第三十四話   対翼竜可変後退翼機F‐X

【第一種】の翼竜が群れを成さずに単独でこの島に飛来したのは、ミントを迎えに来るためだったのか。


 一瞬、天馬は頭の中で否定した。


 だが、よく考えれば翼竜も生物には違いない。


 古代の恐竜の中には、哺乳動物のように子育てをしていた種類まで存在していたという。


 ふと天馬は視線を向日葵に移した。


「よかった。お母さんとようやく出会えたんだね」


 向日葵の目元から流れた涙が頬を伝う。


 ミントを殺さないでと叫んだのは、向日葵はこうなることを予想していたからだろうか。


 天馬はシートの後ろに用意していた酸素マスク付のヘルメットを手に取った。


「雨野!」


 と叫んでヘルメットを向日葵に投げ渡す。


 向日葵は両手で抱え込むようにヘルメットを受け取った。


「これでもう用はなくなったはずだ! さっさと乗れ、この場から離脱するぞ!」


 今度こそ天馬は向日葵を連れて帰ろうとした。


 翼竜の目的がミントの奪還ならば、自分たちはこのまま大人しく帰ったほうがいい。


 今は翼竜とミントも再会を喜んでいるかのように空中で睦ましく飛行しているが、翼竜は所詮翼竜である。


 いつ気が変わって襲い掛かってくるか分からない。


 そうなれば自分たちは確実に殺される。


 ヘルメットを受け取った向日葵は天馬の意思を理解したのだろう。


 目元から溢れ出る涙を手の甲で拭い取り、ヘルメットを装着した。


 よし、これで後は向日葵を後部座席に乗せて航空戦闘学校に帰還するだけだ。


 まさに天馬がそう思った直後――。


「あれは……」


 遥か上空に飛行機雲を延ばしながら、翼竜に接近する戦闘機があった。


 遠目からでもはっきりと視認できる。


 白銀色に輝くコンパクトでスリムな胴体は、間違いなく航空戦闘学校が所有する量産固定翼機――F‐T。


 しかも複座型のF‐TⅡではない。


 実戦用の単座型固定翼機F‐TⅠであった。


 天馬はそのF‐TⅠを食い入るように見つめた。


 否、魅せられていた。


「す、凄い……」


 月並みだがそんな言葉しか出てこない。


 それほど突如現われたF‐TⅠのパイロットの腕前は尋常ではなかった。

 

 太陽が昇り始めた空に舞う翼竜と戦闘機。


 それはまるで一枚の絵画のような神秘性と、血生臭い戦場の凶暴性が合致したような光景であった。


 生物の常識を覆す飛行能力と攻撃能力を兼ね備えている【第一種】の翼竜と対峙しても一歩も引かず、それどころかF‐TⅠを自分の手足のように操縦している謎のパイロット。


 航空戦闘学校の学生ではないことは明白である。


 エルロン・ロールはもちろん、弾丸のように襲い掛かってきた翼竜をインメルマン・ターンでかわすなど飛行免許を取得した航戦の三期生でも無理であった。


 となると考えられることは、パイロットコースを担当している教官の誰かしかいない。


 しかし、時間が経つに従って天馬は眉間に皺を寄せた。


 F‐TⅠを操縦しているパイロットは、先ほどから1発たりとも機関砲を作動させてはいなかった。


 加速と減速を絶妙なタイミング時に切り替え、まさに紙一重で翼竜の攻撃をかわしていく。


 フルスロットルから旋回し、翼竜と交差するや瞬時に態勢を立て直して水平飛行。


 翼竜を上回る旋回性能を発揮してF‐TⅠが翼竜の背後を取る。


 撃つか。


 天馬は拳を握り締めたが、F‐TⅠのパイロットは撃たなかった。


 背後を取られた翼竜が大きく縦回転してF‐TⅠを正面に捕捉する。


 F‐TⅠのパイロットは操縦桿を前方に倒して急加速。


 一定の距離にまで離脱していく。


 3分ほど経っただろうか。


 凄まじい空中戦を地上から達観していた天馬は、F‐TⅠのパイロットの目的が漠然と分かってきた。


 どこからか空気を切り裂く鈍重な音が聞こえてきた。


 それはF‐TⅡのジェット・エンジンの騒音の中でも明確に聞き取れる別のジェット・エンジンの音。


「ああ!」


 上空を見上げながら向日葵が声を上げる。


 その瞬間、天馬の予想が的中した。


 風防から身を乗り出し、大きく目を見開く。


 翼竜と空中戦を繰り広げていたF‐TⅠが戦線から離脱した。


 高高度から低高度まで高度を落としていく。


 だが、天馬と向日葵の意識はF‐TⅠには向いてはいなかった。


 水平線の彼方から複数の黒い物体が接近してくる。


 ブースターから噴出する炎が大気中に尾を引き、加速度も旋回性能もF‐TⅠとは桁違いだった。


(航空自衛軍の特殊飛行部隊!)


 天馬の脳裏に軍事関連書籍の情報が蘇ってくる。公式な情報では格闘戦を極限まで追及し、高速飛行時では後退角を大きく低速飛行時では後退角を小さく出来る仕組みの可変後退翼を採用したとされる航空自衛軍の戦闘機。


 対翼竜可変後退翼機F‐X。


 防衛省が航空自衛軍の飛行部隊にのみ採用した最新鋭の戦闘機であり、番号が若いほど高性能な武装が施されているのが特徴だった。


 そしてⅠからⅨまで細かに装備が異なっていることから、巷ではXシリーズとも呼ばれている。


 横須賀基地の飛行部隊に所属していた父親の影響で、天馬は真剣に航空自衛軍の飛行部隊について調べたことがあった。


 航空自衛軍の飛行部隊は常に三機編成で飛行し、翼竜の迎撃に当たる。


 それは三機のうち二機の戦闘機が標的にした翼竜を撹乱し、残り一機の戦闘機が止めを刺すためだと書かれていた。


 案の定、まず二機の戦闘機が一気に加速。そして翼竜を照準器で捉えるなり装備していた20ミリヴァルカン機関砲を掃射した。


 轟音とともに虚空に閃光が迸る。


 それでも翼竜は巧みに翼を操作して弾丸の雨を回避していく。


 だが、機関砲の掃射はあくまでも囮だった。


「白樺君!」


 そのとき、不意に向日葵の声が聞こえた。


 ちらりと視線を落とす。


 向日葵は操縦席の真下まで近寄り、大声を張り上げた。


「ねえ、白樺君! どうなるの! このままだとミントはどうなるの!」


 目元を潤ませながら必死に訊いてくる向日葵。


 天馬は下唇を噛み締め、うつむいた。


 先ほどから見ていたからよく分かる。


 ミントは親と思われる翼竜の傍を頼りなく飛び回っていた。


 けれども成体である翼竜と戦闘機の飛行に追いつける訳がない。


 大きく離されれば必死に追いかけ、接近すればチョロチョロと周囲を飛び回っていた。


 だからこそよく分かる。


 最早、手遅れであった。


 一機だけ距離を取っていたF‐Xは、胴体下部に抱えていたミサイルを発射した。


 胴体部分から離れたミサイルの個体ロケットモーターが点火し、眩しいオレンジ色の炎と白煙を撒き散らせながら翼竜に向かって加速していく。


 次の瞬間、翼竜の相手をしていた二機のF‐Xが別方向に緊急離脱した。


 機関砲の掃射で空中に足止めをされていた翼竜が猛々しい咆哮を上げる。


 かっと白光が瞬く。


 続いて空気を震わすほどの轟音が鼓膜を刺激した。


 その一瞬、向日葵は何が起こったか分からなかっただろう。


 しかし、天馬は違う。


 数秒にも満たないわずかな時間に起った出来事を、それこそ痛いくらいに網膜に焼き付けていた。


 F‐Xから発射されたミサイルが翼竜に直撃したのである。


 空中に舞い上げられた花火の数倍の轟音が響き渡り、空中の一箇所に黒煙が塊として残っていた。


 F‐Xが発射したミサイルは、標的の体温を発射されたミサイル自体が感知して追跡するアクティブ誘導方式のミサイルであった。


 だが、このミサイルは単純に熱だけを感知する訳ではない。


 火の玉フレアーや太陽の熱に騙されないように標的を画像認識する最新の機能が搭載されていた。


 だからこそミサイルは一直線に翼竜に向かい――そして爆発した。


 向日葵はぺたんと地面に膝をついた。


 がっくりと肩を落とし、両手で顔を覆い隠す。


 一方、天馬は目を逸らさなかった。


 F‐Xが発射した対翼竜用空対空ミサイルは【第一種】の翼竜だけではなく、傍を飛行していたミントも巻き込んで爆発した。


 命中率を上げるため近距離用に改良された対翼竜用空対空ミサイルの破壊力は、かつて戦闘機同士で空中戦を繰り広げていた時代の空対空ミサイルの数倍である。


 たとえ【第一種】の翼竜であっても直撃すれば死は免れない。


 ましてや翼竜の幼体であったミントならばなおさらである。


 跡形もなく木っ端微塵になったに違いない。


「雨野……」


 天馬は肩を震わせ泣いている向日葵に視線を移した。


 いくら翼竜とはいえ、数日間世話をして情が移ってしまったのだろう。


 天馬はかける言葉が見つからず、再び視線を空中に戻した。


 作戦が終了した航空自衛軍のF‐X三機は、一糸乱れぬ見事な編隊を組んで航空戦闘学校の方角に飛行していく。


 天馬は黒煙が残る空中を見上げながら呟いた。


「人間と翼竜は決して共存できない……できないんだ」


 太陽が顔を出した東の空は、まるで一枚の絵画のように神々しく輝いていた。

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