。


「そんな深刻になるなよ。もっと楽しまなきゃ損だぜ、とーちゃん」

「誰だ!」


 突然聞こえた男の声。

 セラフィナが咄嗟に身構えて、鋭く問いかける。


「ここだよ、ここ」


 静まり返った室内に再度響き渡る男の声。

 今度は集中していたから、全員がその声の出どころに気付く。

 源のお腹からだった。


「出べそじゃねーか!」


 思わず突っ込んでしまったが、突っ込んだ本人のセラフィナも困惑する。

 源のお腹のへその辺り。いつの間にかこぶし大のこぶが出来ていた。いかめしい顔つきの主張の激しい出べそだった。

 セラフィナの鋭いツッコミを受けて、出べそが源の腹からはじけ飛ぶ。


「へへっ。やるじゃねーか」


 壁にめり込んだ出べそだったが、強者の風格を放ちながらのっそりと立ち上がる。


「あれは!」

「知っているのか!? オババ様!」

「あの魔力、間違いない! さっき解毒のためにゲンに飲ませた種だ! 原理はさっぱり分からんが、種が芽吹き人面痕じんめんこんになって、ゲンのへそから出て来おった! あと、オババはやめな!」

「「な、なんだってー!?」」


 目が飛び出す程にセラフィナと源は驚く。

 そんな二人に出べそはスタスタと歩み寄る。


「そんな驚くなよ。とーちゃん、かーちゃん」

「いや、種を作ったのはオババ様だから、母親はあっちでしょ」

「巻き込むでない! あと、オババはやめな!」


 己の腹から出てきた物体と目が合った源はフッと微笑む。感動的な父子おやこの対面だ。


「お前みたいな寄生虫に親呼ばわりされるわれはない!」

「認知して!」


 源に拒絶された衝撃で出べそは吹き飛ぶ。

 激突に備えて出べそは身を縮こませるが、予想外にも柔らかな何かに包まれる。

 恐る恐る目を開けると、そこはセラフィナの薄い胸の中。

 優しい温もりの中、出べそは諦めたように笑うセラフィナと目が合う。


「かーちゃん……」


 今度こそ感動的な母子おやこの対面だ。


「あんたの言う通り、私も生産者の一人と言えば一人だ」

「かーちゃん!」


 セラフィナの慈悲のまなざしに、出べそは感極まる。

 しかし、次の瞬間セラフィナの目は氷点下まで急降下した。


「責任を取って処分する」


 セラフィナが魔力を流すと、出べそとオババ様の手の中に残っていた種は崩れ去る。

 窓から差し込む日の光に、崩れ去った残滓ざんしがキラキラと反射して虹を作り出す。

 こうして世界に平和が訪れたのだ。


「なんというか、あれだ。ゲン、とりあえずこの樹海から出ていってくれ」

「……はい」


 どっと疲れた様子のオババ様。

 ぐったりした彼女から退去を求められた源は、あまりにいたたまれなくて首を縦に振る。

 かくして源はしばしの安住を捨て、旅に出たのだった。

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