第134話 格の違い

 魔物と日々戦う冒険者であれば、それはよく向けられる感情であった。


「ジョゼフ、俺と約束したよな?」


 ユウから放たれる怒気が粘着質な気体のようにジョゼフたちに纏わりつく。マリファの耳は垂れ下がり、コロは伏せて顔を隠した。

 離れた位置にいたジョゼフにはユウが言った言葉は届かなかったが、目と口の動きでなんとなく内容は理解できた。


「待てっ! お、俺はちゃんと約束は守ったぞ!! な? な? お前も知ってるよな? 俺が昼夜問わずにニーナたちの護衛してたのは!」


 ジョゼフはまるで浮気がバレた男のように慌てふためきながらムッスの後ろに隠れるが、その巨体を隠せるはずもなく、ムッスの身体から色々とはみ出していた。

 一方、ジョゼフに話を振られたクロは全身の震えを抑え切れないようで、右手で身体を抱き締めるかのように抱えるが鎧の部位同士がぶつかり合う音が響く。


「そ……そこの変態が言うように、ニーナ殿が……ぼ、冒険以外で傷を負ったことはあり……ません。ですか……ら、どうかお怒りを……鎮めてください」


 ユウと繋がっているクロには、ユウの怒りが直接流れ込んで来る。アンデッドで感情に乏しいクロが怯えるほどの怒りが。


「ラリット、ユウはなんて言ったんだ?」

「なんでニーナちゃんが泣いてるんだって言ってる」


 ジョゼフとクロの異変にラリットの仲間が問いかけるが。


「はあ? なに言ってんだそんなのユ――もがもがっ、はにすんだ?」

「聞いている」


 ラリットに突然口を押さえつけられた男が抗議するが、目をユウの方へ向けると、確かにユウが自分を見ていることに気づく。


 ユウは耳に意識を集中する。ラリットたちや『赤き流星』たちの話し声がユウの耳へ入って来る。「ユウが帰って来たからだろうが」「なんであの女はあんなに泣いているんだ?」「あれがユウってガキかっ!」「お前のせいだ」「ウチのタリムを一撃で倒しただとっ!?」「あのガキを倒せば勝負なんて関係ねえ!」「なにがどうなっているかわからんが、あの女が泣いているのはいい気味だ」「ニーナちゃん、良かったね」、ユウを罵倒する声やニーナを気遣う声が大半を占めていたが、その中の一つにユウはさらに意識を集中する。


「『赤き流星』の連中からずっと嫌がらせ・・・・を受けてたからに決まってんだろうが」


 ユウから放たれる怒気が殺気に変わる。帽子の中で寝ていたモモがユウから放たれる怒気で目を覚まし、帽子の隙間から顔を覗かせるが殺気に驚き帽子の中へ引っ込んでしまう。


「屑共がっ」


 ユウの呟きに後ろで控えていたラスの肩がピクリと震える。次いでユウの足元から無数の魔力の糸がラリットたちへと伸びると、結界が次々と張られていく。魔力の低い者でも視認できるほどの結界、いかほどに強力な結界かが窺えるであろう。


「ちょっと待ってほしい。爺や、僕の結界だけやけに薄くないかな?」

「ホホッ、いいではありませんか」

「良くない! 良くないよねっ!?」

「待てっ、俺には結界すら張られてねえぞっ!」


 ジョゼフにはなぜか結界が張られておらず、周囲から「日頃の行いがなぁ」や「ざまぁっ」などの言葉が飛び交う。


「あいつら、なにやってんだ。デリッドさん、なにか聞こえますか?」

「結界だ。視認できるほど強力な結界を全員に展開している」

「ぜ、全員に? なんのために!?」

「そんなことどうでもいいだろうがっ! デリッドさん、タリムがやられたんだ。かたきを取りましょうよ」

「そんなことってなんだ!」

「待て」


 デリッドは騒ぐ団員たちを手で制して黙らせる。ユウがデリッドたちに向かって喋っているのが聞こえたからだ。「――共がっ」最初の部分は聞き取れなかったが、次の言葉はハッキリと聞き取れた。ユウはデリッドたちに向かってこう言い放ったのだ。


「死ね」


 言葉が終わると同時に、天より直径三十メートルに及ぶ青い炎が渦を巻いて降り注いで来る。


「あのガキっ!」


 デリッドは精霊魔法第7位階『樹界』を展開する。『詠唱破棄』によって一瞬にして展開された樹界は、渦巻く巨大な青い炎を受け止める。


「さすがデリッドさんだぜ!」

「当たり前だろうが、デリッドさんの『樹界』で防げないモノなんてないんだからな」


 口々にデリッドを褒め称える団員たちであったが、その間も青い炎は『樹界』を貫かんとせめぎ合っていた。樹々が砕かれ燃やされる側から再生を繰り返すが、青い炎も負けじと押し込む。デリッドが『樹界』に追加で魔力を込め、渾身の力で押し返すことでやっと樹々が砕け焼け焦げる音が止まるのだが、その代償は。


「あ、あ……氷爆竜の息吹すら受け止めたデリッドさんの『樹界』が……」

「消えてる……そんな馬鹿な……」


 デリッドの展開した『樹界』は、その役目を終えたとばかりに消え去っていたのである。


「なんだあいつ、俺の『青褐あおかち』を防ぎやがった」

「マスターのオリジナル魔法を防ぐとは、あの耳長は羽虫ではなく蝿でしたか」


 なんだあいつと言いたいのはデリッドの方であった。破られたことのない自慢の結界をたった一発の魔法によって吹き飛ばされたのだ。


「まあいい。次で死ね」


 『赤き流星』の者たちが驚愕の表情で空を見上げる。デリッドが『樹界』でやっと防いだ青い炎が、先ほどと同じ大きさで五つも展開されているのだから驚くのも無理はないだろう。


「な……なんなんだ。あのガキは……冗談だろ? あんな強力な魔法を放った直後に同じものを五つも?」

「逃げるんだ。固まってたらいい的だぞっ!」

「ハッタリだ。あんな強力な魔法をそんなぽんぽん放てるわけがねえ! あれは似たように見せてるだけだ」


 嘘であってほしいと願う団員たちであったが、デリッドの顔を見れば空に見える青い炎の渦が嘘ではないことを理解してしまう。


「マスター、よろしいでしょうか?」

「なんだよ」

「あの羽虫共により恐怖と絶望を味わわせるために、あえて詠唱してはいかがでしょうか? それもより強力な魔法を」


 ラスの提案にユウは空に展開していた『青褐』を消し去る。一度展開した魔法を簡単に消したユウにデリッドが驚く間もなく、ユウの詠唱が始まる。


「アメ・ポリヌママス・ガーデヴォル・アマザード――」

「クク、クハハハハハッ! マスターが唱えるは龍魔法、いいか? 竜魔法ではなく龍魔法だぞ! 龍魔法第5位階『龍牙刃顎りゅうがはがく』、巨人族すら塵と化すこの超魔法を喰らえば、お前らごとき骨の一欠片も残るとは思わぬことだな!」


 自分の提案が受け入れられたからか、それとも自身が仕えるユウの力の強大さに酔いしれているのか、わざわざ『赤き流星』たちにご機嫌なラスが解説する。

 ユウが詠唱する毎に、『赤き流星』を囲むように龍の牙を思わせる巨大で鋭い刃が次々に地を喰い破って飛び出す。


「ダ・ゴリュマード・ドアス・デ」

「うあ゛あ゛あああん」

「モゴラ・タルム・バル・モレ」

「うああああーん」

「ゴレーザォ・ハヴォタ――」


 デリッドですら死を覚悟していたが、ユウの詠唱が突如止まる。


「マ、マスターいかがしました?」

「ニーナ、どうすれば泣き止むんだ」


 ニーナはユウに抱きついたまま、ずっと泣いていた。ユウが問いかけるもニーナは泣き止まず。途方に暮れたユウはニーナを抱き抱えると、レナとマリファのもとへ向かう。ユウが向かって来ることに気づいたレナとマリファは、互いに見つめ合うと我先にと走り出す。後ろに続くのはクロ、コロ、ラン。


「帰るぞ」

「かしこまりました」

「……どーん」


 レナがユウの背中に飛び乗ると、マリファの耳がピクリと動く。コロは嬉しそうにユウの足元に顔を擦りつけ、ランは興味がなさそうにしながらも尻尾をユウの足へ何度も当てていた。


「マスター、羽虫共の処刑は?」

「どうでもいい。ニーナは泣き止まないし、ラスが言うとおりにしてもあいつらは怯えないし」

「ぐっ、それは……」


 『赤き流星』たちは怯えなかったわけではない。村人が突如魔物に囲まれた際に動けなくなるように、冒険者が龍と鉢合わせになり考えることを放棄するように、ただ目の前の逃れられぬ死から虚脱状態に陥っていたのだ。


「待てっ!」

「なんでしょうか?」


 デリッドの呼びかけに立ち止まったのはマリファだけであった。

「俺を……いや『赤き流星』は……」

「ご主人様はどうでもいいとおっしゃいました。良かったですね。クランを解散することにならなくて」


 マリファはそう告げると足早にユウを追いかけて行く。残るのは自尊心をズタズタにされた一人のダークエルフと、カマーで一番大きく強いクランだということを吹聴していた団員たち。

 『赤き流星』たちの前にムッスやジョゼフ、ラリットたちが近づいて来る。


「だから大変なことになるって言っただろう?」

「ムッス伯爵……あのガキはなんなんですか! 俺を! 『赤き流星』を散々コケにしておいて! トドメも刺さずに……そう、トドメも刺さずに行ったんですよ……」


 項垂れるデリッドの姿に、ことが終われば勝負しようと思っていたジョズも同情してしまう。

 『赤き流星』所属の冒険者たちもあまりの惨敗に皆が落胆を隠せなかったが、一人の団員がラリットたちの中に見知った顔を見つける。


「お前……ワルゴルだよな? なんでそっちにいるんだよ? 大体お前、今日は腹が痛いって」

「違うっ! 俺は『豊満なる愛』に所属する名もなき冒険者だ!」


 口元を布で隠してはいたが、知り合いであればすぐに看破できる程度の変装であった。


「待てよ。そっちにいるのはエマじゃねえか」

「ち、違うわ。私は『ユウちゃんを愛でる会』所属の流れの冒険者よ!」

「なにが流れの冒険者だ。猫人の中でも特徴的なお前の耳が見えてるじゃねえか! あっ、そこにいるのはアウレリア……そっちはベンヴェヌート……どうなってんだお前らっ!」


 次々と体調不良やクエスト中などを理由に来なかった『赤き流星』所属の冒険者たちが見つかっていく。


「許さねえぞ! 裏切りじゃねえかっ!」


 『赤き流星』所属の男が裏切り者に掴みかかろうとするが、その腕をジョゼフに掴まれる。


「許さねえだと? そりゃこっちの台詞だ。お前らが裏でネチネチ嫌がらせしてたせいで、ユウが俺のことを疑ってたじゃねえか。お前らの腐った根性叩き直してやる」

「ざまあ見ろ! 旦那にこってり絞られちまえ!」

「いや、お前らもだぞ? さっきユウの結界が俺にだけないときに「ざまぁっ」だの「日頃の行いが」どうなの好き放題言いやがって、おージョズ、なにこそこそ逃げようとしてんだ」

「や、やだなー。逃げるなんてなにを言ってるんですか」

「誰が逃げていいって言った? 全員逃げられると思うなよ?」


 ジョゼフが肩を鳴らし、岩石竜の大剣を抜き放ち振るうと一度に五人も吹き飛ばされる。そこからは阿鼻叫喚の惨状となった。


「ぎゃあ゛あ゛あああっ!」

「だ、旦那、待ってください。俺ですよ! ラリ――ぐべぇっ」

「か、母ちゃーーんっ!」

「待ってください! ぼ、僕はAランク冒――ごはぁっ!」




「マスター、どうかされましたか?」


 急に立ち止まったユウにラスが問いかけるが。


「いや、なにか忘れているような……大事なことじゃないんだが、あとで面倒なことになるような……まあ、いっか」


 泣き疲れたのかニーナはユウの腕の中で眠り、後ろからユウにぶらさがっているレナは、久し振りのユウの匂いに恍惚の表情を浮かべていた。マリファはニーナや遠慮なく甘えるレナが羨ましいのか、横目でチラチラと覗き見していた。




 そしてとある島では――


「びえええええええーーーーーんっ! オドノ様のバカーーーーー!!」


 泣きじゃくるナマリの頭を面白そうに突く天魔族のトーチャーがいた。ちなみに音に敏感なシロは泣きじゃくるナマリから逃げるように地中に潜り、すでに遠くへと避難していた。

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