窓の中に映る (企画もの)


 あの時も冷えた日だったね。


 ちっさいころのその日のことをなんとなく覚えている。傘をさしてピンクの長靴を履いてちゃぷちゃぷわざわざ水たまりを大きくぱしゃーんって踏みながら帰っていたことを覚えている。


 大人になった今窓の外を見ながら、窓についた水滴が流れていく。


 その中でそんなことを思い出している。自分のことなのに無邪気ですこしばかっぽいって思って、くすりとしてしまう。


 窓に映った自分の顔を見ている。大人になった自分を見ながら、あのころには戻れないんだなと少し寂しくなってしまう。


 私は席について流れていく景色を見ている。港を離れてだんだんと陸が遠ざかっていく。客席からそれをぼんやり見ている。これでよかったのだろうか。頬杖をつきながら本当にゆっくりと考える。


 自分の座っているシートは暖かい。それがだんだんと眠気を感じる。こくりこくりといつの間にか寝てしまいそうなって、はっと顔を上げる。別に寝ててもいいはずなんだけどね。


 子供のころから過ごした場所から離れていく。両親とも友達とも離れて新しい世界に向かう不安と……楽しみが心の中にある。手にもったバッグには最低限の荷物。私はその中から一冊の小説を取り出した。


 薄いその本を開く。ぱらりとしおりが手元に落ちた。


「あっ」


 そのしおりは子供のころに作ったものをなんとなく惰性で使っていたものだ。それを指で挟んで改めて見る。落ち葉の絵がクレヨン調でプリントされたものだ。


「これも自分で書いたものだったなぁ」


 自分のイラスト……なんて言うほどのものじゃないけど子供の絵を学校の先生がしおりにプリントしてくれた。うれしかった気持ちは覚えている。ただそれを引きずってずっと使っているのはどうだろうって思う。


 くっくと私は笑いそうになって、あっと口元を片手で隠す。一人で笑うなんてなんか怪しいじゃない。私はしおりを本に挟んでまた荷物戻した。なんとなく小説を読むよりもぼんやりしていたいかな。


 いろんなところに行ったこととか、遊んだことばかり頭に浮かぶ。


 窓の外を見るともう港は見えない。暗い空と海が広がっている。旅立ちの日くらいは綺麗に晴れてもいいんじゃないかなってなんとなく思うけど、でもさ、実はこんな日も好きだ。窓の外を見ながらたん……たんって窓を水滴が小さくたたく音を聞いているのは静かで安らぐ気がする。


 変かな?


 まあ、いいや。


 私はシートに体重をかけてなーんにも考えずに窓の外を見る。シートのぬくもりが心地いい。むしろ冷えた日のほうがあったかい気がする。


 子供のころ家に帰ったらすぐにストーブの前に陣取ってお姉ちゃんと戦うのが毎日の日常だったなぁ。だいたい負けてストーブのあったかいところはお姉ちゃんに取られていた。


 なんで子供のころのことばかり考えるんだろう。お姉ちゃんは私にいつも優しかったな。大好きだったけど。私のことを理解してくれる人は少なかったかもしれない。


 ざあと外の音がする。私はそれを聞きながらまた考える。


 明日から新しい生活が始まる。でも……新しいだけじゃなく昔からの自分が思っていたことができるかもしれないと思うと本当に不安になる。


 窓に映った自分。変わらなければ誰にも気づかれないのに、それでも苦しいから本当は好きな場所から遠く離れてでも自分でいたいと思っている。


 傘をさしてくるくる回るこども、私はそんな昔の自分を思い出す。あの時みたいに何も感じないままなら一番いいのに。


 私はからっからに晴れた日よりもどんより空の日のほうが静かで好きだ。人とは違うことはわかってる。


 ゆっくりと私は故郷から離れていく。私は私がそうあってほしいからって思った道に行くために離れていく。慣れた場所の安心感はだんだんと遠ざかっていくことがわかる。解放されるような気持ちが大きくなっていくのも感じる。


 窓に映る自分の姿を見る。少しだけ化粧をした……僕の姿。女の子の格好をした自分がそこに映っている。……笑われるんじゃないかって思ってしまう。でも、本当の自分はこうなんじゃないかって子供のころから思っていた。


 僕は両手を胸の前で組んで唇をかむ。


「……私」


 本当は自分のことをそう言いたかった。誰にも聞こえないように小さく言った。……でもそれでも言えた。私は顔を上げて、もう一度窓に映る自分を見た。


 目を伏せてしまいそうになる。……だけど少しだけ勇気を出して自分を見る。


「ふふ」


 ぎこちないけど本当の自分が笑っている気がした。

 

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