第二十三話

 泉での一件の後、俺たちは命の木の下で野営することにした。すぐに帰る予定だったから食料はほとんど持ってこなかったものの、倒した狼の肉を焼いたらかなりの量になった。

 最後までアカネはユリがクジラの上に行くのには反対していたけど、絶対に生きて帰ることと、村に平和が訪れたらクジラの上を案内すると言ったらユリも納得した。

 その後は簡素な焚火の傍で俺はアカネと二人で残りの狼を解体し、ユリは命の木の根元にしゃがみこんで何かを調べていた。作業している間、ユリもアカネも黙っていて、なんだか居心地が悪い。

「その……、さっきはごめん」

「何のことだ?」

「いや、アカネに迷惑かけたから」

 あらかた作業が終わって手持ち無沙汰になると、さっきの事を思い出して落ち着かない気分になる。さっきは、俺が石蛇に向かって弾丸を撃ったせいで金縛りにあった。あの時、アカネの言うことを聞いていればアカネに危険が及ぶことはなかったはずだ。

 アカネは隣で狼の肉を燻しながら、「そんなことか」とため息を吐いた。

「そんなことって、ユリが助けに来なかったら最悪共倒れになってたはずだ」

「半分わかっていたのさ。ユリが来ることは」

「どういうことだ?」

 考えてみれば妙だった。どうして、小屋で作業していたはずのユリがアカネについてきたのか。第一、砂漠を歩き慣れているアカネならともかく、ユリはどうやって迷わずこれたんだろう。その疑問はアカネではなく、命の木を調べているユリの口から明かされた。

「アカネさんが狼煙を焚いていましたからね。慎重なアカネさんが、無策で危険地帯に足を踏み入れるはずがない。砂漠の中心で私が迷わずこの森にたどり着けたのはそういうわけです」

「そうだったのか。全然気づかなかった」

 アカネはいざという時のために狼煙を焚いてたってわけか。それならユリがここまで来れたのも納得だけど、まだ疑問はある。

「でも、風の強い砂漠じゃ煙を焚いても流されるんじゃ」

「簡単な話だ。狼の糞は、燃やすと高く真っ直ぐ煙が上がる。たとえ風の中でもな。昔の人間が狼の糞で狼煙を焚いたのはそういう背景からだ」

 アカネの説明で納得がいった。狼の魔物を追い払った時に何かをいじっていたのは、狼の糞で狼煙を焚いていたのか。

「君が生き急ぐ性格なのは分かっているさ。そうでなければ、クジラの上から地上まで飛び降りたりしないだろうからな」

 アカネの言うことはもっともだった。切羽詰まったときに先走るのは俺の悪い癖だ。自分で気づいていないだけで、そういうところが周りに迷惑を掛けてきたのかもしれないな。今更になってシスターの言うことが身に染みる。

「そんな顔をするな。君が突飛な行動をしたからと言って。責めたりはしないさ。それに、君に戦闘能力がないからと言って足手まといだとは思わない」

「えらく買われたもんだな。俺は御伽噺の主人公みたいに強くないぞ」

 アカネは無条件で俺を信頼している節がある。まるで、本当に天空の竜騎士だと思ってるみたいに。アカネは「確かに、君は強くはないかもしれないな」と苦笑した。

「ただ、私はどこか期待しているんだ。どんな状況でも、君なら何かやらかしてくれると。だから私は君が生き急いで失敗しても何も言わないし、むしろ自分の意思で行動してほしい。実際、さっきは君が狼の眼を打ち抜いてくれたおかげで私は生き延びた」

「あれは、いきなりで焦ってたから」

「冷静さを失って先走る人間はいるが、君のように他人のために命を賭けられる人間は見たことがない。だからこそ、私は君の勇気に賭けることにしたんだ」

「それに、あなたがあの場で蛇に向かって弾丸を放たなくとも状況は変わりませんでした。あの時にはすでに目を見てしまっていましたから」

 あのガラス玉みたいな目が光ったのを見た瞬間、体が石みたいに動かなくなった。アカネから聞いてたけど、やっぱり魔物には不思議な力があるらしい。強いアカネが魔物に対してやけに慎重だったのも納得だ。だけど、妙なことがある。

「そう言えば、どうしてアカネとユリは金縛りにならなかったんだ?」

 ユリはともかく、アカネは俺よりも前であの眼を見ていたはずだ。それなのに、俺だけが金縛りになったのは気がかりだった。

「魔力の量ですね。身に宿した魔力が多く、濃密なほど魔力による影響を受けにくい。器に入った水は少量なら熱すも冷ますも一瞬ですが、水の量が多ければ熱しづらく冷めづらいというわけです」

「なるほどな。ユリは魔術師だから、蛇の眼を見ても金縛りにならなかったのか」

「魔術とは魔力を扱う術ですからね。魔術の研鑽を積めば、身に纏う魔力の量は多くなります」

 相変わらずユリ先生の解説は分かりやすいな。だけど、まだ納得できないことがあった。

「でも、アカネは魔術師じゃないだろ?」

「体に魔力を宿すもう一つの方法は至って簡単です。魔力を経口摂取すること。アカネさんは倒したばかりの魔物を食べる機会も多いでしょうから」

「ってことは、魔物が強いのも魔力を取り入れたからってわけか」

「ええ。命の木に含まれる豊富な魔力。それを摂取した生き物こそが魔物の正体です。そして、人間も魔力を得れば、魔物に負けない力を手に入れることができる」

 鍛錬なんかじゃ説明できないほどの身体能力は、魔物と戦ってきたから身についた物なんだ。

「それにしても、さっきのが魔術ってやつか。なんていうか……すごかったな」

 小さな女の子が怪物を倒すのなんて物語の中の話だと思っていた。もちろん、不思議な力を持ってることは知っていたけど、せいぜい物を動かしたり火をつけたりするくらいだと思っていた。魔力ってやつは、思ったよりずっと規模の大きい力らしい。

「それにしても、こんなすごい力があるのにどうしてみんなユリを認めないんだよ」

「魔術を使えるからこそ、魔術師は恐れられているんだ。戦う力のない人間にとって、魔力を持った人間など周りにむき出しの刃物を向けているようなものだ」

「……なるほどな」

 アカネの説明はいつも通り端的だったけど、実際に目で見た後だからかすぐに納得がいった。会ったばかりの頃にアカネが言っていた通り、魔力って言うのは魔物が使う不思議な力だ。それを使うのは魔物と同じとまでは思わないけど、魔力を持ってない人間からしたら、魔力を持ってる人間は恐怖の対象ってわけか。

「特に、ユリは魔法の国で大魔導と呼ばれる魔術師の弟子だったからな。師匠と比べられることも多かった。ユリ自身の実力に関わらず、未熟者と思われることも多い。魔術師の良し悪しなど、他の者には分からんからな」

 刃物も魔力も、使う人間次第で便利な力にも凶器にもなる。ユリの師匠はそれなりに信用されていたんだろうけど、小さい頃から変人扱いされていたユリはそうもいかないってことか。

 実際、村の人間はアカネやユリが戦ってるところなんて見たことないはずだ。

 悪人に見えないと言った時、ユリが過剰に反応したのもわかる。見た目で判断され続けてきたからこそ、見た目で判断されることを嫌ったんだ。

「魔術師の歴史を知るのは、村長の家系と魔術師だけですから。つまり、私と、アカネさんの家系です。魔術師は歴史を記した書物が保管された小屋に住み着き、ひたすらに命の花について研究するのが仕事です。魔物や病気に怯えることのない新天地を探すために」

「なら、みんなでクジラの上に行けばいいんじゃないか?」

 地上の人間は命の花がある場所を転々としているらしいけど、 地上を離れればその必要はない。ユリは首を横に振る。

「それは無理でしょう。千年以上の間、天上と地上は隔離されていました。そんな聖域に地上人が大挙して押し寄せれば、雲の上で思いもよらない感染症が蔓延する可能性がある。例えば、雨雲病などです。私達が住み着いたせいで新天地が廃れてしまっては元も子もありません」

 そう言えば、故郷ではシズクと母さん以外に雨雲病にかかってる人間は見たことがない。地上に行ったことがないはずのシズクがどうして雨雲病に……なんて、考えてもわからないか。考えるのは苦手だからな。原因が分からないなら、対処するしかない。

「……なら、全員治せるだけの薬を作るしかないってことか」

「ええ。せめて、雨が降れば少しはましな環境になるのですが」

「雨が降らない原因に心当たりはあるか、ユリ」

 アカネが問いかけると、ユリは木の根元を調べる手を止めて少し考えるそぶりを見せる。

「そうですね……クジラも生き物です。体内で何かしらの異常が発生した可能性が高い。あくまで推測ですが、雨を生み出す器官のような物が機能不全に陥っているのではないかと」

「それなら、私たちの目的はその原因を解明し、解決することだな」

「……その件についてですが、これを見てください」

「なんだこれ。石板……?」

 ユリが差し出したのは、黒くて薄い掌大の板だった。手に取ると、思ったよりもずっと軽い。中が空洞になってるみたいだ。よく見ると縁がガラスみたいに透き通っていて、縁のところが白く点滅してるのが分かる。ただの石ってわけじゃ無さそうだ。

「機械、というやつじゃないか? この地上に文明が発展していた頃の遺物だ」

 故郷ではこんなもの見たことがないけど、普段から地上を探索しているアカネには心当たりがあるみたいだった。

「遺跡の中に似たような石板が転がっていることがある。これほど新しい物は初めて見るが」

「ええ、これは発信機ですね。先ほどまで木の根元で微小な魔力を発していました。おそらく、命の木を調査している何者かによって設置されたものでしょう」

「何者かって、何者だよ」

「それは分かりませんが、命の花を狙う人間が関わっている可能性がある」

「他の集落の人間ってことか?」

 地上の集落はアカネの村だけとは限らない。他の集落があるとしたら、アカネたちと同様に命の花を狙っていてもおかしくない。俺の推測に対して、ユリは意味ありげにため息を吐いた。

「それなら楽なのですがね。どう思いますか、アカネさん」

「もし、旧文明の技術を持った者がまだ存在し、この付近を調査しているとしたら」

「村が見つかった瞬間、詰みですね。命の花を狙っているなら、私達が命の花を手に入れた瞬間に闇討ちされる可能性もある。きな臭い動きが見えている現状です。クジラの上に行くなら警戒するに越したことはないでしょう」

 ユリはローブの裾に付いた埃を払って立ち上がると、アカネから石板を受け取って元の場所に戻した。

「……さて、そろそろ戻りましょうか」

「もう行くのか?」

「ここは魔物の領域。長居は危険です。発信機から魔力を抜いたので、そろそろ感づかれるでしょう」

 ユリは森の外へと歩いて行った。

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