第40話・現実は甘くない

「ジネベラさんよね?」


「あなたは……」




 登校時。昇降口で上履きに履き替えていると、赤茶の髪に灰褐色の瞳の少女が近づいて来た。薬草学科の生徒を示すローブを制服の上から羽織っている。以前、彼女は、バーノと出かけた洋菓子店で出会ったエトワルに違いなかった。あれから彼女から謝罪はされていなかった。一瞬、謝ってくれるのかと期待したが、彼女の不機嫌丸出しの目つきからあり得ないと悟った。




「ちょっと、こっち来て」


「離して。一体、何の御用? ここでは話せないこと?」




 厄介そうな相手は声をかけてくるなり、腕を取ってどこかに連れて行こうとする。その腕を振り払うと睨み付けられた。


 以前の彼女ならきっと言いなりになっていたかも知れない。でも、アンジェリーヌ達と交流するうちに、少しずつ言いたいことが言えるようになってきた。


 でも、昇降口には数名の人達がいて、エトワルが大声をあげた為に注目を浴びてしまった。




「あなたに話があるわ」




 観衆のなか、気まずそうにエトワルは踵を返した。ジネベラは仕方なく彼女の後に続いた。どこまで行くのかと思いながら彼女の後に続くと、体育館脇に出た。そこで彼女は振り返った。




「身の程知らずのあなたに教えてあげる。バーノくんはね、オロール公爵令嬢の許婚にと、先代公爵さまから打診を受けているのよ。彼は未来のオロール公爵さまよ。あなたのような人が、侍って良い人では無いのよ」




 エトワルは自信満々に言ってきた。バーノとアンジェリーヌは従姉弟同士だ。二人のことを良く知るジネベラにとって信じがたい言葉だった。




「そんな話、聞いたこともないわ」




 もしも、そのような話があったなら、二人はジネベラに教えてくれるはずだ。




『こんなやつを許婚だなんて』


『僕だってお断りだよ』




 なんて言いながら笑い飛ばすのが簡単に想像出来る。今日だってお昼を共にしたのに、縁談の話一つ、話題にも出なかった。二人の間には、姉弟以上の感情はない事は、彼らの側にいるジネベラが一番良く知っている。




 しかし、エトワルの言った次の言葉で打ちのめされた。




「王宮薬師長さまから直接、お窺いしたのだから間違いないわ」




 王宮薬師長さまとは、先代オロール公爵のこと。王宮薬師長さまは、ジネベラの父と同様に、薬草学科の生徒達に講習を行っている。




 バーノは以前、不平を漏らしたことがあった。




『あの爺さまは苦手なんだよね。難しい問題をわざと投げかけてくるから。僕のことを敵視しているみたいでさ』




 それに対し、アンジェリーヌはけろりと、




『だって最愛の娘を奪った男の息子だもの』と、言い、それに対して、バーノは『最愛の娘が産んだ息子だよ。爺さまにとっては孫だろう?』と、返していた。




 その会話を思い出したジネベラだったが、その二人が結婚を望まれている? と、聞き不安になってきた。この国では従兄弟同士ならば、婚姻は出来る。法律としては出来ないこともない。


でも、薬師長がそれを望んでいたとしても、エトワルのような少女に話すだろうか? 身内でもないのに?




「滅多なことを口にしない方がいいと思いますよ。誰が聞いているか分かりませんから」




 オロール先代公爵は、元王弟でもある。貴族階級では一番上の御方だ。その御方の名前まで持ちだしたエトワルに、ジネベラは不快な気持ちになった。そこまでして自分をバーノから排除したいのかと。




「それはあなたにお返しするわ。薬師長さまは嘆かれていたわ。どこの馬の骨とも分からぬ女が、バーノくんの周辺をうろつくとは……って」


「……!」




 エトワルの話を丸々信じた訳ではないが、「どこの馬の骨」発言にジネベラは、ショックを受けた。薬師長からしてみれば、いくら部下の娘とは言え、ジネベラは男爵令嬢でしかない。


何だかんだ言っても薬師長にとって、バーノは可愛い孫息子に違いないのだ。彼にはそれなりの相手と娶せたいと願っているのだろう。ジネベラは血の気が引いてきた。エトワルは言いたいことだけ言うとじゃあ。と、踵を返した。




「薬師長さまに嫌われているのだから、あまりいい気にならない事ね。バーノくんには、オロール公爵令嬢さまがお似合いなのよ」




 言いたいことを言って気が済んだのか、エトワルは足取りも軽く去って行った。




「バーノくん」




 この場にはいない彼の名前を呟く。彼は初めから優しかった。昼食で独りぼっちのジネベラを気に掛けてくれて、「友達になろう」と、言ってくれた。唯一の友人だと思っていた。でも、それ以上の感情を彼に抱いていたらしい。アンジェリーヌとの婚約を、薬師長さまに望まれていると、エトワルに聞かされて、そんなはずはないと思いながらも、胸の奥がざわついて落ち着かなくなった。




 今まで彼らと三人でいるのが当たり前になってきていた。その関係がいつまでも続けば良いと願っていた。でも、現実はそう甘くなかったらしい。その様な関係はいつしか終わる。その関係に限りが見えてきたような気がして、しばらくジネベラはその場から動けなくなっていた。


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