第20話 がらくた山の宝②
レイクはバルドア区の住宅街に居を構えるローマン伯爵の元を訪ねた。伯爵は留守にしていたが、幸い夫人がいて応対してくれることになった。
現在サイラス・ベールが美術を教えている伯爵の子供たちは、敷地内の庭で遊んでいる最中だった。
レイクはメイドのラヤに応接間へと通され、夫人と面会した。
サイラスの仕事ぶりについて質問すると、夫人は満足そうに答えた。
「ええ、ええ、ベール先生は良い人ですよ。子供たちには芸術を理解してほしくていろいろな家庭教師をつけましたが、彼が一番です」
話好きの夫人に対して、レイクは業務的な微笑みを返した。
「マダム、貴女は芸術に大層興味がおありなんですね」
「学生時代は芸術を専攻しておりましたの。子供たちにも何か才能があればいいと思って教えようと思ったのが切っ掛けですわ。でも、子供たちは親から強く言われるのを好まないそうですの。私が勧めても嫌がってスポーツばかりやろうとしましたわ。でも、ベール先生が来てからは生まれ変わったみたいに美術の勉強に打ち込むようになったんです!」
「相当教え方の良い先生だったんですね」
ローマン夫人は賛同するように頷いたが、すぐに表情を暗くした。
「とても誠実な方でした。それなのに何も言わずに来なくなるなんて! きっと何かあったに違いありませんわ!」
「彼がいなくなる理由について心当たりはありますか?」
「ちっとも! 彼は本当に良い人だったんですのよ。うちの主人は芸術にはとんと疎くて私が何か作品を褒めても“ああ、そうだね”としか言わないんです! それに比べてベール先生は知識が豊富で話題を一つ投げかけると何倍もの言葉で返してくれたんです! 私が買った美術品についても詳しく解説してくれましたわ」
レイクは曖昧に笑った。
(若い家庭教師と妻が仲良くしていれば、旦那は気が気じゃないだろうな)
彼が風の噂で聞いたところによると、ローマン伯爵は妻の自分に対する関心が薄れつつあることに危機感を抱いているらしい。夫婦仲は険悪ではないだろう。しかし、夫人が趣味を理解してくれない夫へ諦念を感じているのは間違いなかった。
「ああ、レイクさんも是非私のコレクションをご覧になってください。きっとご満足いただけますわ!」
「大変ありがたい申し出ですが、この後向かうところがありますのでお暇させていただきます」
「まあ、残念」
夫人は露骨にがっかりした。
それからレイクはラヤに正門まで案内された。まだ昼の二時を過ぎた頃だった。調査の時間はまだ十分にあると思った。
彼が正門を出ようとすると、ラヤが引き留めた。
「ブラウエル様。実はベール様のことでお伝えしたいことがございます」
ラヤは細身で肌の白い女だ。右目の下に黒子があり、消極的な性格を思わせる表情を浮かべていた。
レイクはメイドの顔を直視した。
「何かあるのかい? 聞こう」
ラヤは慎重に言葉を選ぶようにして話しだした。
「あの日最後にベール様を見たのは私でございます。ここまでベール様を案内してお見送りしたのですが……正門の外でベール様が出てくるのを待っていた男性がおられたのです。その方がベール様に話しかけられ、ベール様は酷く驚いた顔をしていました。それから二人でどこかへ歩いて行かれました」
「どんな男だった?」
「四十歳くらいの男でした。目つきの怖い方で印象に残っています」
レイクは昨夜家を見張っていた男を思い出した。外見的特徴は一致していた。
「話してくれてありがとう。参考になったよ」
家庭教師斡旋所の所長はふくよかな体型の男で、アマリが訪問しても嫌な顔一つすることなく質問に答えた。
「サイラスは良い奴だよ。仕事ぶりも問題ないし人当たりも良い。あいつのことで文句を言うやつはいないよ。なあ?」
所長が女性事務員たちに話を振ると、彼女たちは一斉に頷いた。
「親切で頼み事もよく聞いてくれたよね」
「他の先生の相談にも乗ってくれるんですよ。私たちも助かってます」
アマリは感心したような表情を見せる。
「へええ、皆から慕われていたんですね」
「本当だよ。だからあいつと連絡とれなくなって俺たち皆心配なんだ」
彼らの顔は心からサイラスの身を案じていることを表していた。
アマリは一層訳が分からなくなった。
(ここまでサイラスの悪い噂はまったく聞かないね。ヤバいことに巻き込まれるような話はない。本当に何があったんだい)
レイクが言うにはエイミーと会った後から尾行していた男がいたという。レイクは男を只者ではないと感じていた。そんな男が失踪と関わりがあるなら、サイラスが消える前に予兆の一つでもあっていいのではないか?
「サイラスさんについて詳しい人をどなたかご存じありませんか?」
アマリは所長に訊ねた。彼は少し考えこむと、デスクの引き出しを開けた。
「そうだなあ……前に受け持っていた生徒なら知ってるかもしれんな。生徒の相談にも乗っていたというし、彼と親しい子もいるだろう」
「よければ教えていただけませんか?」
「まあ、俺らもサイラスには早く見つかってほしいから……」
その時、女性事務員が一人席を立った。アマリが見ると、女性事務員は今にも気を失いそうなほど蒼白な顔で部屋の外へ出ていった。
所長は溜息を吐いた。
「サイラスがいなくなってディアナは随分しょげちまったなあ」
「彼と一番仲が良かったものね」
「あの人はサイラスさんと仲が良かったんですか?」
「ディアナ・アッシャーだ。サイラスとは中等学校が一緒だったらしい。サイラスがここで働き始めたのも彼女の紹介だったんだ。本当にどこへ行ったのか……変な事件に巻き込まれたとかじゃないといいけどな。最近は何かと物騒だからお前たちも気をつけろよ」
事務員の一人が力強く同意した。
「そうね、特に若い女の一人暮らしは危険よ。ディアナも親元を離れて一人で暮らしてるって聞いたし、後で言っておかなくちゃ」
アマリは所長からサイラス・ベールの過去の生徒の資料を受け取ると、事務所を出た。レイクとは《揺蕩い》で落ち合う予定だった。
彼女はまだ時間はあると考え、どこかで食事を摂ろうと手ごろな店を探しに行った。
去り行くアマリの後ろ姿を、斡旋所の二階の窓からディアナ・アッシャーが眺めていた。
レイクはカリム区の下町へ足を運んでいた。海に近く、再開発の波がまだ来ていない古い建物が多く残る地区だ。
彼の目的地は年季の入った煉瓦造りの小さな商店だった。店の看板には《クック菓子店》と崩された字で書かれている。
店の中には所狭しと駄菓子が並べられていた。果物の飴、クッキー、カラフルな粒状の菓子などがレイクの視界を彩る。
奥に座っていた老婆がレイクの顔を見て微笑んだ。
「おや、レイ坊。よく来たね」
「やあ婆さん。ジャービスは二階?」
「爺さんに用かい。なら呼んでこようか」
老婆は二階へ続く階段へ向けて声を張り上げた。数十秒ほど経ち、ゆっくりと階段を軋ませながら下りる音が聞こえた。
菓子店の主であるジャービス・クックは、深い皺の刻まれた顔をレイクへ向けた。
「おお、レイ坊。最近顔を見せんから退屈しとったぞ。たまには用がなくても顔出すくらいはせんか。リザの方にはちょくちょく行っておるそうじゃないか」
「《炎麗館》は仕事上頻繁に行くのは当然だから」
レイクは事も無げに答えると、ジャービスは不満そうに鼻を鳴らした。
彼は椅子に腰を下ろす。
「それで? 今日は何の用じゃ」
「見てもらいたい物があるんだ」
レイクはアマリから預かったジュエリーボックスを取り出した。ジャービスは箱の中の宝石を見ると、手袋をつけ手に取った。
「ほお……」
「アマリが手に入れた品なんだけど、どうも訳アリっぽいんだ。これを元持っていた奴が行方を晦ましていて、その裏を探りたいんだ。この宝石が何かよからぬことに関係しているなら……」
レイクの説明を無視してジャービスは宝石を鑑定することに集中していた。かつてトライド区で宝石店を経営していたこの老人は、店を甥に譲って趣味の駄菓子屋を開業した後も、レイクの依頼で宝石の鑑定を行うことが幾度かあった。
ジャービスは鑑定を終えると、宝石をジュエリーボックスに収めてレイクに返した。
「ふうむ、火属性の魔力が込められた魔力鉱じゃな。しかし……天然物ではないな」
「人工宝石? じゃあ、高価な品じゃないんだ」
レイクが訊くと、老人は頷いた。
「天然物と比較すれば天と地ほどの差よ。じゃが、これは非常に精巧に造られておる。儂ならともかく経験の浅い鑑定士なら騙されてしまうの」
「……つまり?」
ジャービスはジュエリーボックスを指差した。
「こいつは偽物として売るために造られた物ということじゃよ」
《揺蕩い》に戻ったレイクとアマリは、顔を突き合わせて話し合っていた。
アマリはデスクの上に置かれたジュエリーボックスを見つめながら眉を顰めた。
「偽物かあ。なんでがらくた山にこんな物捨てたのか不思議だったけど納得がいったよ」
レイクは「ああ」と言った。
「サイラスはどこでこれを手に入れたのか? そして、何故それを捨てようと思ったのか? そこが謎だ」
「偽物なら捨てるのは別におかしくないんじゃない? 本物と思って買ったのに偽物だと分かったから捨てたとしても不思議じゃないけど」
アマリの意見に対して、レイクは首を振った。
「それだと失踪の理由が説明できない。偽物を買わされたなら警察に訴えれば済む話だ。何も告げずに姿を消す必要なんてどこにもない」
「サイラスがこれをどこで手に入れたかねえ……その出所が失踪の理由に繋がるのかね?」
「それが次に解くべき謎だよ。それよりサイラスの前の勤務先は?」
レイクがそう訊くと、アマリは斡旋所の所長から受け取った資料を取り出した。
「斡旋所の所長がここ数年サイラスが受け持った生徒のリストをくれたよ。ほら」
レイクはリストに記載された名前にざっと目を通した。彼と面識のある貴族の子弟の名がいくつかあった。
「家庭教師を始めて四年らしい。大学時代から学業の傍ら働いていたそうだよ。それで卒業後もそのまま勤め続けたとか」
「ふうん」
レイクは適当に相槌を返しながらリストを読み続け、ある箇所を目にして動きを止めた。
彼は面白そうに笑った。
「へえ、これはこれは」
「どうしたんだい?」
アマリが訊ねると、レイクは資料の中から一枚抜き取り差し出した。
「見なよ。サイラスは二年前にクレファー伯爵家にも行ってたらしい。リンも彼に美術を習っていたそうだ」
資料の中にはリン・クレファーの名が記載されていた。
トライド区の繁華街の一画に建つ小さな酒場に一人の男がいた。
彼は酒場の奥に設置された公衆電話を使い、受話器の向こうの相手と小声で話していた。
「レイキシリス・ブラウエルのことは分かったのか? アルケイン刑事部長とも昵懇の間柄? ふうむ、成程な。帝都警察長官の子息ともなれば顔が利くのか。そいつが何故エイミー・ベールと会っていたのか理由は、やはりサイラスの失踪についてだろう」
男は話し相手の語る言葉に耳を傾けていた。相手の言うことに合わせて、時折首を縦に振った。
「エイミー・ベールは警察に何も相談していないんだな? そうか、ひょっとすると心当たりがあるのかもしれない。それならレイキシリス・ブラウエルの方を見張っておくか。奴がサイラスを捜しているなら、それに乗っからせてもらおう」
男は電話を切った。彼は執念深そうな瞳に暗い影を宿し、独り言を口にした。
「サイラスめ、絶対に逃がさんぞ。必ず居所を突き止めてやる」
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