第十二話 串焼き

 迷いのない真っ直ぐな足跡を追って歩くこと数十分。辺りは降り注ぐ陽の光で熱された大地が広がっているだけで、一向に景色が変わらない。少し歩けば人の住める場所があると思ったけど、どれだけ歩いても砂だらけの大地が広がっている。長いこと日に当たっているせいか、手足が火傷したみたいに熱くなってきた。雨雲病になったらこんな感じなんだろうか。

 シズクは今どうしているだろうかと考えていると、ふと、アカネは砂漠の中心で立ち止る。

「ここだ」

「ここって言っても……何もないぞ?」

 見渡してみても、辺りには砂漠が広がっているだけ。暑さでおかしくなったのか?

 アカネの方を見ると、「失礼なことを考えているな?」と睨まれた。悪かったな。

「足元を見てみろ。ここだけ質感が違うだろう」

「……確かに」

 言われた通り足元を確かめると、この辺りの地面だけ硬い足場になっていた。よく見ると丸い穴があって、ここから入ってくださいと言わんばかりだ。

「まさか、地下に部屋があるのか?」

 島の地面を少し掘ったら硬い鉱石質に覆われていて地下に部屋を作るなんて考えられないけど、地面が砂でできてるなら地下室は合理的だ。とはいえ、上に砂が積もったりしたら崩れそうだけど。

 穴を覗くと、その下には何も見えない暗闇が広がっていた。

「どちらにせよ休むには手狭だが、我慢してくれ。ドラゴンも小屋の中で休むといい。飛竜と言えど、その大きさなら通れないことはないだろう」

「大丈夫か? ジェシー」

 床に造られた入り口はジェシーが入るには少し小さすぎる。そう思ったのも束の間、ジェシーは手足を羽毛の中にしまい込むようにして地下に開いた穴へと飛び込んでいった。

「私たちも行くぞ。なに、深さは人の背丈より少し高いくらいだ」

「別に怖くなんかないさ。俺はあんな高いところにいるクジラから飛び降りて来たんだ」

「はっ、それは勇ましいな。なら、私は先に行っているぞ」

 穴の淵に手を開けて勢いよく暗闇に飛び込んでいった。

 アカネに続いて飛び降りると、石でできているような、あるいは砂を固めているような、漆喰とも違う、見たこともない素材でできた壁に囲まれた部屋が広がっていた。天井に開いた穴から差す一筋の光に照らされた灰色の部屋。そこにはナイフやロープなどの道具に、薬草の入った壺、アカネがくれた襤褸布と薪の束。ほかにも様々な小物が壁に掛けられていたり散らばっていたりしていた。だけど、真っ先に気づいたのはもっと根本的で重要なことだった。

「なんか、涼しいな」

 さっきまであんなに暑かったのが嘘みたいに、地下室の中は涼しい、というより薄らと寒いくらいだ。アカネは部屋の中心で座り込み、当然だと頷いた。

「地面の下だからな。内壁も断熱性に優れた素材でできているらしく、陽光の激しい日中でも凍り付くような夜間でも室温が一定だ」

「昼間はあんなに暑いのに、夜は冷え込むのか」

「そういう場所だ。受け入れるしかない」

 アカネが悪態を吐きながら外套と防魔布を乱雑に壁に投げつけると、隠れていた素顔が露出する。背中まで紅く伸びる後ろ髪を頭の天辺で結び、動きやすそうなショートパンツと服の下からは痩せているというより引き締まった手足が露出している。切れ長の瞳が特徴的な整った顔立ちは、意志が強くて気高い印象だ。外套越しだと得体のしれない存在っていう印象が強かったけど、引き締まった身体に戦うことを意識しているかのような動きやすい装備。何より、纏っている空気が違う。警備隊に似た雰囲気だけど、それより濃密。戦うためじゃなく、この世界で生き残るために身についたような。

「……ほら、君も防魔布を外すといい。普段からつけている私ですら慣れないんだ。そんなものをつけていては落ち着いて安めなかろう」

 落ち着かない原因は他にあるけど、言っても仕方がないか。

 話している間にもアカネは壺から木の枝と火種を取り出して並べ、火打石で火をつける。火種に燃え移り、薪が弾ける音と共に火が上がる。昇った煙は入り口から外に逃げていき、暗い地下に明かりが灯る。アカネは焚火の前に座り込むと、薪でつついて火の加減を調整する。

「でも、こんな密閉したところで大丈夫なのか? 煙とか……瘴気? とか」

「瘴気は砂から発生するから、清潔にしていれば問題ない。瘴気は焚火の煙と同じように軽いから、地下に入ってくることもない」

 砂漠の瘴気と焚火の煙。二つの疑問が同時に解消された。長いこと砂漠で生きてるアカネが言うなら間違いないか。アカネと同じように防魔布を外すと、息苦しかった反動か冷たすぎるくらいさわやかな空気が肺を満たしていく。

 確かに外に比べればだいぶましだけど、殺風景で生活感のない景観だ。こんなところに住んでたらいろんな意味で息が詰まりそうだな。

「普段はここに住んでるのか?」

 当たり前のことを聞いたのは、確認のためだ。石だか砂だかわからない何かでできた硬い壁に囲まれた空間にはベッドやテーブルもなければ、アカネの私物らしきものもあまり見当たらない。

 案の定というべきか、アカネは「まさか」と言って紅い髪を揺らした。

「砂漠に長居するのは危険だからな。村の周囲を探索するときはこの小屋を拠点にしている」

「なるほど。そのためにわざわざ地下に造ったわけか」

 こんな頑丈そうな建物を作れるってことは、意外と発展してるのか。こんな世界でもたくましいな。感心していると、アカネはきょとんとした顔を浮かべていた。

「……いや、造ったわけではないぞ?」

「そうなのか?」

「ああ。砂漠には、ところどころに朽ちた建物がある。この小屋は偶然見つけただけだ。もともと地下室として造られたか、あるいは積もった砂に埋もれて天然の地下室となったか」

「誰かが住んでたってことか」

 自然の中にこんな建物があるのは不思議な感じだけど、洞窟で休んでるのと変わらないか。俺の言葉に、アカネは静かにうなずいた。

「大方、遥か昔に栄えた文明の遺物だろう。この砂漠には大きな集落があったのかもしれないな」

「滅んだってことか。一体どうして……」

 そこまで言ったところで、アカネが顔を伏せているのに気づく。紅い瞳に、影が落ちたような気がした。わけが分からないまま、何かまずいこと聞いただろうか。

 どこか居心地の悪さを感じていると、アカネは焚火を見つめてため息を吐いた。

「私だって、この世界について知らないことの方が多いんだ」

 そんなの、考えてみれば当たり前だった。俺だって、自分がクジラに住んでいることなんて知らなかった。なんでもかんでも人に聞こうとするのは俺の悪い癖だ。

「悪い」

「気にするな。砂漠の毒気にやられて混乱しているんだろう」

 アカネが黙り込むと、薄暗い地下室が焚火の音に包まれた。

 改めて実感する。俺は世界の事を何も知らないんだ。同時に、知りたいと思った。自分の故郷しか知らずに世界一のドラゴンライダーなんて馬鹿げてる。それに、命の恩人であるアカネのために、俺ができることがあれば協力したい。それが、最終的には近道な気がした。

 決意している間にも、アカネは魔物の尻尾を細かく切り分けて串にさして焼き始める。

 肉が焼ける音が焚火の音に乗って耳に届く。狭い部屋の中だと、焼けた肉のうまそうな匂いが充満するまで一瞬だった。アカネは串に刺した肉を一口頬張ると、仏頂面を少し緩ませた。

「ほら、さっきの魔物だ。尻尾の端肉だが、なかなかイケるぞ」

「あ、ああ」

 木の枝をそのまま削り出したみたいな大きな木串には、一口では頬張れなさそうな肉塊が刺さっている。見た目やにおいはうまそうだけど、元は魔物……それも、ドラゴンなんだよな。森の中で暮らしてるからいろんな獣を食べたことはあるけど、ドラゴンは食べたことがない。そもそも、ほんとに食べれるんだろうか。

 いや、こんな世界で好き嫌い言ってられないか。食べれるものは、何でも食べないと。

「これは……」

 意を決して口に入れた瞬間、ほとばしる肉汁に程よい塩味が口の中に広がった。見た目の割に柔らかく、噛めば噛むほどに肉の旨味と香ばしさが口内に充満するようだった。繊維っぽい感じは全くなく、まるで、肉汁が詰まった果実を頬張ってるみたいだ。

「口に合わなかったか?」

「いや、むしろうますぎて驚いてたところだ」

 シズクの作る香草焼きには及ばないけど、焼いただけでこんなにうまい肉は初めてだった。ジェシーの前でドラゴンの肉を食べるのはなんだか気が引けるけど、うますぎて止まらない。これは、あれが欲しくなるな。

「……雲の上では、肉に砂をかける文化でもあるのか?」

 残ったコショウを肉にかけると、アカネが不思議そうな顔で手元をのぞき込んできた。植物の少ない砂漠ではコショウやハーブなんかの香草は珍しいみたいだな。砂漠で過ごしてきたアカネにとってコショウはいろんな意味で砂みたいなもんか。

「ああ、これは植物の実を乾燥させて砕いたもので、かけると肉がうまくなるんだ。こう見えても高級品だ」

「ほう……」

「アカネも食べてみるか? 砂漠の砂と違って毒はないから」

 物欲しそうに手元を見つめていたアカネに串を渡すと、アカネは恐る恐る肉を咥えて目を見開いた。

「これはうまい! 油っ気の強い肉の甘みが引き締まり、焼いただけの肉が料理になったようだ!」

「これは、酒が欲しくなるな」

「酒?」

「いや、何でもない」

「それにしても、あんなおっかない魔物がこんなにうまいなんて思わなかったな」

「砂漠でも耐えられるように栄養をため込んでいるからな。滅多に食料が見つからないこの地では、魔物の肉は貴重な食糧だ」

「強くて怖いだけじゃないんだな、魔物って」

「まあ、基本的には私たちにとっての脅威だという認識で問題はない。魔物を見つけたら、何も考えず逃げるべきだ。先の魔物のように空を飛んで火を噴くだけならいいが、魔物にはよくわからん怪しい力……魔力を使う物もいる。知らなかったでは、後悔してもしきれない」

 あんなに強いのに、慎重なんだな。感心していると、アカネは消えかかった焚火を見つめてつぶやいた。

「君のように、死の間際でドラゴンを守ろうとする人間は初めて見たよ」

 アカネの紅い瞳の中で、焚火の炎がゆらゆらと揺れる。アカネはしばらく焚火をじっと見つめて、思い出したように口を開いた。

「飛竜は食べないのか? ドラゴンは基本的に肉食だったと記憶しているが」

「ドラゴンの肉を食べるのは気が引けるみたいだな」

 ジェシーの方を見ると、いやそうな表情で顔を背ける。相当機嫌が悪そうだ。そんなジェシーの様子に、アカネは興味深そうにうなずいた。

「これまた驚いたな。ドラゴンはなんでも食べると思っていたが、人のような価値観を持つドラゴンは初めてだ」

「それに、ジェシーは好き嫌いが激しくて、甘い物以外はあまり食べないんだ」

「なるほど。一面砂漠の地上では苦労するかもしれないな」

「でも、こんなうまいものがあるんならきっとジェシーの好きな物だって見つかるさ」

「ああ、これだけの大物は久しぶりだ。村のみんなも喜ぶだろうな」

 仲間の事を思ってるのか、アカネは初めて優しい顔を浮かべた。きっといい村なんだろうな。

「飛竜は大丈夫か?」

 出会った時から、アカネはどこかジェシーの事を気にしているような気がする。気を遣ってくれるのはありがたいけど、何か妙な感じだ。

「無事だけど、当分は飛べないらしい」

「驚いた。ドラゴンと話せるのか」

 アカネは目を見開いた。初めてジェシーと会った時の俺も同じ顔をしていたんだと思う。

「俺がジェシーと喋れるってよりは、ジェシーが俺と喋れるって感じだ」

 実際、ジェシー以外のドラゴンと話そうとしても首を傾げられるだけだ。アカネは感心したように頷いた。

「なるほど、利口なんだな」

「ああ、自慢の相棒だ」

 ジェシーの事を褒められるのは自分の事よりもうれしかった。やっぱり、悪い奴じゃない。

「……そう言えば」

 ふと、アカネは思い出したように口を開いた。

「空から来たと言っていたがなぜ地上に? 雲上の楽園からすれば、ここはひどい所だろう」

 そうだ。こんなところでくつろいでいられない。俺はシズクの病気を治すために来たんだ。そのためには、必要なものがある。

「妹の病気を治すために、どんな病気も治す薬の原料になる命の花を探しに来たんだ。何か知らないか?」

「……知っているさ。知らないわけがない」

 やっぱり、地上には何でも治す薬があるんだ。ここに来たのは、無駄じゃない。

 ふと、アカネは唐突に立ち上がる。その手には魔物を縛るときに使っていたロープが握られている。

「どうした?」

「……こんなこと、したくはないんだがな」

 アカネは俺の手を掴んだかと思えば、流れるような動作で手首を縛りあげる。手に持った串が焚火に落ちて燃えた。

「な、なにすんだ!」

「悪いが、君を捕らえさせてもらう。下手なことは考えてくれるなよ」

 急に豹変したアカネの考えを読めないでいると、手首の縄を強く引っ張られる。ずいぶん硬く結ばれていて、力を入れれば入れるほどきつく締まる。自分で解くのは無理そうだ。

「ついてこい。約束通り、村へ案内する」

 無表情の中に怒りを隠したような顔は、決して歓迎してるようには見えなかった

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