ささくれ獏と俺

鷹見津さくら

ささくれ獏と俺

 古今東西、ヒロインというものは空から落ちてくるか、地から生えてくるかだと思っていたのだが、どうやらそういう訳でもないらしい。

 残業帰りの午前一時、真っ暗な夜道を歩いていた時のことだ。俺は、俺のヒロインと出会った。薄いピンクの髪の街で見かけたら、思わず振り返ってしまうような女の子が、道端でしゃがみ込んでいたのである。疲れ切ってはいたものの、流石にそれを放置することは出来なかった。泣き声が聞こえていたし。

「どうしたんだ」

「……お腹、空いちゃったなのです」

 ぐすん、と涙を拭った女の子は立ち上がり、俺に抱きついてきた。急なことに慌てて俺は両手を上に上げる。痴漢ではないですよアピールを咄嗟にしてしまったが、抱きつかれた状態でやっても無意味だったかもしれない。

 甘えるように頭を擦り寄せてくる女の子は、固まる俺の反応が見えていないらしい。

「いただきます、なのです」

 女の子がそう言った瞬間、なんだか体がふわふわとして、頭がぼんやりとした。例えるならば、サウナで体を整えた時みたいな気分だ。決して性的な意味ではなく気持ちが良い。

「んー! ご馳走様なのです!」

 ぱっと女の子が俺から離れる。気持ちの良い感覚が同時に消える。至近距離で見た女の子の顔はとても整っていた。

「お兄さん、美味しいなのです! わたし、お兄さんと一緒に住むなのです!」

「は!? 何言ってんだ!?」

「お兄さんの心のささくれ、美味しいなのです! 癒すから、一緒に住ませてなのです! わたし、ささくれ獏なのです」

 それが、ささくれ獏と俺の出会いだった。異世界転生は出来そうにないが、押しかけヒロインとの出会いはあったらしい。

 近所迷惑になるからと俺の家に連れて来たささくれ獏は、そこで改めて自己紹介をした。

 俺はよく知らなかったのだが、人間の心がささくれだった時にそのささくれを食べて栄養にする生き物がいるのだという。それが、ささくれ獏だった。

「獏は悪夢を食べて、ヒトを癒すなのです。わたしたち、ささくれ獏は悪夢じゃなくてヒトの心に出来たささくれを食べて癒すなのです! ヒトは癒されて、わたしたちはお腹いっぱいになるなのです!」

 昔は、もっと沢山仲間がいたらしい。じわじわと数が減って、レッドアニマルのようなものなのだとささくれ獏は俺に告げる。ささくれ獏は、人間の心のささくれしか食べられない。けれども、ささくれを食べさせて! なんて言ってくるのは怪しすぎる。いくら見た目が、美少女だとしても。

 声をかけたら、子供たちにも逃げられちゃったなのです……と落ち込む彼女に俺は、最近は防犯意識が高いからと慰めにもなっていない言葉をかける。忙しすぎて、区のお知らせなんかも見ていないが、ささくれ獏は子供に声をかけてくる不審者として扱われていてもおかしくはなかった。

「これからは俺のささくれを食べたら良いだろ」

 萎れた彼女が可哀想なのと少しの下心から俺は彼女にそう言った。途端に彼女は明るいとびきりの笑顔で俺に抱きつく。

「……そうなのです! お兄さんのささくれは美味しいからわたし好きなのです!」

 ささくれ獏という存在が本当に存在しているかは分からないが、美少女に慕われるのは気分が良い。そんな軽い感情でささくれ獏を名乗る美少女と俺は同居生活を始めたのである。

 彼女が、本当にささくれ獏のようだと感じ始めたのは、すぐだった。

 彼女が食事をしている時は、まるで天国にいるかのような気分になれる。しかも、ブラック企業で残業尽くしでイライラしっぱなしだったのに、ささくれ獏が食べてくれたおかげなのか、心がひどく穏やかだった。仕事を押し付けてくる上司への苛立ちも綺麗さっぱり無くなった。これは、どう考えたって彼女のおかげだろう。

 人間の心に出来たささくれを食べてくれる、魔法のような存在。それがささくれ獏だ。最近では、俺の為に家事も覚えてくれて美味しい料理を作ってくれる。真夜中に家に帰っても明かりがついていて、温かなご飯が食べられるのは素晴らしいことだ。たまに目尻に涙を浮かべてしまう。

 俺のヒロイン、ささくれ獏と出会えてから人生最高の連続だ。

 貴方もささくれ獏に出会えたら、きっと幸せになるだろう。俺のささくれ獏は、誰にもやらないつもりなので、貴方のささくれ獏は自分で見つけてくれ。ささくれ獏と出会える幸運を祈っておくぐらいはしておくから。

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