第27話 その顔と体で

「あら? 助けてくれなんて言ってないけど。現に見ての通り、たけしがいなくても逃げられそうだったわけだしね」


「ふざけるなよ、てめえ。ここに戻ってくることがどれだけ危険か分かってんのか!」


「そんなことは知らないわよ。それにてめえ……じゃないでしょう。お姉ちゃんでしょう?」


 ……は?

 場にそぐわないそんな間の抜けた声を直樹なおきは発するところだった。再び直樹は驚いた顔で若菜わかなに視線を向ける。


「弟の武よ。随分と久しぶりに会ったんだけどね」


 若菜は少しだけ肩をすくめた。


「……グルだったのか?」


 どこからかは分かるはずもなかったが、直樹としては当然の言葉だった。しかし、若菜はその言葉を否定した。


「そんなわけないじゃない。偶然よ。不良の弟がたまたま話題の蒲田・川崎狂走会きょうそうかいのリーダーだっただけ」


 そんな偶然があるのかと直樹としては言いたくなってくる。だが、若菜の表情を見ている限りではそこに嘘はなさそうだった。


「お前は何者だ? ヤクザ者には見えねえけど」


 武と呼ばれた弟が直樹に視線を向けて、以前と同じような問いかけをしてくる。


「何者でもないな。ただの会社員だ。俺は巻き込まれただけだよ」


「巻き込まれた? こいつの顔に騙されただけだろう?」


 武は鼻で笑って更に言葉を続けた。


「こいつはガキの頃からそうなんだよ。その顔と体で近所のおっさんから先生、先輩まで、てめえが利用できるんだったら見境がねえ」


 武の言葉に反論の余地はなかった。認めたくはないところだが、実際は限りなく武が言うことに近いのかもしれなかった。黙り込んだ直樹に代って若菜が口を開く。


「あら、随分じゃない? アンタだってそのおこぼれにあずかってきたじゃない」


「は? ふざけんな、てめえ。俺が今までどれだけてめえの尻拭いをしてきたと思ってんだ。今回だってそうだろう? 今回は流石に下手すれば俺もヤバいんだ」


「だから言ったじゃない。助けてほしいなんて言ってないって。それに……お姉ちゃんでしょう?」


「てめえ、ぶち殺すぞ」


 ある意味で呑気な若菜の言葉に武が怒気を発する。若菜はそんな様子の武を鼻であしらっている感じだった。


 詳細は分からないが正直、姉弟喧嘩は他でやってもらいたかった。今はそんな状況ではないのだから。


「おい、逃げるぞ。弟の仲間がいつ戻ってくるか分からない。武と言ったな。お前はどうする?」


「あ? 一緒に逃げるわけねえだろう。お前らは好きにしろ。それに二度と手助けはしねえからな。俺もヤバいからな。今回だけは、そこで気を失っている馬鹿や仲間には上手いことを言っておく。今後はお前らがどうなろうが知ったことじゃねえ」


「あら、強がっちゃって。今だってお姉ちゃんを助けに来てくれたじゃない」


「てめえ、調子に乗るなよ? 次はねえぞ。てめえが酷い目にあって死のうがどうしようが、俺には関係ねえからな」


 怒気と共に武はそう若菜に言い放った後、次いで直樹に視線を向けた。


「てめえもそうしたところで今更逃げ切れるかは分からねえが、この女は見捨てた方がいいぜ? この女を追っているのは俺たちだけじゃねえんだ。全国に組をもっているヤクザ者がこいつを追っているんだ。逃げられるはずがねえ。それにそもそもが、こいつの性根は……」


 言われなくても分かっている。既にこうして一度はあっさりと捕まったのだ。このままでは逃げ切れるはずがなかった。やはり田舎に身を潜めるか、海外に飛ぶのか。あるいは承諾するかは分からないが血縁上の父親を頼るのか。


 いずれにしても若菜を見捨てないとなれば、選択肢が多くはない。しかもその決定を急がねばならないようだった。直樹は軽く頷くと少しだけ笑顔を浮かべてみせた。


 少しだけ笑顔を浮かべた直樹を見て武は一瞬だけ以外そうな表情を浮かべた。根は素直で悪い奴ではないのかもしれない。


「忠告は受け止めておくよ。いずれにしてもありがとうな。姉さんを守るなんて約束をするつもりはないが、できる限りのことはする。ここのことは任せた」


「……言ったろう? 姉さんだ? こいつのことなんて知ったことじゃねえんだよ。それにこうなった以上、何の会社員だが知らねえが、一般人のてめえにできることなんてねえよ」


 武の言葉に直樹は軽く肩を竦めてみせた。その様子に武は少しだけ苛立った様子をみせて、早く行けとばかりに片手を振った。


「後は頼む」


「じゃあね。タケちゃん」


 直樹と若菜は若菜のそんな言葉を残して、連れ込まれたビルを後にしたのだった。

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