ACT3

 結城幸助は、今売れっ子の少年漫画家である。

 連載を3つ持っていて、そのうち二つはもう二年も続いている。

 単行本の売り上げは、今や国内はおろか、海外でも100万単位で売れていて、まさに世界的な有名人の一人になっているという訳だ。

 おまけにテレビや劇場用アニメ化もされ、よちよち歩きの幼児から、大学生に至るまで、知らぬものはないといっていいくらいだ。


『で、この女性は誰なんです?』俺は写真を目の高さまで持ち上げ、問い返した。

 年のころは19か20歳といったところだろう。

 セミロングの髪に軽くパーマを当て、黒のタートルネックセーターを着ている。

 化粧はそれほど濃くはない。

『青木るみ子といいます。私のアシスタント兼恋人でした。』

 結城幸助ははっきりと過去形でそう言った。

 話は今から20年ほどさかのぼる。


 当時幸助は某少年漫画雑誌でデビューしたものの、悪戦苦闘の日々を続けていた。

 要するに売れなかったのである。

”ストーリーが稚拙だ”

”画力はあるんだがねぇ・・・・”

”これじゃ受けないよ”

 どこの出版社に持ち込んでも、似たような言葉で跳ね付けられる。

 当然、生活も困窮してくる。

 大御所のセンセイの元でアシスタントをしたり、後は様々なアルバイトを掛け持ちして、何とか糊口を凌いでいた。

 そんなある日、良く通っていたるみ子と知り合い、互いに惹かれ合って同棲・・・・というお決まりの順路を辿った。

”生活の方は私が何とかするから、貴方は漫画だけに集中して頂戴。”

彼女はそこまで言って幸助を励ましてくれた。

 るみ子は二軒のスナックとバァでホステスの仕事を掛け持ちしながら、幸助の生活を援助してくれた。

 彼はその姿勢に感激し、バイトを一切辞め、狭いアパートの一室に籠り、毎日漫画を描き続け、あっちの出版社、こっちの出版社と、メジャーやマイナーに拘らず、持ち込みを続けた。

 だが、相変わらず売れない。

 そんな生活が数年続くと、流石にるみ子も愛想がつきかけてくる。

 だが、ある日の事だ。

 ようやく某中堅出版社が根負けし、

”2ヵ月だけ"という約束でSFものの連載を持たせてくれた。

 彼にとっては天にも昇る気持ちだった。

 るみ子に報告しようと勇んでアパートに帰ったのだが、待っていたのはテーブルの上に載っていた。

”さようなら”

 というただそれだけの紙切れだった。

『ショックでしたが、仕方がありません。彼女の気持ちも分からんではありません。それよりも僕は目の前のチャンスに賭けてみるしかありませんでした』

 彼はたった一人で初回の15頁を仕上げて持って行った。

 何が幸いするか分からない。

 この作品が思いのほか好評で、連載は2ヵ月どころか半年続き、それからというもの、次から次へと原稿の依頼が殺到し、今に至るという訳である。

 その間、結婚もした。

 相手は出版社の重役から紹介された女性で、つまり見合い結婚と言う訳だ。

 特に美人と言う訳でもない。

 優しくて思いやりがあるだけが取り柄の、なんて事の無い平凡な女性だった。

 結婚生活はさして波風が立つわけでもない。

 だが時が経ち、名声が上がるようになると、妻よりもるみ子の事が思い出されてくる。

『まさか、奥さんと別れてその青木るみ子とかいう女性とを戻したいとかおっしゃるんじゃないでしょうな?』

『そうだといったら?』

『私は離婚と結婚に関わる依頼は基本的に受け付けない事にしてるんですが』

『お金は払います。お好きな金額をおっしゃって下さい。いえ、るみ子ともう一度会って話がしてみたいんです』

 後の事は逢ってからだ。

 幸助は手付だといって、封筒に入った現金・・・・中身は帯封の付いた札束だ・・・・を、目の前に置いた。

『分かりました』

 俺はそいつを受取り、

『断わっておきますが、仮にるみ子さんが見つかったとしても、向こうが貴方と会いたくないと言ったら、居場所も電話番号も教えません。それでも構わなければ』

『構いません』

 俺はつくづくバカだ。

 金の力に負けるなんて、日頃のモットーはどこへやら、だ。


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