第十三話    不穏な予感 ①

「まったく、一体いつになったら機体が完全に揃うんだ」


 格納庫兼整備工場内の一角に置かれていた白銀色の戦闘機の前で、安藤繁ことシゲじいは忌々しそうに悪態を吐いた。


「しょうがないっス。この第168航空戦闘学校は今年新設されたばかり。いくら作戦本部とはいえ、いきなり機体を全機揃えるようなことはできないッスよ」


 シゲじいの隣では、作業着に着替えていた智則がいた。


 作業用のスパナを片手に両腕を組んでいる。


 二人の目の前には三機の戦闘機が鎮座していた。


 自衛隊時代にパイロットの中等練習機として使っていたT‐4を改良した大量生産型だが、コンパクトな胴体と航空力学的に高い飛行性能を得るように設計された翼面荷重が低い主翼。


 エンジンはライセンス版ではない石中島播磨重工業製の純正品である推力増加型ターボファン・エンジンが二基搭載。


 操縦席の真下にはコンピューター制御による命中率を上げた12ミリヴァルカン機関砲が一門。


 航空自衛軍の戦闘機には遠く及ばないが、これ一機だけでも十分に敵と戦える性能が施されていた。


 しかし、それでも三機しかないのは頂けない。


 智則は不貞腐れているシゲじいから視線を外した。


 格納庫兼整備工場内には、メカニックコースを志望した生徒たちが作業着に着替えて整備の仕事に従事していた。


 本当ならば一箇所に集められた生徒たちは、担当教官から整備に関するイロハを教え込まれる。


 だが、それは昔の話であった。


 現在、日本は車の需要が減ってきており、代わりに戦闘機や民間で使用するプロペラ機の需要が高まりつつある。


 第一次大空戦時、首都圏内に住んでいた人間たちは一斉に車に乗って非難した。


 けれども相手は空から急襲してくる殺戮者である。


 渋滞になった車の群れに翼竜たちは襲いかかり、かなりの犠牲者が出たらしい。


 それから十数年が経ち、現在では航空産業の需要が増加。


 民間ではプロペラ機や海外の軍から横流しされた戦闘機を使用し、翼竜たちから身を守る航空警備会社が多く立ち上がっている。


 それに比例するように機体を整備製造する会社が増え、今では一県に十社以上は珍しくない。


 すると当然、飛行機に携わる人間が増加し、機体を整備できる人間が重宝されるようになった。


 航空戦闘学校が設立された当初、パイロットコースやメディックコースを志望する人間よりもメカニックコースを志望する人間のほうが倍率は上だったほどである。


 そういった経緯もあり、現在において航空戦闘学校のメカニックコースを志望する人間の中で、今まで飛行機の整備をしたことがない人間は皆無となった。


 大なり小なりメカニックコースを志望する人間の実家は重工業や航空産業を営んでおり、幼少期から整備の技術を叩き込まれている人間が多い。


 そしてそういった子どもを持った親は、自分の子どもを国のために働かせようと航空戦闘学校のメカニックコースに入れたがる。


 そのまま卒業して航空自衛軍に入隊すれば将来は安泰だし、パイロットよりも危険な目に遭うことはない。


 それに航空自衛軍に入隊しなくとも、航空戦闘学校のメカニックコースを卒業したともなればそれだけで十分に箔がつくからだ。


 だからこそメカニックコースの生徒たちは、パイロットやメディックコースの生徒たちのように一から基礎を教え込まれるようなことはない。


 基本は機体の点検や整備が主だが、牽引車や給油機などの整備車両の操作も行い、航空部品や食料などの貨物を運ぶ航法輸送にも携わる。


 智則は自分と同じメカニックコースを志望した生徒たちを一望していると、ふと後方に気配を感じた。顔だけを振り返らせると、留美が無表情のまま佇んでいた。


「どうしたっスか? 留美」


 身長が180センチを超える留美が背中に立つと、身長が163センチしかない智則は完全に子どもに見えてしまう。


 けれども、智則はそんな留美に対してまったく臆することなく接していた。


 当然である。


 智則と留美の父親はともに工場を立ち上げた仲であり、言えば二人は物心がつく前からの付き合いであった。


 それ故に子どもの頃の遊び場はいつも油臭い工場の中。


 遊び道具は工場内にあった整備道具や機械類と決まっていた。


 そのせいで二人は知らぬ間に整備技術を遊び感覚で身につけてしまい、中学に上がる頃には工場で働いている作業員に混じって仕事をすることもあった。


 そんな二人に対して、智則と留美の両親は航空戦闘学校に入学するように勧めた。


『実戦が行われる整備環境に身を置き、身につけた技術の腕を振るってこい』


 それが智則と留美が父親から命じられた言葉であり、この第168航空戦闘学校のメカニックコースを志望した理由でもあった。


 智則をじっと見下ろしていた留美は、覇気がない口調でぽつりと呟いた。


「仕事がなくなった」


「……だ、そうっス。どうするっスか? ハルじい」


 ハルじいは毛髪が一切ない禿頭をぺしんと一度だけ叩いた。


「しょうがねえな。せめてプロペラ機が二機あれば徹底的に解体して部品の組み立てを競えるような真似もできるんだがな」


 不謹慎なことを囁いているハルじいに智則は冷静に突っ込む。


「興味はあるっスが作戦本部にバレたらクビっスよ。そんなことより生徒全員を集めて講義でもしたらどうっスか?」


「講義か……ウダウダと話すのは得意じゃねえんだがな。こうなったらパイロットコースのガキどもを連れてきて機体に乗せちまうか?」


「仮飛行免許もまだ取得していない生徒にっスか? そりゃあ無茶っスよ。最低半年間はシミュレーターやプロペラ機で実習してもらわないと機体が可哀想っス」


 本来、飛行機に乗るには車の運転免許と同様に飛行免許というものが必要である。


 これは18歳にならなければ取得できないのだが、航空戦闘学校のパイロットコースに入学すれば特別に二期生――17歳から取得できるシステムになっていた。


 段階にすれば一期生時にシミュレーターやプロペラ機などで練習して仮飛行免許を取得し、二期生時になると正式な飛行免許を取得できる。


 そしてもっと厳密に言えば飛行免許を取得するには飛行試験を受けなくてはならないのだが、パイロットコースの生徒たちは試験を受けなくても無条件で貰えるのが特色であった。


 智則は目の前に鎮座している量産固定翼機F‐TⅠを見上げた。


「せめて仮飛行免許を取得するまで待ったほうがいいっス。下手に飛ばされて空中分解でもされたら整備の俺らが大迷惑っスよ」


「ははは、そりゃあそうだ。じゃあ仕方ねえな。やりたくねえが退屈な講義でも――」


 そこまでハルじいが言いかけた瞬間、建物内にいた全員がはっと気づいた。


 智則は全神経を両耳に集中させた。


 遠くのほうから雨の音に混じり、ジェット機のエンジン音が聞こえてくる。


 数秒後、格納庫兼整備工場内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。


 頭に直接響くようなそのサイレンの音は、格納庫兼整備工場内だけではなく航空戦闘学校全体に響き渡っていただろう。


 智則も留美もこの学校に来てまだ一ヶ月しか経っていないが、学校が始まる前よりこの格納庫兼整備工場に通っていた人間である。


 だからこそ二人はすぐに分かった。


 学校全体に響き渡ったサイレンの音は避難訓練用のサイレンではなく、緊急警告時に流すサイレンであると。


 ハルじいはすぐさま内部無線機に走り寄り、トークボタンを押した。


 管制塔に待機している管制官に凄まじい剣幕で尋ねる。


「おい、この時間帯に機体が到着するなんて予定は聞いてねえぞ!」


 すぐにスピーカーホンから声が返ってくる。


『確認したところ、航空自衛軍木更津基地所属の戦闘機F―XⅢだと判明しました。太平沖で作戦行動中だった飛行部隊の一機らしく、どういうわけか自動操縦モードで着陸許可を求めています』


 智則はハルじいと管制官の会話をすぐ後ろで聞いていた。


 隣には留美も無表情で佇んでいる。


(自動操縦モードで着陸許可っスか……まずいっスね)


 航空自衛軍の戦闘機は、航空力学の粋を結集して製造された機体に対翼竜使用の機関砲やミサイル類が搭載されている。


 それこそ【第三種】や【第二種】に分類される翼竜を難なく撃退できると定評があった。


 コンピューター制御に関しても同様であり、複数の翼竜と交戦する場合に備えて機体の飛行を自動操縦に切り替え、その間に複数の翼竜に機関砲やミサイルの照準をコンピューターに打ち込むシステムが組み込まれている。


 だが、それはあくまでも交戦時の場合であった。


 一時的な待機場所である海上自衛軍の護衛艦に戻るのではなく、わざわざ新設されたばかりの航空戦闘学校に着陸許可を求めるということは、この島の近くで翼竜と交戦したのかもしれない。


 それに着陸許可までも自動操縦に任せるということは、あまり深く考えたくはないが翼竜との空戦で手酷い損傷を受けた可能性が高い。


【第三種】や【第二種】に分類されている翼竜を撃退する性能を有した戦闘機がである。


 智則の心配事はハルじいも当然の如く感じていたらしく、管制官に向かってすぐに着陸許可を与えろと怒声を浴びせていた。


 管制官との通信を終えたハルじいの元に、メカニックコースの担当教諭たちが駆け足で近づいてきた。


「消防と救急の配備が完了しました!」


「よし、だが外は生憎の雨模様だ。消防の出番はないかもしれん。しかし気を抜くな。自動操縦に切り替えているということはパイロットの生死も未だ不明だ。ガキどもの避難を急ぎ、メディックの奴らを何人か寄越すように伝えろ」


 的確なハルじいの指示を受けて、教官たちはすぐに行動を開始した。


 格納庫兼性整備工場内で仕事をしていた生徒たちを別の場所に移動するように促し、その間に滑走路に向かって消防車や救急隊の人間と一緒に移動していく。


 教官たちに指示を出したハルじいは智則と留美にも避難しろと言ったが、二人はきっぱりと否定した。


「俺も何か手伝うっス」


 智則の言葉に同意するように留美も頷く。


 ハルじいは真剣な表情を浮かべた二人を見てチッと舌打ちした。


「勝手にしろ。怪我しても知らねえからな」


 そう吐き捨てたハルじいは、老体に鞭を打って滑走路に走り出す。


 智則と留美も小判鮫のように、真後ろに張り付いて滑走路に向かった。

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