第一話     伝説の始まり

 窓枠の外には抜けるほどの青空が果てしなく広がっていた。


 午前8時46分。


 天気がよかったため、眼下には散り散りに浮かんでいる雲の下に黒ずんだ山々が連なって見えた。


『お客様に申し上げます。当機はまもなく目的地である四鳥島しちょうじまへ到着致します。皆様、どうかお忘れ物がないようお願い致します。繰り返し申し上げます……』


 女性の機械音声が機内に響くと、窓枠に肘をかけて外の景色を眺めていた少年は座席のシートに深々と背中を預けた。


 やや青みを帯びた黒の短髪に精悍な相貌。


 黒地の半袖Tシャツから伸びている腕は逞しく鍛えられており、組み替えていた足に穿いていたズボンはダークグリーンのカーゴパンツ。


 細身だが筋肉質な体型をしている。


 そんな少年――白樺天馬しらかば・てんまからは15歳とは思えないほどの他人を寄せ付けない独特なオーラが放たれていた。


 とはいうものの、天馬の周囲には最初からほとんど人がいない。


 二十席ほどの座席には天馬を入れても数人の人間しか座っておらず、しかも若い人間は天馬のみ。


 他の人間たちは還暦をとうに過ぎているだろう。


 大風呂敷を膝の上に抱えたままうたた寝をしている老人たちが、それぞれ好きな席に座って寛いでいた。


 天馬は首を左右に動かして骨を鳴らす。


 そして両指を絡めたまま大きく伸びをすると、簡易荷物置場に腕をぶつけてしまった。慌てて腕を引っ込める。


 そうこうしている間に機体は着陸態勢に入った。


 スムーズに滑走路に降り立ち、窓枠の外には雄大な大自然の景観と近代的な市街地とが入り混じった風景が見え始める。


『大変長らくお待たせ致しました。当機は四鳥空港に着陸致しました。皆様、どうかお忘れ物がないようお願い致します。繰り返し申し上げます……』


 女性の機械音声が聞こえたときには、天馬はボストンバッグを片手にすでに席を立っていた。


 逸る気持ちをぐっと押さえつけ、まだ開かないドアの前にじっと佇む。


 やがて機体が静止し、出入り口のドアが開かれた。目の前には地上へと続くタラップが伸びている。


「さてと、行くか」


 天馬は初春の暖かな陽射しを受けながら、意気揚々とタラップに足を踏み出した。


 片田舎の駅のような小さな空港を出た瞬間、天馬はズボンのポケットから一枚の紙切れを取り出した。


 目的地までの場所が正確に描かれている地図を見ながら、天馬は地面に置いていたボストンバッグを手に颯爽と歩き出した。


 地図によればここから目的の場所までは結構な距離があるのだが、だからといってタクシーなんて使う気にはなれない。


 淡い陽射しが肌を温め、気持ちのよい風が髪をなびかせる。


 清々しい一日の始まりの予感がする。


 天馬はそれなりに発展している街の様子を眺めながらアスファルトの歩道を歩いていく。


 すれ違う人間はほとんどなく、いたとしても軍服を着た人間たちが多数だった。


 おそらく、この島に一時的に駐留している海上自衛軍の軍人たちだろう。


 水色の軍服は海上自衛軍の正式な軍服であり、陸上自衛軍は深緑色、航空自衛軍は純白色が正式な軍服と決まっているからだ。


 きびきびと歩いている軍人たちとすれ違いながら、天馬は様々な店が立ち並ぶアーケード街に差し掛かった。


 そのとき、天馬の耳は自分に近づいてくる慌てた足音を拾った。


「うおっ!」


 突如、細い路地からゴミバケツをひっくり返しながら一人の少年が飛び出してきた。


 天馬は少年との接触をバックステップで間一髪回避する。


「悪いっ! ちょっと匿ってくれ!」


 言うなり少年は、近くにあった看板の裏に素早く身を隠す。


 天馬は返事を返す前に行動を起こされたので少々狼狽した。


「……何なんだ?」


 まったく状況が摑めずにその場で天馬は髪を掻いていると、路地から複数の人間たちが呼吸を荒げながら飛び出してきた。


 ずっと走り続けていたのか全員は顔を真っ赤に紅潮させ、額からは玉のような汗を滲ませている。


 そしてその表情は憤怒の色に染まり、威嚇するような鋭い眼差しで周囲を見渡し始めた。


「おい、そこのお前!」


 天馬が路地から飛び出してきた集団を見つめていると、角刈りの男が天馬に気づいて声をかけてきた。


 しかし相手を蔑むような物言いに、天馬は眉根を細める。


「この辺にお前と同じくらいの年頃の小僧が来ただろう? どっちに行った?」


「そんな奴は知らない。だからとっとと目の前から消えてくれ」


 静かな口調で天馬は角刈りに言い放つ。


「何だその言い方は! 俺たちが誰だか分かってんのか!」


 角刈りの怒声が響くと、他の三人も集まってきた。


 天馬は角刈りの男を始め、自分を取り囲むように動いた男たちを見渡した。


 おそらく全員は二十歳にも満たないほど若い。


 それに短めに刈られた髪型に上半身には水色の半袖Tシャツ。


 下半身には緑色のズボンを穿き、筋肉も服の上からでもわかるほど鍛えられていることが男たちの正体を如実に物語っていた。


「海上自衛軍……いや、海上戦闘学校の学生か?」


 天馬の言葉を聞いて角刈りがほう、と頷いた。


「そうだ。俺たちは第94海上戦闘学校の三期生だ」


 自信満々に答えた角刈りを睥睨しながら、天馬は素っ気無く「そうか」と答えた。


 その態度に腹が立ったのだろう。角刈りは大きく舌打ちする。


「くっ、そういう貴様は何者だ? 見たところ旅行者のようだがこんな島に何をしにきた? 答え如何によっては不審者とみなして軍警察に突き出すぞ」


「不審者とは心外だな」


 ボストンバッグを地面に下ろした天馬は、チャックを開けて中に手を差し込んだ。


 そしてバッグの中から何かを取り出すと、怪訝そうな表情をしていた男たちの目が一瞬で点になった。


「俺の名前は白樺天馬。今年設立された第168航空戦闘学校に入学する第一期生。部隊コースはパイロットだ」


 その瞬間、男たちは見るからに動揺した。


 天馬が取り出して見せたのは、航空戦闘学校の学生に与えられる航空戦闘学生記章だったからだ。


「航戦の生徒……パイロットだと?」


 リーダー格と思われる角刈りの男は、航空戦闘学生記章と天馬を交互に見ながらそっと距離を取った。


「確かアンタらは海戦の三期生だと言ったな? 大方、実戦演習の一環としてこの島に来たんだろうが、羽目を外し過ぎたな。今現在、自分たちがどれだけ大変なことをしているか自覚はあるのか?」


 天馬は射るような眼差しでズイッと一歩前に出た。


「海戦の学生が航戦の学生に喧嘩を吹っかけた。このことをアンタたちの教官に報告してもいいのか?」


 教官への報告。


 この単語を言うだけで男たちを黙らせることは簡単だった。


「おい、やばいんじゃねえ?」


「ああ、もう行こうぜ」


 などと男たちは小声で相談し、やがて角刈りの男は引きつった顔のまま歯噛みした。


「ふ、ふん……知らなかったらそれでいいんだ。邪魔したな」


 男たちは安い捨て台詞を残しながら足早に立ち去っていく。


 そんな男たちの背中を見据えたまま天馬は佇んでいると、後ろから肩を叩かれた。


「いや~、危ないところだった。お陰で助かったよ」


 振り向くと、看板の後ろに隠れていた少年がニンマリとした笑顔を向けてきた。


 俺と同じ年齢だろうか。


 短髪だが整髪料で前髪を真上に立てた妙な髪型。


 服装は柄が入った白地のシャツの上から赤系のチェックシャツを重ね着し、ブラックのスレートジーンズを穿いていた。


「本当に助かった。海戦の奴らは実習艦の中に篭りっきりだから気が短くてな。ちょっとからかったらすぐムキになって襲い掛かってきやがった。まったく、一人に対して複数の人間で襲うなんて学兵の風上にも置けねえ」


 べらべらと喋り出した少年に天馬は嘆息した。


「別にもういいさ。今度からは気をつけろよ。じゃあな」


 地面に置いていたボストンバッグを持とうと天馬は手を伸ばした。


 すると――。


「おっと待ってくれ!」


 その場から立ち去ろうとした天馬の前に少年が立ちはだかった。


 太い眉に細い目が印象的な少年の顔が若干ニヤついている。


「……まだ何か用があるのか?」


「おうよ」


 白い歯を剥き出して笑った少年は、天馬に右手をすっと差し出してきた。


「俺の名前は神田空也かんだ・くうや。お前さんと同じ第168航空戦闘学校に入学する第一期生だ」


 空也は天馬の右手を強引に握って握手を求めた。


 細い身体をしていたが、握力は中々のものだった。


 鍛えている人間特有の力強さがひしひしと伝わってくる。


「航戦の学生?」


「ああ、部隊コースはパイロットだ」


 屈託のない笑顔を作ったまま手を一向に離さない空也に天馬は呆然となった。


「俺と同じパイロット候補生だと? じゃあ何で海戦の奴らなんかに絡まれていたんだ? 航空戦闘学生記章を見せれば一発だっただろう?」


 天馬の左手には、航空戦闘学生だけに配布される記章が握られていた。


 銀色の羽根の中央には、パイロット候補生を示す西洋風の短剣の絵が刺繍されている。


「そ、そうなんだけどさ」


 罰の悪そうに鼻先を掻きながら空也が答えた。


「こんなときに限って記章を学生寮に忘れてきちまってね。気づいたときには相手に喧嘩を売っていた後だった」


 ははは、と引きつった笑いを見せる空也に天馬は辟易した。


「パイロットになろうとする人間から喧嘩を売ってどうする。自業自得だろうが」


 握手をしていた手をぱっと離した天馬は、時間を無駄にしたとばかりに歩き出した。


「おっと、だから待ちなって」


 再び空也が目の前に立ちはだかった。


 両手を大きく左右に伸ばして行動を制止する。


「まだ何か用があるのか?」


「おうよ。お前、見たところこの島に来たばっかりだな?」


「それが?」


「みなまで言うな。俺にはすべて分かってる。お前はこれから三年間の学校生活を満喫するために必要な学生寮に向かう途中……そうだな?」 


 変な奴に捕まったな。天馬はそのまま無視しようかとも思ったが、無視したところでどこまでも付きまとわれるような予感がしたので正直に答えた。


「ああ、そうだ」


 天馬が答えると、花が咲いたように空也の表情が明るくなった。


「俺の信念は受けた恩はすぐに返すことだ。そして今しがた俺はお前に海戦の奴らから匿ってもらうという恩を受けた。というわけで、俺が今から学生寮まで案内しよう」


 空也はそう言うなり、天馬の手から素早くボストンバッグを奪い取った。


「何をする!」


「まあまあ、これから三年間も一緒に勉強する仲間じゃねえか。それに同じパイロット候補生だ。気遣いは無用だぜ……え~と」


 天馬は腰に手を当てて溜息を漏らした。


 どうやら本当に変な奴に捕まってしまったようだ。


 しかし、話した感じではそう悪い人間ではない。


 それにわざわざ荷物を持って目的地まで案内してくれるという。


 言葉を捜している空也を見て、天馬はやれやれと嘆息した。


「天馬……俺の名前は白樺天馬だ」

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