冥々の筺

宮塚恵一

第1話 ピトス

 私は、その日の異常に全く気付かず、眠りから目覚めた。


 部屋を見回すと、光り輝く箱が、静かに角に置かれていた。この箱は生活の一部だ。生活補助バーチャルアシスタントシステム『ピトス』が普及してもう五十年。人々の生活にピトスは必要不可欠なモノとなっている。一見すると無骨な金属の箱だが、この箱の中には全てが用意されている。日々の食事から洋服、その人が必要なモノをピトスAIが持ち主の生活の記録から判断し、箱の中で生成するという代物だ。


 ピトスの用意したモノを使い、仕事をし、趣味を嗜み、静かに眠りにつく日々。


 しかし、今日は何かがおかしい気がする。

 ただの直感。少しだけピトスの輝きがいつもより明るいような、そんな気がしただけだったが──。結論として、その感覚は間違っていなかった。


 突然、ピトスが点滅し、不気味な静寂が部屋に広がった。不安を感じながらも、私はいつものように箱に近づき、その表面をタッチした。

 しかし、反応はない。箱は無音で貝のように固く閉じたままだった。


 その時だ。外の騒がしい音が私の部屋に響き渡った。窓の外には人々が駆け回り、パニックに陥っている様子が見えた。私は急いで箱を開けようとしたが、そのとき箱の内部から異常な動きが感じられた。


 驚いて跳び退くと、箱の中から青い光が漏れ出し、その光は急速に部屋中に広がっていった。


 私は絶望的な恐怖に襲われながらも、なんとか光から逃げ出そうと試みた。


 私は、部屋を飛び出す。階段を駆け下りて外へ。


 ──街は混乱の渦に巻き込まれていた。


「助けて!」

「もうお終いだ!」

「息子を! 息子を知りませんか!?」


 人々は逃げ惑い、道路は車の残骸で溢れ、遠くからは消防車や救急車のサイレンが聞こえる。それどころか、装甲車や戦車までもが街中を走り回っている。


 阿鼻叫喚。その言葉が相応しい混沌とした街の様子に、私は唖然とする。


 必死に混乱の中を進む中、私は家族や知人を探し、一緒に安全な場所へ避難しようと試みた。

 父や母は大丈夫だろうか。職場の同僚はどういう状況にある?


 しかし、どこに行っても絶望と混乱が広がっているだけだった。燃え盛る家の中から助けを求める声。暴走する装甲車に押し潰される断末魔の声。それを見て叫ぶ人々。


 ピトスの暴走だ。だが急にどうして──。


 突如として、私の頭上に影が落ちる。何事かと上を見上げて、驚愕した。


 ──ピトスだ。


 それは巨大なピトスだった。だが、大き過ぎる。まるでビル一棟はある程巨大なピトス。

 巨大ピトスが光り輝いた。その光は街全体を包み込む。光に当てられた人々の身体が、ボロボロと崩れ落ちて行った。そして私の身体もまた──。

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