生きとしイキる全ての者へ

野中淳

1-1「なんやメンソールか」

 イジメから逃れるために、わざわざ地元から遠い私立高校に通うことにした。しかし、結局は高校でもいじめられてしまった。そうなると、片道二時間近くかけていじめられにいくようなものだった。

 放課後は誰ともつるまず、まっすぐに帰宅した。海沿いを走る阪神電車の中から流れる景色を眺めていた。近くに淡路島、晴れた日には四国の山々が見える。山と海が隣接している神戸はトンネルも多かった。煌めく瀬戸内海を眺めていると突如として自分の顔面が窓に映った。自分で思っているよりもずっといじけた顔をしていた。

 イジメそのものも苦痛だったが、周囲から負け組として見下されているような気がして、それが堪らなく恥ずかしかった。この苦痛があと三年間も続くと思うと辛かった。

 こんなはずではなかった。カースト上位のグループに入って、一目置かれる存在になりたいと思っていた。クールで誰に対しても物怖じしない不良に憧れていた。そして仲間同士の熱い友情を築き、「俺、昔いじめられてて・・・」などと打ち明ける。普段は冷徹な自分の突如明らかになった暗い過去に皆、戸惑うが、

「俺らには関係ないわ。今のお前しか」

 仲間の一人が肩に手を置く。自分は思わず涙する。

 そのような妄想までしていた。

 しかし、現実では不良ぶったせいで失敗し、入学式の翌日からイジメの対象となった。最初のHRで先生を面と向かって「先公」と呼び、ビンタされた。そのビンタを自分は強がって「痛くないわー」「むしろ殴られるの好きやから」「気持ちいいくらい」と言ったせいで周囲から「ドM」と呼ばれることになった。喧嘩慣れしているということを示したかっただけなのだが裏目に出た。ドMだから殴ってもいいだろうと、クラスのサンドバックとなり、暴力が酷くなるにつれ、あだ名も「童貞」「皮被り」「淫獣」などと酷いものに変化していった。


 いつものように放課後すぐに電車に乗っていると、車内に見覚えのある顔を見つけた。つり革を握り、窓に映った自身に対してメンチを切るように顔の角度をしきりに変えていた。小学校の同級生の月島という男だった。彼は小学生の時、勉強も出来て足も速かったことからクラスの人気者だった。そんな男が自分などに構うことはないだろうと、目が合ったもののすぐに逸らした。向こうは自分のことを思い出すのに苦戦しているようで、ちらちらとこちらを伺っていた。小学生の頃はそれほど仲が良いわけでもなく、忘れられていても無理はなかったが、彼は思い出した瞬間「あっ!」と声を出し、意外にも親し気に接してきた。久しぶりの再会に月島は喜んでいるようだった。小学校の頃はこのようなテンションで話しかけられたことなど一度もなかったが、地元から少し離れたところで偶然出会ったという特別なシチュエーションがそうさせたのだと思う。一気に距離が縮まったように思えた。

 小学生の頃の思い出話や、かつての同級生の近況を話した。

 人気者の月島くんが話しかけてくれている! 嬉しかった。それに月島は中学から私立校に行っており、自分が地元の公立中学でいじめられていたことを知らなかったから、劣等感を感じずに接することが出来た。

 

 どうやら月島も同じ沿線の高校に通っているらしく、この日から頻繁に会うようになった。放課後の時間が楽しみになっていた。後から乗り込んでくる月島の席を確保するため、ボックス席を陣取った。月島からは香水の匂いがして、カッターシャツの下には派手な色のTシャツが覗いていた。高校では不良グループなのだろう。月島に憧れていた。そして、次第に月島に恥ずかしく思われたくない。学校でいじめられていることを知られたくない。そんなことを考えるようになっていた。

 月島と会う時は、駅のトイレで整髪料をつけ、派手なTシャツを学ランの下に着て、制服を着崩すようになった。学校でそんなことをすれば、より一層目をつけられるだろうが、そうすると自信を持って、月島の隣に座ることができた。


 月島とはよく音楽の話をした。月島は周りの同級生が知らないような海外のバンドに詳しく、自分もそういった音楽が好きだったので盛り上がった。

 ある日、月島に連れられて地元近くのレコード屋に行くことになった。レコードショップと聞いて、CDショップのことかと思ったが、実際レコードしか置いていないような店で、レコードプレイヤーを持ってない自分はジャケットを時々めくっているだけだった。一方、月島は何点か購入し、店員となにやら談笑していた。自分は馴染めずに会話に入ることはなかったが、二人に合わせて笑ったりした。それでも楽しかった。お洒落な雰囲気にときめいていた。

 高揚した気持ちで外へ出ると、なぜか月島は大通りから外れた路地に入った。駅までの近道なのかと思い、黙って付いていくと、脇の駐車場で立ち止まり、カバンをまさぐりだした。疑問に思っていると、月島は右手の人差し指と中指を口元に添え、

「ヤニ吸わせてや」

 と言った。月島君も吸うんや! と興奮した。不良の重要アイテムであるタバコには日頃から憧れていた。しかし、タバコひとつで騒いでいる姿を見られると、イケてない奴だとバレる。冷静を取り繕い、あたかも身近なものであるかのように振舞った。自分は高まる感情を抑えて、

「なんや、月島も吸うんけ?」

 と聞くと、

「お前もやっぱ吸ってんのか?」

 と月島はいたずらっぽく笑った。

 自分はありもしないのにポケットをまさぐり、

「今日は切らしてたんやわ」

 とぼやくと、月島はタバコの箱の上部を指でトントンと叩いた。何をしているのかと思っていたが、そうすると不思議とタバコが一本だけ箱から飛び出した。そして、自分に差し向けた。

「吸う?」

 その一本に手を伸ばした。指先が震えないよう気を付けた。自分はいかにこなれた所作が出来るか、一挙一動に集中した。火を差し出す月島。むせないように細心の注意を払い、ふかすだけに止めた。かすかにメンソールの香りがした。

「なんや、メンソか」

 メンソールは若者向けだと聞いたことがあった。慣れた様子を装いたい自分は、メンソールであることを残念がって顔をしかめた。そしてまた一口吸い、

「しかも軽いな」

 と、言った。月島は感心したように自分を見た。

「お前、結構やってんな・・・」

 月島も煙を吐いた。二人で空へ昇る煙を見つめた。ずっとこんな青春を送りたかったのだ。気を許した仲間と不良行為で親睦を深める。学校では叶わなかったことが今、実現できている。月島の知っている自分だけが本当の自分のはずだ。今この瞬間には学校でのみじめな自分はどこにもいない。

「普段、何ミリくらいの吸ってんの?」

 月島は言った。

 無風の中、まっすぐに立ち上る煙はどこからか輪郭を薄め、ある地点でなくなるようだった。見つめていたはずの煙を見失ってしまった。

 自分はもう一度、手元の火種から煙を追った。

 非常になだらかなグラデーションでその形はなくなるようだった。より目を細め、眉間に皺が寄っているのが自分でも分かった。

 長い沈黙が続いた。

「100ミリくらい・・・か?」

 出来れば強いタバコを吸っている風に装いたかった。しかし、何ミリが相場で、どれくらいのミリ数が強いタバコと言われているのかよく知らなかった。

 月島の方を見るのがためらわれた。ただただ空を見つめていた。中々、返事がない。自分はその空気に耐え切れず、

「調子が良い日は200くらいいくけどな」

 と重ねた。そしてようやく月島を見た。

 月島も同じように空を見上げていた。自分より深く眉間に皺を寄せ、口を開いた。

「俺もそれくらいやわ」


 今、思えば月島も自分の前では背伸びしていたのだと思う。思い返せば、最初に電車内で偶然出会った時よりずっと制服も着崩すようになっていた。月島は自分と会うようになってから、学生服の下に派手なTシャツを着出し、髪をセットするようになったと思う。自分と同じように下校時に駅のトイレで整髪料をつけ、香水をまぶしていたのではないか。

 煙を見上げていたあの時、自分たちはお互いに、なりたい自分になれていた。

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