第41歩 木下次長、サボタージュ

ある冬の日、午後4時、木下次長は屋上にいた。

この前まで豊かな実りで社員たちを喜ばせていた社長の畑は全面を黒いマルチで覆われている。

イチゴのプランターからランナーが伸びていたので、木下次長はそれをチョキンと切って植え替える。

ダウンコートに身を包んだ木下次長のシルエットは丸っこい。

かぶっている帽子は自身の手編みだ。


木下次長は最近、ずっと仕事が楽しくない。

なんだかやりたいことが見当たらないのだ。

何でも卒なくこなしてきた木下次長にとって、世の中はずっと優しかった。

だいたい何でもうまくやれたし、いつも主役の気分でいられた。

でも最近、営業に出る気にもなれず、企画を出す気にもなれず、アイデアもなく、後輩や部下に目をかけても報われないと感じる。


一人になりたくて屋上へ足を運び始めて2週間、この間も給料が発生しているという申し訳なさ、焦り、自分への失望、木下次長はどんどん陰鬱になっていく。


屋上から戻ろうと出口へ向かっていると、ブワッと風が吹く。

顔が冷たい。

以前ならこんなことでさえ、何かのヒントだったのに、何も感じない。


戻るのをやめて、もうしばらくここにいることにする。

壁に身を寄せて木下次長はポッケからタバコを取り出した。

会社には快適な喫煙ルームがあるのだが、最近こうしてわざわざ寒い中でタバコを吸うのが楽しみになった。

背中を丸めて火をつけて、「うー、寒い」といいながらタバコを2本、これがいい気分転換になる。

1本目はゆったりと、2本目の吸い終わりはやや忙しなく、吸い殻を学生時代から持っている携帯灰皿にねじ込むと、少し気分が晴れた。

時計を見る。

4時30分。

さすがにもう戻らないと。


階段を降りながら、木下次長は父親のことを考えていた。

今年75歳を迎えた親父、確か今の俺ぐらいの頃に仕事を辞めると言い出して、喫茶店の開店を計画していたな。

あれが頓挫したのは母の反対のせいか、子供が3人もいたせいなのか、それともただの気まぐれだったのか。

でも少しわかる、逃げたい気持ちも、夢を見たい気持ちも。


フロアへ戻ると、部下の一人、佐々川が走ってこちらへ向かってくる。

彼は体が丈夫ではないので、木下次長は慌てて駆け寄る。

「すみません、席を外していました。」

用件を聞こうと話しかける。

少し高揚した顔の佐々川が、息を切らしながら嬉しそうに告げる。

「僕、今日初めて、外回りに行きました!」

木下次長はさらに慌てた。

だめだめ、君は内勤!と言いたいが咄嗟に引っ込める。

「体は?電車で?しんどくない?」

それでも心配が口をつく。

「はい、さっき朝日課長が、3軒隣のビルに資料貰いに行く時、ついてきていいって言ってくださって、行きました!初めて名刺、交換しました!」

朝日課長を見ると、ニコニコしている。

「コーヒーいただいて、次から簡単なことは僕に連絡いただきます!」

嬉しそうだ。


もし自分がその時その場にいたら、たぶん反対して外出させなかっただろう。


そもそも俺がおったら朝日もそんな事いいださんやろな…。


木下次長は嬉しそうな部下に「おつかれさん、次からは頼らせてもらいます。でも無理はないように。」といいながら、朝日課長にも視線を送る。

目が合うと、神妙な表情で頷く。


結局、自分がいないほうがうまく回るのか、そう思って木下次長は深く息を吐きながら席につく。


でも、あぁ、なんだろう、この気分。

久しぶりに職場で嬉しさを感じている。

愛おしい、可愛い部下たち、後輩たち。


目の前の世界がモノクロからカラーになる。


そしてその世界に、自分の手を引いて引き込んでくれる人達がいる。


中年の危機から体が半分抜けたことに気付いた木下次長は、それでも残りの半分をまだ噛み締めていたい気分になって、ポッケの中のタバコの本数を頭の中で数え始めた。







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