少女の買い食い ※なんてことない話

 夕焼けに染まる弓道場はしんと静まり返っていた。


 その中央に立つ弓道着に身を包んだ少女は凛とした表情で黒塗りの弓を構えた。白羽の矢をつがえて弦を弾く。彼女の一つに束ねた黒髪が艶やかだった。


 緩やかな動作に迷いはなかった。張り詰めた弓から矢を放った。すうと一筋の軌跡を描き、矢が飛ぶ。そして音を立てて的の中央に突き刺さった。


 完全な一射に少女は表情を変えず、背筋を伸ばし弓を左手に構え、右手を矢を放った姿のまま残身をする。


弓道場の奥からほうと嘆息の声が漏れた。その声に少女は一度目を閉じて振り返る。


「以上で恥ずかしながら模範を務めさせていただきました」


 少女の声はその容姿に似合い、張りがあった。弓道場の影には彼女を慕う目で見ている弓道着を着た少女たちがいた。



 青山真弓は高校3年生になる。


 女子としては同級生比べほんのり高い背丈をしている。弓道部に所属して大会でも結果を出していた。彼女を慕う後輩は多く、部活の終わりには手本として弓道部員全員の前で模範演武をすることも多かった。


 彼女が弓道場を出るともうあたりは暗くなっていた。


「青山先輩お疲れさまでした」


 紺のブレザーに着替えた後輩の一人が頭を下げて挨拶をしてきたので青山は「ああ、お疲れ様、気を付けて」と微笑をたたえて返事をする。それだけでその後輩は少し恥ずかしそうに「はい」と言って速足に去っていく。


 吐く息は白い。青山もブレザーを羽織り首元にマフラーをまいている。制服のネクタイもあとは家に帰るだけというのにしっかりと締めている。


 彼女は校門まであるく。部活道具の入ったスポーツカバンを肩から下げていた。ただ歩くだけでもその姿勢の良さと顔立ちが整っているからだろう、それだけで見たものを振り向かせる魅力があった。


 彼女は文武両道に秀でた非の打ちどころのない少女だった。


 校門をくぐり、すたすたと歩く。すでにほかの生徒はほとんど帰宅している。弓道場で少し整理をしていたら遅くなっのだ。


 青山は


 かつかつかつ、とローファーを鳴らしながら歩く。


 かっかっかっと速足になる。


 そして走り出した。


 健脚と言っていいだろう勢いよく坂道を降りて、駅まっしぐらに走る。学校の最寄りの駅まで数百メートルあった。青山はそこまで一気に走った。駅から家に帰るのだが、彼女はその前に道を曲がった。


 駅はこちらではない。


 こちらは商店街だった。


 だんだんと店を閉め始めている夜の商店街の中を彼女は走る。そして目的の小さな店を見つけると中に入った。そこは肉屋だった。恰幅のよいおばさんが「あら、いらっしゃい」というと青山はぜいぜい言いながら言う。


「あの、コロッケありますか?」



 駅の近くに公園がある。そのベンチに青山は座った。


 その両手には包みに入ったコロッケ。その姿はまだ見えていない。包みを取ると見ただけでさくさくと分かる衣が油を少し光らせながら姿を見せた。


 青山は両手でそれを口元に持っていきさくりとかじる


「…………」


 さくり


 さくり


 さくり


 幸せそうな顔でもぐもぐと食べる彼女。中に入ったひき肉がおいしい。しかし彼女は何も言わない。ただただかわいらしい表情でおいしそうにコロッケをほおばる。


 一つを食べ終わる。それしか買っていない。


 夕食も食べなければならないからだった。彼女は両手をぱんと合わせて「ごちそうさま」と言った。部活帰りの体にはこの上なくおいしかった。


 青山は立ち上がり家路につく。部活の時の凛とした顔を少し崩して、笑顔のままに。


 秀才の少女の買い食いの話。青山は自分の指をなめそうになってはっとして、ハンカチで拭く。

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